007 ドリアードと馬喰横山
二回目の人間界へ向かう日――
玉座の間へ向かう廊下で、一人の従者と鉢合わせた。
「これはイピーニ殿」
「イザベル様! ご機嫌麗しゅうございます」
イピーニ殿は木の精霊種、ドリアードの女性。
先代グリートニア魔王の時代から、城で仕えている。
樹木のごとく長命で、博識な彼女の話はどれも興味深いものばかり。
こちらを振り向いた彼女の傍らには、一輪挿しの花瓶。
「花を生けていたのですね」
「ええ。手慰みですわ」
普段は魔王城の広大な庭の、樹木の手入れを担当しているイピーニ殿。
まさか城内の花まで、生けていたとは。
「あの……もしお気に召さないのでしたら、すぐに片付けますわ」
我が花に見入っていたせいか、イピーニ殿が頭を下げる。
不興を買ったと、勘違いさせてしまったようだ。
「いえ。城の花はメイドたちが生けていると思っていたので、少し驚いただけです」
魔王城にはこのような一輪挿しが、いたるところに置いてある。
それも常に枯れることなく、手入れされているのだ。
まさかイピーニ殿が、庭木とともに管理していたとは。
「あなたの花は、城で働く者の癒しとなりましょう。ありがとうございます、イピーニ殿」
「まぁ! うふふ」
誤解が溶け、イピーニ殿は柔らかい笑顔に。
彼女はそのまま、嬉しそうに会話を続ける。
「噂と違って、イザベル様はとてもお優しいのですね」
「……噂とは、どのような?」
「蛇竜の魔王を一撃で征する、鬼神と――」
「それは……その通りです」
まさか御前試合があのような結果になるとは、我も予想していなかった。
改めて言われると気恥ずかしくなり、言葉に詰まってしまう。
返事に困っているうちに、我はあることを思い出す。
「ああそうだ。良かったらこれを、イピーニ殿に差し上げます」
「まぁ……とても素敵な絵ですこと」
取り出したのは、光摂殿の案内書。
紙がピッタリ重なっているのに気づかず、同じものを二枚持ち帰ってしまっていたのだ。
「先日、人間の世界で見た天井画です。あなたの花を見て、この天井を思い出しました」
「それは、至極光栄ですわ」
イピーニ殿は大事そうに、案内書を受け取ってくれた。
そして興味深そうに、天井画の絵を見つめている。
「では、そろそろ失礼いたします」
「ええ。ごきげんよう、イザベル様」
手短に別れを告げ、我は玉座の間へ向かった。
■■■
モリーの転移門をくぐり、人間界へと降り立つ。
降り立ったのはつむぎに指定された、馬喰横山という駅。
「ここは……地下通路か?」
太陽の当たらぬ、タイルに囲まれた長い通路。
地下の割には、天井が高い。
そして地上に出るための階段が、そこかしこに設置されてる。
「イザベルちゃん、こんにちは!」
「つむぎ!」
「すみません、またお待たせしちゃいましたね」
「我も今来たところだ」
背後の改札から、つむぎが駆け寄ってきた。
今日はどんな場所を案内してくれるのか、彼女の顔を見るだけで気分が高揚する。
「馬喰……変わった名前であるな」
「かつて馬の売買や管理をしていた博労という方々がいて、それと同じ読みの馬喰になったとか。それ以外にも、戦の際に馬揃えをした馬場があったりと、馬と関係の深い場所なんですよ」
「そうなのか」
由緒ある地名なのだな。
それにしてもふと口にした言葉にも、すぐに答えを出すとは。
つむぎは本当に、博識である。
「じゃあ、さっそく行きましょうか。そこの階段から地上に出ましょう」
「うむ」
つむぎに案内され、改札近くの階段をのぼり地上へ向かう。
外に出ると、相変わらず高い建物――ビルに囲まれていた。
「相変わらずの高い建物ばかりだが……前回と、少し雰囲気が違か……?」
「平日で、ビジネスマンも多いからかな? ここ馬喰町は、衣料品の問屋街なんですよ」
「トンヤガイ?」
「ええっと……お店や企業が商品を仕入れるお店、です」
「ふむ」
大きな通りに出ると、布巾やタオルを大量に並べている店が何軒か目につく。
それにスーツと言う服を着た人間が、多く行き交ってる。
あたりを見回していると、つむぎが話しかけてきた。
「今日はここから東御苑に行こうと思うのですが……イザベルちゃん、お腹は空いていませんか?」
「そうだな……そこまでではないが……」
「食べるなら今ですよ! ここなら安くて美味しいお店が、たくさんあるんです!」
食事の話になり、急に熱弁を始めるつむぎ。
その熱量のすごさに、おもわず圧倒されてしまう。
「日本橋まで行っちゃうと、ランチでもお値段倍以上しちゃいますし、皇居まで行ったらしばらく食べる場所ないですし」
「ふふ……あははは! つむぎは食べることとなると、ずいぶん真剣になるのだな」
真剣に語り続けるつむぎに、笑いが込み上げてくる。
そういえば増上寺でも、やけに食事のことを気にしていたな。
あのときは祭りを楽しみたいのだろうと、思っていたが……。
存外つむぎは、食べることが大好きなのだな。
「そんなに笑わないで下さい! もう、本当に重要なことなんですよ!」
「わかったわかった。ではこのあたりで、食べていくとしよう」
馬喰横山の駅の近くには、つむぎの言う通り美味しそうな料理の看板がいくつも並んでいた。
この地で働く者達の食事を支えているのだろう、良心的な価格設定。
我らはその中から一軒の酒場を選び、居酒屋ランチなるものを堪能することにした。




