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雪色エトランゼ  作者:
第1部
23/115

Act:23

 道幅の広い大通りは、無数の見物客達で埋め尽くされていた。

 いつもよりも多くの露天が並び立つ。それら店々を回る人たち、パレードを待ち構える見物客、大声で笑い合い、酒を酌み交わしているおじさんの一団、その間を走り抜ける子供たち。様々な笑顔が作り出す熱気が溢れていた。

 それは決して日常では感じることの出来ない、今一時だけの特別な世界だ。

 陽気な音楽と人々の狂騒が一体となった混沌は、決して不快ではない。むしろ今が特別な時間なんだという高揚感を与えてくれた。

 少し離れた馬場でスピラを降りた俺は、護衛の騎士たちに囲まれながら賓客用の観覧ブースに向かう。

途中、俺を見つけた市民達が集まって来て口々に声を掛けてくれた。

「カナデさま!」

「おい、あそこに剣姫様がいるぞ」

「カナデさま、こっちです!」

「わぁ、素敵な格好」

「凛々しいなぁ」

 …何か変な呼び名も聞こえる。まぁ、気にしてもしょうがないか。

 俺は彼らに笑顔で手を振った。すると、またどっと歓声が膨れ上がった。

 何かすごいな…。

 その反応の良さに圧倒されてしまう。俺の事を好意的に受け止めてくれるということは、侯爵家にもきっと好感を持ってくれるはず。そう思うと、なんだか嬉しい。

 俺はまた手を振った。

 一部女性から黄色い悲鳴が上がる。

 一部男性からは、雄叫びが上がる。

 やっぱり反応がおかしくないか…?

 賓客スペースに入ると、既に主だったメンバーが揃っていた。皆俺を見て一斉に頭を下げる。

「みなさま、お疲れ様です。楽にして下さい」

 俺も一礼して挨拶した。

 年配の、貫禄ある大人たちが、たかだか小娘(見た目)の俺に頭を下げている図は一種異様だ。しかしこれも毎日の朝議会で繰り返す光景で、もう慣れてしまった。

 俺はまずギリアムたち上席執政官に挨拶に行く。

「お父さまは本日来られません」

「体調がお悪いのですか」

 ギリアムが顔を曇らせた。

「はい…。昨日から無理されていましたので」

「ふむ」

 グラスを手にしていた主席執政官が鋭い目つきで俺を見下ろした。

「明日からのご政務も厳しい状況ですな」

「そうなるかと思います」

「わかりました。では、カナデさまには今まで以上に判じて頂きたい案件がございます。取り始めは、豊穣祭の後片付けからですが…」

「が、頑張ります…」

 俺は苦笑を浮かべながら少し後退。

 議会初日の印象からか、この主席執政官に苦手意識が消えない。仕事に厳しいだけで、決して悪い人ではないのだが…。

 執政官たちの一角を離れると、顔なじみの市民長達が集まって来た。

「カナデさま。昨日は大活躍でしたな」

「本当に。感動いたしました」

「どれ、爺が飴玉を差し上げましょう」

「カナデさま。私めからは、妻の焼いたクッキーを」

「おお、ではうちのクリク焼きもお持ち下さい。甘くて美味しいですよ」

 俺から見れば祖父のようなお爺さん達が、次々とお菓子を手渡してくれる。掌の上があっという間に一杯になってしまった。

 ははは…子供じゃないんだか…。

 少し困った様な微笑みで、俺はお礼を言う。市民長のお爺さんたちが顔を綻ばせる。

 機嫌良くしてもらえれば、それでいいか。

「本日は男装ですか。これまた麗しい」

 ナトリム市民長が貫録のお腹を揺する。

「ありがとう…ございます」

 男装というより、普段が女装なわけで…精神的には。

「男の形でこれほど可憐でらっしゃるなら、我が孫娘にも勧めてやりましょう」

 二重顎を撫でて、ナトリムはほほほと笑う。

 …やめてあげて下さい。

「しかしこのお姿で剣でも携えておられれば、あの様な呼び名がますます広がりますな」

「呼び名、ですか?」

「ええ、昨日のお嬢さまの活躍を聞きつけた者がもう広めたようでして」

「何です?」

「はい、雪色の剣姫、とか、白銀の騎士姫、とか聞きましたな。いや、勇ましいカナデさまに良くお似合いではある」

 俺は眉をひそめて目線を落とした。

 何だ、それは…。

 は、恥ずかしい…。

 顔から火が出そうだった。

 俺は市民長たちにお菓子のお礼を言ってから、とぼとぼと雛壇の一番上の自席に向かう。

 立場から名が通るのは悪いことではないと思う。しかし変な脚色が入るのは遠慮したい。本人の精神衛生上極めてよろしくない。

 …とりあえずお菓子をしまおう。

 大量のお菓子を抱えたまま市民の前に出れば、剣姫としてではないが、侯爵家の娘として格好がつかない。

 出来るだけポケットに詰め込んでいくが、クッキーの包みが入らない。

 綺麗にラッピングされたクッキーは見るからに美味しそうだった。

 …食べようかな。

 良からぬ考えが脳裏をよぎる。

 実は、昔から甘い洋菓子が大好きだった。唯と夏奈がクッキーを焼いた時も、お裾分けを期待して遠巻きに眺めていた程だ。しかし、甘味など男子の食べる物ではないと、常におやつ代わりに梅干しを食べていた祖父の手前、クッキーが好きだなんて言い出せなかった。せっかく唯が持って来てくれた分も、いらないと断ってしまったのだ。

 でも…。

 ふと気がつく。

 今の俺は、見た目は女子。なら、お菓子を食べても何も恥じることはないのでは?

 心の中の祖父に言い訳する。

 俺はそっと特設ブースの柱の陰に隠れる。辺りを警戒してから、徐に包みを開いた。

 どこからともなく「立ち食いなどはしたない」というリリアンナさんの声が聞こえた気がしたが、俺はそっと言い訳する。

 このままにするのももったいないし…。

 そしてパクリと一口食べてみた。

 口の中一杯に広がるバターの甘い香り。

 ほわんと自然に笑顔になった。

 その後はもう止まらない。

 カリカリカリカリ、クッキーをかじる。

 ふわぁ…幸せだ。

 カリカリカリカリ。

「カナデ、こんなところで何をしている?」

「わきゅ!」

  俺は悲鳴を上げてむせ込んだ。

 背後から声をかけて来たのは不思議そうな顔をしたシリスだった。

 コ、コイツ、なんでこんなところにいるんだ?

 俺は涙目になりながら、シリスを睨みつけた。

 …俺の至福の時を邪魔した罪は重い。

「これ、あげる」

 俺は乱暴にクッキーの包みをシリスの手の上に押し付けた。

「おお、俺にか!」

 食べかけの包みをもらって、何故か嬉しそうなシリスを尻目に、俺は逃げる様に自分の席に向かった。

 はぁ。

 …仕事しよ。



 目の前を流れていく山車の群れは、神社の社を象った様な屋根付きの形をしていた。煌びやかな装飾を施された山車が、老若男女、大勢の市民たちに引かれて、大通りを練り歩いて行く。飾りや鈴がシャランと鳴る涼やかな金属音が、人々の声の間に聞こえた。

 山車を引く人々は皆額に汗を浮かべていたが、楽しそうな笑顔だった。彼らの熱気が、大通り脇のこの来賓席まで伝わって来る様だった。

 山車の周りには、カラフルな衣装を纏い、楽器を打ち鳴らす鼓笛隊が続く。その音楽に合わせてひらひらしたマントのような布を翻す女性達が踊り歩く。同じような踊り子の衣装の子供たちが、一生懸命大人たちに続いていた。

 中にはこちらに手を振ってくれる子もいて、俺は笑顔で手を振り返した。

 わぁっと歓声が高まる。

 今日一番の大きさの山車が通過しようとしていた。

 その屋根の上で踊る女性たちが、俺に頭を下げる。俺は拍手で彼女たちを見送る。

「すごいですね!」

 俺は隣に控えていたカリストに思わず声をかけていた。

「はい。この山車は、インベルストの名物でもあるんです。この祭りに参加するために、遠方から来る人もいるくらいです」

「なるほどー」

 確かにこれほどの規模のお祭りなら、相当集客力がありそうだ。王都住まいのルナが、パレードを楽しみにしていた理由もわかった気がした。

 この周りの喧騒、熱気。それらに当てられて、自然と気分が高揚して来る。しかし次は俺がこの盛り上がる観衆たちの前に立って花輪を投げなければならないという大役があった。

 上手くできるか、緊張していまう。

 そんな事を思い始めていた時、貴賓ブースの裏に一人の騎士が走り込んできた。

 ほとんどの来賓が、パレードの音楽でそれに気がつかない。

 騎士はカリストに何事か耳打ちした。

 瞬間、カリストの顔が青くなった。

「…お嬢さま!」

 カリストが俺を呼ぶ。

 ドキリとした。

 その声音に不穏なものを感じる。普段表情を面に出さないカリストの顔が、恐怖と驚愕に歪んでいた。

 俺はすぐさま席を立って、裏のスペースに赴く。

「緊急事態です。市内に、ま、魔獣が侵入しました…」

 な…なに…?

 どういう意味だ…?

 伝令の騎士が、俺の前に膝をついた。

「申し上げます!現在魔獣は旧市街区西地区、ウォール運河付近に突然出現致しました!現在周辺の警備隊が交戦しています」

 顔から血が引く。

 あの森で襲われた恐怖が蘇る。

 あの獣が、こんな人々がごった返す中に解き放たれる?

 それは、惨劇を意味するのではないか…?

「…数は」

 俺はかろうじてそれだけを絞り出した。

「不明です。しかし相当数が侵入している模様。西地区警備隊では押さえきれません!」

 何故だ。

 何故突然市内に…。

 豊穣祭警備で、定数の三倍の人員がインベルスト外周の警備についている筈だ。そちらからは何の知らせもこない。

 こつ然と市内に現れたのか…?

「被害は!」

 カリストが怒鳴る。

「不明!しかし既に市民に怪我人、犠牲者が出ている模様です!」

 くそ…。

 どうなっている!

 何が起こっている!

 俺は叫びだしたくなるのを抑えつけて、カリストに向き直った。

「カリスト。城まで伝令を。それと新市街方面の安全確保を。確保出来次第、市民たちを行政府に避難させて」

「ぎょ、御意!」

 カリストの命令を受けて、先ほどの騎士が駆けだしていく。

 その時だった。

 腹に来るような重い地響きが轟いた。

 俺とカリストは、ブースの表に走り出る。通りの向こう、西地区からの大路との交差点に差し掛かった巨大な山車が、土煙を立てて横倒しになっていた。

 悲鳴が上がる。

 人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 祭りの歓声は、一瞬にして悲痛な叫び声に塗り変えられた。

 貴賓席がざわめき始める。

「お嬢さま、退避を」

 カリストが俺の腕を掴んだ。

 俺はカリストを睨み付けて、腕を振り払う。

「警備隊を分けて、市民の避難誘導を。偵察を出して、魔獣の進行状況を確認して」

 俺はとりあえず考えつく限りの指示をだした。気を抜けば呆然とホワイトアウトしそうになる心を奮い起こす。

 考えろ。

 動け。

 大通りでは既に警備隊が市民に声をかけ、退避誘導を始めていた。しかし人々の本流は、次第にパニックに呑まれつつあった。

「カナデさま、これは…」

 近くの市民長が駆け寄ってくる。

 高い壁に囲まれた都市部で暮らす者にとっては、市内に魔獣が現れる事など想像もできないのだろう。

その報告を聞いた俺でさえ、まだ信じられない。

「大丈夫です。念のため、行政府まで避難を…」

 俺が何とか腹に力を込めて絞り出した笑みを向けてそう言いかけた時、周囲から一際甲高い悲鳴がいくつも上がった。

「なんだ、あれは…」

 誰かが呟く。

 俺は振り返ってそちらを見た。

 思わず息を呑む。

 横倒しになった山車。その周りの土埃が治まっていくそこには、無数の黒い何かが取り付き、蠢いていた。

 自然と嫌悪感が胸を突く。

 そして恐怖が…。

 黒い群の中に、ちかちかと星のように瞬く赤い光。

 目だ。奴らの。魔獣の目…。

 のそのそと黒いそれが這い出してくる。

 悲鳴。怒号。

 華やかな祭りの空気は、あっという間に真っ黒に塗り変えられた。

 愛馬スピラを活躍させられませんでした…。

 次からは戦いの回になりそうです。


 ご一読、ありがとうございました。

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