004 愛宕神社・出世の階段
増上寺のまつり屋台で腹ごしらえをして、次の目的地へ向かう。
プリンスホテルと書かれた大きな建物の脇を抜け、やや狭い道へと出る。
山に沿って作られた道なのか、しばらく坂が続いた。
「たしかこっちのはず……あ、トンネル! ということは、男坂はこっちですね」
つむぎが目印にしたのは、小高い山をくり抜いたトンネル。
人工の建造物ばかりに気を取られていたが、このような自然の地形もあるのだな。
「あったあった! イザベルちゃん、こちらが愛宕神社です!」
「なっ……!?」
目の前に現れたのは、深紅の巨大な門――鳥居といったか。
そしてその奥、はるか上空に続く石階段。
「石階段しか見えぬのだが……」
「はい、この階段の上にあります」
「…………」
最初に会ったとき、我の服装を気にしていたのはここのせいか。
魔法で飛んでしまえばどうということは無いが、人のように歩いて登るとなると、少々のしんどさがあるな。
「この階段は【出世の石段】と言われていて、徳川家にまつわる逸話があるんですよ」
「ほう、トクガワの……。それはどのような話なのだ?」
問い返すと、つむぎは「コホン」と軽く咳払いをする。
そして語り部のように、ゆっくりとした口調で語りだす。
「三代将軍徳川家光公が、増上寺へご参詣の帰り、ここを通りかかります」
「ふむ」
「石段の上には、梅の花が満開でした。そこで家光公は『誰か馬にてあの梅を取って参れ』と命じます」
「馬で、この石段を……?」
トクガワとやら、なんと無体な……我でももう少し、手法には考慮するぞ。
逸話に戦慄している我を横目に、つむぎの語り続ける。
「誰もが怖気づいて下を向く中、石段を馬で駆け上がり梅の枝を手折って降りてきた者がいました」
「おお!」
「その者は曲垣平九郎といい、家光公に『日本一の馬術の名人』と讃えられ、全国に名をとどろかせたそうです」
急なハッピーエンドに、ほっと胸をなで下ろす。
しかしオチを聞いてしまうと、何だか真実味がないな。
「興味深い話だが……なんとも信じがたい。人間にそのようなことが出来るのだろうか?」
「江戸時代以降も、馬での上り下りに挑戦して成功した方が、何名かいらっしゃるらしいですよ」
「そ、そうか……人間とは、侮れないものだな」
後年になって、逸話をなぞる者もいたのか。
それだけ、この地の者には有名な叙事詩なのだろう。
「さて、少し写真を撮ってから登りましょう。帰りは裏の女坂から降りるので」
「うむ、わかった」
石段の前につむぎと2人で並び、下からあおりで写真を撮る。
奥行きのある石段のおかげで、迫力のある絵が撮れたと思う。
「それでは、お邪魔します」
大鳥居の前で、ぺこりと一礼するつむぎ。
これに倣い、我も一礼してから石段を登り始めた。
「結構、段差があるな……」
「はい……一気に登らないと、動けなくなっちゃいそうです」
でこぼこした石段は、傾斜もかなり急である。
正直下を見ると、我でも少し怖いと思うほどだ。
だが石段の途中には「階段を利用したトレーニング禁止」の旨が書かれた立て札があり、この地に戦士の存在がうかがえる。
「はぁ……はぁ……」
「一気に登るのではなかったのか?」
「そんな、ヒールで……イザベルちゃん、すごい……!!」
少し遅れるつむぎの様子を見つつ、少し前を登っていく。
ほどなくして、石段の頂きに到達した。
「ふむ……想像していたより、閑静な場所だな」
こじんまりとした鳥居の先に、いくつかの館と社が並び立つ。
右手には清らかな小池があり、色鮮やかな魚がゆらゆらと泳ぐ。
小池の手前の日向では、白猫がすやすやと昼寝中。
先程の増上寺よりこじんまりとした場所だが、また違った趣の神聖性が感じられる。
「はぁ……はぁ……お待たせ、しました」
少し遅れて、つむぎが頂上にたどり着く。
息を整えながら、後ろを振り向くつむぎ。
視線の先には、建物がずらりと並び立っている。
「ビルしか見えないか……かつて江戸の時代では、ここから東京湾や房総の山々が見えたらしいですよ」
「ボウソウ?」
「東京のお隣、千葉県の半島エリアのことです」
「そうか」
失われてしまった景観に、つむぎは少し残念そうな顔をした。
それにしても……そんな見晴らしの山をも越える建造物の数々。
人間の物作りに対する情熱、凄まじいものだな。
「それじゃ、さっそくお参りしましょうか」
「オマイリ……」
「神様に、ご挨拶するんです」
「神に、挨拶……!?」
「まずはお手水でお清めをしますよ」
突拍子のない事を言うつむぎに連れられ、柄杓の並ぶ清らかな水場に向かう。
独特な作法で手や口を清め、神聖な雰囲気の館の前に赴く。
「ここが、神の住まい……」
「社殿ですね。あそこのお賽銭箱にお金を入れて、参拝します」
館――社殿の前には、格子の天板の箱が置かれている。
あそこに金を、投げ入れるのか。
「参拝作法は二礼二拍手一礼……二回礼をして、拍手を二回して、もう一度礼をします。私がやる動作を、マネてみてください」
「わかった」
「最後の礼のときに、お願い事をしたりするのですが……私は基本的に、その土地での旅の無事や充実を、願います」
「ふむ……そうなのか」
「それじゃ、いきますよ」
つむぎは静かに小銭を箱に投げ入れ、姿勢を正す。
美しい所作で二回礼をし、二回手を叩く。
そして最後に目を閉じ、頭を垂れた。
「…………」
願いは、口に出さないものなのだな。
一連の動作を真似、社の前で頭を垂れる。
我の願いは――魔界グリートニアを、良き場所にすること――
しばらくして頭をあげると、つむぎが静かにこちらを見ていた。
「それじゃ、行きましょうか」
「……ああ」
変わった作法の儀式が続いたが、終わってみると清々しい気分だな。
感慨にふけりなが社の門を出ると、つむぎが思い出したように右手方向を指さす。
「そうだ。こちらが、家光公が手折ってくるように命じた梅の木です」
「これが……」
逸話の花の木は、支柱に支えられた老木であった。
細々とした枝ぶりだが、根元の幹の太さからかつての雄大な姿がうかがえる。
「梅が咲くのは二月ごろなので、今はちょっと寂しいですね」
「なら……また咲くころに、来るとしよう」
「ふふ。そうですね」
数百年前の時を切り出したかのような場所、愛宕神社。
その裏手の女坂をくだり、我らは再び現代の東京へと戻って行った。




