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雪色エトランゼ  作者:
第1部
25/115

Act:25

 西大路の入り口に布陣した俺達は、押し寄せる魔獣の群を待ち構える。向かって来る黒い塊は、動きの早い狼、その後に垂直に跳ねる蜘蛛型、力は強いが動きが鈍重なトカゲ型が続く。

 大路沿いの建物や街路樹、露店などが魔獣の群の進行に合わせて破壊されていく。火が残っていたのか、煙が立ち上り始める。日々の営みに欠かせない人の家や財産が、あっという間に黒い波に飲み込まれて行った。

「カナデさま!」

 俺たちの背後に残存兵力を再編した警備隊が合流した。30人はいる。そのうちの半数が、銀器の弓を構えていた。

 俺は警備隊の指揮官に頷き掛ける。

「よし、放て!」

 風切り音を上げて、数十の矢が魔獣の群れに降り注いだ。銀気を込めたその一撃が魔獣の先頭集団を霧散させて行く。しかし、その数の前には、矢が滅ぼしていく魔獣の数など微々たるものでしかなかった。

 4射繰り返した時点で、狼型の集団が目の前に迫る。

「迎撃する!後ろに通すな!」

 俺は叫ぶと、剣を構えて駆け出す。

「自由戦闘だ!楽しめ野郎ども!」

 シュバルツが大剣を振りかざして笑い声を上げた。

 もう騎士団じゃなくて、山賊の乗りだな。

 俺は自分の緊張を誤魔化すように、そんな事を考えていた。

 騎士たちの気合いの叫び迸る。

 俺はすれ違いざまに一匹を斬り捨てる。返す刃で反対を駆け抜ける一匹を両断した。くるりと体を回して、飛びかかる一匹の頭を斬り飛ばし、振り下ろす剣で味方の背後に回った一匹を斬り払う。周囲で数匹が同時に霧散し、黒い霧が出来上がる。そのヴェールを突っ切って現れた狼型の、その鼻面を縦に両断した。

 俺は肩で息をしていた。

 魔獣が霧散する時の黒い霧は、何かが澱んだような何とも言えない腐臭がする。騎士たちが一斉に打ち倒していく魔獣の霧の匂いで、辺りは悪臭に満ちていた。

 鼻が曲がりそうだ。

 騎士たちは獅子奮迅の働きで魔獣を迎撃していくが、それでも数匹が後ろに抜けて行く。それを再編成された警備隊が個々に迎撃していた。

 その間にも降り注ぐ矢が魔獣の後続を減らし続けるが、大勢に影響は及ぼせない。

「カナデさま!素晴らしい腕前です!」

 少し後退して俺に声を掛けてくれる騎士。俺は彼に微笑み返す。こちらは緊張と恐怖と疲労で言葉を紡ぐ余裕なんかない。

「っ!上だ!」

 誰かが叫んだ。

 その瞬間、騎士の上に影が差したかと思うと、一抱えもありそうな巨大な黒い蜘蛛が降ってきた。

 押し倒される騎士。

 悲鳴が上がる。

 俺はとっさに剣を突き出し、蜘蛛型の背を切り払った。

「カナデさま!」

 騎士が叫ぶ。

 今度は俺の上に影が差した。

 無我夢中に上方に切っ先を突き出すと、一瞬遅れて頭上から黒い霧が降ってきた。

「上から来る!注意して!」

 跳ねる蜘蛛の迎撃に気を取られ、後ろに逃す魔獣の数が増えてしまう。警備隊の弓兵たちも剣を抜き、魔獣群とぶつかり始めた。今まで弓矢で減らされていた分の魔獣が戦線にぶつかって来る。

 くっ、これではジリ貧だ…!

 緒戦より魔獣の数がはるかに多い。

「シュバルツ!戦線を下げる!陣を固めよう」

 俺は1人突出してトカゲ型の群れを切り崩しているシュバルツに叫ぶ。

 あいつは…もうっ!

 シュバルツは俺を見て不満げに頷くと、徐々に後退し始めた。

「カナデさま!」

「カナデ!」

 その時、背後から同時に俺を呼ぶ声が聞こえた。

 警備隊の指揮官が顔を輝かせて後方を指差していた。

 大通りから数十の騎士、そしてその倍以上の兵達が駆け寄ってくる。

 城からの援軍!

 カリスト、素早い仕事、さすがだ。

 その脇からもう一つの声の主、俺と同じように礼装の上からガントレットをはめ、長剣を携えたシリスが走りよって来た。一房長い黒髪をなびかせ、俺の脇を通り抜けると、瞬く間に4匹の狼と蜘蛛を消滅させた。

 シリスが厳しい目つきで振り返った。

「すまんな。ルナを退避させていて遅くなった」

「いえ…」

 俺は驚いて頭を振った。これはインベルストを守るための戦い。王統府からの賓客、ルナの護衛のシリスには関係ない戦いだ。

 不思議そうに見つめる俺の顔から察したのか、シリスが照れくさそうに明後日の方向を見た。

「馬鹿だな。お前が戦ってるのに、俺が退くわけがないだろう。…クッキーの礼もあるしな…。旨かったぜ」

 ああ…。

 あれか…。

 恥ずかしさ紛れで押し付けたもん一つで、助っ人してくれるのか。

 何か悪いことしたな…。

 でもまぁ、腕の立つシリスがいてくれれば、心強い。

 そこにシュバルツが後退して来た。あちこちに生傷を作り血を流していたが、特に痛そうなそぶりもない。

「援軍か、大将」

「城からです。シュバルツ隊は一旦下がって休息を」

「ほっ!早いお出ましだ」

 援軍の指揮官か、見慣れた顔の年配の騎士、リュークが駆け寄って来た。

「カナデさま」

 俺は頷く。

「このまま西大路を制圧しましょう。上と路地からの奇襲に注意を」

「御意」

 俺は大きく息を吸い込むと、お腹に力を込めた。

 そして剣を振りかざす。

「反撃する!戦線を押し返せ!」

 戦闘の音をかき消すような騎士たちの気合いの咆哮が、荒れ果てた街路に満ちた。



 西大路を覆い尽くした魔獣の大群は、増援を得た騎士たちによって残らず駆逐されていった。

 完全に西大路を制圧するまで、それほど時間はかからなかった。そこへタイミング良く街の外周部隊より引き抜いた中隊が合流すれば、無限かと思えた魔獣の軍団は、完全に大路からその姿が見えなくなった。

 未だに細い路地に逃げ込んだ個体の掃討が続いていたが、俺はようやく安堵の息をつく事が出来た。

 魔獣と騎士団がぶつかった西大路には、瓦礫と力尽きた人々の亡骸が横たわる。そこに華やかな祭りはもちろん、普通の人の生活の切れ端さえ、感じることはできなかった。

 街の風景ではない。

 戦場、だ。

 俺は掃討戦を指揮するリュークからそっと離れると、戦闘で入り口がめちゃめちゃになっているカフェに足を踏み入れた。店主や客達は逃げ去ったのだろう。店内は、先程までお茶をしていたそのままの状況から、人だけが消えていた。

 俺は表のみんなから見えない位置で壁にもたれ掛かると、ずるずる背中を押し付けたまま座り込む。

 ぺたんとお尻をつけてしまうと、忘れていた疲労が一気に押し寄せて来た。

 邪魔な剣を外して、脇に立てかける。ふと白いズボンに血が滲んでいる事に気がついた。激しく走り回ったからだろう、昨日の傷口が開いてしまったようだ。

 ズボンの上からそっと傷に触れる。

 …痛い。

 微かに自分の血がついた俺の手は、小刻みに震えていた。

 俺はその手をきつく握ると、膝を立てて顔を埋めた。

 膝を抱く手にぐっと力を込めるが、手の震えは収まらない。

 怖かった。

 本当の戦いというものが…。

 ジェイクと戦った時もお互い真剣ではあったが、どこか試合をしている様な感覚が残っていた。

 でも今は違う。

 突然の災厄に巻き込まれた市民が命を落とし、俺の命令で突撃した兵士たちが傷ついていく。

 容易に命が消えるという現実の意味を頭が理解しないまま、そのどうしようもない現実が、怖くて怖くてたまらない。

 俺は震える手をもう片方の手で包み込んだ。

 そうして痛みに耐えるように、じっと目を閉じる。

 その時、ことりと物音が聞こえた。

 思わず剣を取る。

 椅子が倒れたテーブルの下から、ひょこっと小さな動物が現れた。

 大きな尖り耳。くりくりした瞳。ふさふさの毛並み。まるで子猫だった。

 騒ぎのせいで逃げ込んだのか、それともこのうちの子なのか。

 人恋しかったのか、子猫もどきがトテトテと俺の方に歩みよって来る。

 俺は震える手を差し出す。子猫は小さな手を出して、俺の指で遊び始めた。

 そのあどけない姿に、俺は思わず微笑んでしまう。

「にゃんこ」

 俺は掠れる声で語りかけた。

 …よし、お前の名前はにゃんこだ。

 何か食べるものでもと思い、ふとポケットの中に市民長たちから貰ったお菓子が入っていることを思い出した。その中から1つ、柔らかい焼き菓子を取り出すと、子猫に差し出してみる。

 小さな鼻をひくひくさせたにゃんこは、俺の手の上でお菓子にかぶりついた。食べ終わると、今度はお腹を見せて転がり出す。

 その愛らしい姿で、少し気持ちが軽くなった気がした。先程まで体の奥にわだかまっていた暗く重い感情が、少しだけ溶け出した気がした。

 まだ大丈夫だろう。

 まだ頑張れるだろう。

 そうだよな。

 そんな心持ちにしてくれた子猫に、お礼の気持ちを込めて、ゆっくりとお腹を撫でてやった。

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ」

 撫でながら思わず口ずさむ。

「何やってんだ?」

 不意に声が降って来た。

 慌て立ち上がる。その勢いに驚いたにゃんこが、一目散に店の奥に逃げて行った。

 俺はそっとその後ろ姿を見送る。

 あ…。元気でな、にゃんこ…。

「カナデ、軽率だぞ。不用意にいなくなるな。まだ魔獣がどこにいるかわからん」

 カフェの入り口で、シリスが腕を組んでこちらを見ていた。

「…ごめんなさい」

 謝りながらシリスに歩み寄る。

「騎士たちが探している。今お前がいなくなればパニックだな。立場を考えろ」

「…ごめんなさい」

 シリスと並んでリュークたちのところに歩き出した。

 これからやることは山積みだな。

 1人で震えているだけじゃだめなんだ。

「なぁ」

 決意を新たにする俺に、シリスが尋ねる。

「にゃんこって何かの呪文か?」

 俺は耳の先まで真っ赤になったような気がした。

 …聞かれてしまった。

 そのまま振り返らずに、俺は歩調を早めた。シリスを振り切るべく。



 リュークに案内されたのは、西地区の端、運河に臨む人気のない倉庫街だった。無個性な同じ作りの倉庫が建ち並ぶ一角に、古びた石の塔が建っていた。今その前に、数十人の兵士と騎士が集まっていた。

「この塔は、街の下を走る地下水廊の入り口なのです」

 顔に深いしわを刻んだリュークが、さらに眉間にしわを寄せて説明してくれた。

「下水道として整備するために着手されましたが、地下水脈とぶつかったとかで、大昔に工事は中止されたとか」

 その地下への入り口が、ぽっかりと口を開けていた。巨大な扉は、内側から破られたようにこちらに倒れていた。地下へ向かう急な坂を、シュバルツがしげしげと覗き込んでいた。

「魔獣はここから?」

「恐らくそうでしょう」

「ここは外に繋がってるんですか?」

 リュークは首を振った。

「わかりません。しかし、繋がっていたとしても、この中は地下迷宮だ。どこからか迷い込んだ魔獣が、偶然市内に出てくるなど考えられない。例えば…」

 俺はその可能性に思い当たった。シリスを見ると、目線がぶつかる。

 シリスが頷いた。

「例えば誰かが道案内して魔獣を導いた、ということでもない限りありえんでしょう」

 リュースは皮肉げに言うと、肩をすくめた。

 そうだ。

 誰かが魔獣を誘導した…市内に。シリスが語った可能性。人為的に魔獣を動かしている者がいる。その意思がインベルスト内に魔獣を導いたのか…?

 その可能性が俺の顔を曇らせる。

 俺は、黒々と口を開けた地下迷宮への入り口を睨んだ。

 風が巻いている。

 狼の遠吠えのような不吉な音が響いている。

「なんだ?」

「何か聞こえるな」

 地下への入り口近くで槍を構えていた兵たちが、ぽつぽつとそんな事を言い始めた。

 何だ?

 俺も耳をすませた。

 地響き?

 嫌な予感が背筋に走る。

 本能が。

 逃げろと叫ぶ。

 どん、どん、どん、どん。

 その音は段々と大きくなって来る。そして、地下迷宮の暗闇の先に赤い光が見えた瞬間、俺とシュバルツとシリスが同時に叫んだ。

「逃げて!」

「下がれ!」

「避けろ!」

 轟音を上げて、巨大な黒い固まりが猛スピードで地上に踊り出す。僅かに残っていた扉の残骸が、その巨大に当てられて崩れ飛んだ。

 くぐもった悲鳴が響く。

 その黒い塊に巻き込まれた兵士が数人、数メートル以上弾き飛ばされ地面に落ち、苦悶のうめきを上げていた。

 俺は凍りつく。

 剣の柄にかけた手が、恐怖でそれ以上動かない。

 「あれ」に挑みかかるなど、正気の沙汰ではない。

 目の前に躍り出てきたのは、トラック程もある黒い巨体だった。

 基本形は、ライオンのような猫科の大型獣だと言えなくもない。ただ、そのシルエットはあまりに歪でおぞましい。後肢に対して前肢が異様に巨大だった。足ではない、もはや腕だ。それも筋骨が盛り上がった極太の。そして、その頭。頭の半分以上が裂けた口には俺の手首ほどの太さの牙が並ぶ。そして赤く光り輝く目は、顔面に6つ。

 何だこれは。

 これが生き物なのか…?

「グ、グロウラー型!何故こんなものがここに…!」

 リュークが呻きながら後ずさった。

 グロウラー型が牙を剥き出しにしながら頭を巡らす。まるで獲物を探すように。地面の底から湧き上がって来るような唸り声が響く。

「カナデ!」

 シリスが叫んだ。

 剣を抜き、俺に走り寄ろうとする。

「えっ」

 俺はその瞬間、呆然とするしかなかった。

 グロウラー型の巨大な前腕が唸りを上げて俺の側を通過していく。そして、近くにいた兵士を3人、まとめて掴み上げた。

 悲鳴と苦痛の叫びが響き渡る。

 俺は震える手で剣を抜いた。

 くっ…。

 助けなきゃ。

 助けなきゃいけない!

 俺がやらなければ!

「カナデ、やめろ!」

シリスの叫びがどこか遠くに聞こえた。

 にゃんこは、きっとまた出て来ます。

 戦闘が続きます。後一話くらいでしょうか。


 飽きずに読んでいただけると幸いです。

 ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] にゃんこにお菓子を与えるとかまさに外道。 異世界にゃんこだから平気なのかもしれないけど。 [一言] 食べ物つながりで、お嬢様の不審な死もそうですが、侯爵も毒には気を付けた方がいいと思う…
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