008 本町通りから大手御門へ
「まだ口が痺れる……火蜥蜴にでもなったのかと思ったぞ……」
「あの汁なし担々麺、スパイスきいてて本格的でしたね」
火を噴きそうなほど、辛い料理であった。
店を出て冷たい外気に当たっても、顔の火照りが収まらない。
同じものを食べたつむぎは、平気な顔をしているのに。
「辛い物は苦手でしたか? 次にお店を選ぶときは気を付けなきゃ……」
「大丈夫だ。確かに辛かったが、美味であった」
「ふふ。わかりました」
刺激は強かったが食がすすむ味で、働く者に好かれる味なのだろう。
そんなことを考えながら、つむぎと共に歩き出す。
「今の馬喰町のあたりは、江戸時代に旅籠街……宿泊施設が多かった場所なんです」
歩きながら、つむぎが町の昔の様子を話し始めた。
「旅籠街から西に向かう本町通りのあたりは、江戸の中心地でした」
「ふむ。ビルの背が高くなってきたな」
「このあたりはコレド室町という、商業施設ですね。向こう側に、コレド日本橋という建物もあるんですよ」
コレドと言うビルには、一階が路面から入れる店が多い。
ガラス張りの壁から、煌びやかに商品が並べられているのが見える。
「なんというか……上等そうな店が多いのだな」
「ええ。私じゃ気軽に買い物できないお店ばかりです」
少し恥ずかしそうに、つむぎがはにかむ。
さらに進むと、鉄の蛇電車の道と川が交差する場所に出た。
「この川の先が、かつての江戸城の郭内になるんですが……せっかくですから、日本銀行も見ていきましょうか」
「日本銀行?」
「あの緑の屋根の建物です。日本唯一の中央銀行で……ざっくり言うと【銀行の銀行】です」
つむぎが指さしたのは、やや古めかしい巨大な館。
今いるのは建物の裏手のようで、正面に向かって進んでいく。
建物の正面につくと、そこかしこに屈強そうな警備の者が立っていた。
「ずいぶん警備が厳重なのだな」
「はい。あ、写真も撮っちゃいけないみたいです」
少し残念そうにしながら、つむぎはこの地についての説明を始める。
「この建物が、上から見ると日本の通貨単位【円】の形をしてるっていうのが、有名なんですよ」
「ほう」
「大昔は金座という、小判など――昔の金貨を作る場所だったそうです。歴史を感じますよね」
「ふむ……城の近くだけあって、国を運営するのに重要な施設が多いのだな」
「そうなんですよ!」
我の言葉に嬉しそうな顔をし、つむぎは川の方を手で示す。
「そしてあそこの常盤橋を渡って、いよいよ郭内に入ります!」
車道を渡って少し回り道をして、空中の路の下にある古い作りの橋を渡る。
ややごつごつした石畳は、他の道とは年代の違うのが明らかであった。
だが橋を越えた場所は何か工事をしていたが、その先はビルばかり。
「……まだビルが続くではないか」
「ここ大手町は、大名屋敷や裁判所などの施設があったあたりですね。江戸城はもう少し行った、大手御門の先になります」
再び道を真っすぐに進みながら、楽しそうにつむぎが話す。
「ここを通って大名や旗本が、江戸城に登城――出勤していたんですよ。それを見学する旅行者もいたとか」
「そんなものを見て、楽しいものなのか?」
「有名人を見る感覚でしょうか……見学者に、旗本の情報が記載された冊子を売られたりしたそうですよ」
貴族や武将を見るのも、楽しみたりえるのか。
なんだか新鮮な感覚だ。
「城には少数の御供しか同伴できないので、残りの御供はこのあたりで殿の帰りを待っていたそうです。そんな御供相手に、食べ物を売り歩く商人もいたとか」
「冊子といい、食べ物といい……人が集まると、色んな商いが始まるものだな」
魔王城もいずれ栄えていけば、商人たちも集まるようになるのだろう。
同じようなことをする者も現れるのか……少し、不安になるな。
将来のことを想像しながら歩いていると、小さな広場に差し掛かった。
「あそこ……他と雰囲気が違うな」
広場の入り口から石畳が伸びていて、奥の石碑に続いている。
他にこれと言ったものは無いが、四隅には意味ありげな木が植えられていた。
丁寧に整備された、神聖性のある空間。
「見つけちゃいました……? あれは将門塚です」
「マサカドヅカ?」
「平将門という、千年以上昔の武将が祀られているんですが……」
説明を始めたつむぎの口調は、おどろおどろしいもので。
まるでゴーストのような伏し目になり、低めの声でゆっくりと語る。
「将門塚を移そうとしたり、粗末に扱うと、祟られる……そう、恐れられているのです」
「祟られる……?」
「何度か将門塚を潰して、他の施設を作る工事が、行われたのですが、その度に……関係者に死亡者が、続出したのです」
「そ、そんなことが……」
それほど強い呪いを、死後に発動する人間か。
平将門という武将、興味深いな。
「今はOtemachiOneという複合施設の一角に、丁重に祀られている……のが、こちらです」
「そんな恐ろしい場所というには、ずいぶん人が訪れるようだが」
つむぎの話を聞いている間にも、石碑に手を合わせている人間が何人か見受けられた。
そのような呪いの石碑に。
「『荒ぶる魂は願い事も叶う』と、願掛けにくる方もいらっしゃるんですよ」
「そ、そうか……」
人間の感覚とは、不思議なものだな。
いや、日本人固有のものなのだろうか?
少々混乱しながら歩く我の前に、皇居のお堀が見えてきた。
「さあ、大手御門が見えてきましたよ! この先は先日行った皇居の、北側のエリアで――かつて江戸城が建っていた場所です」




