隠された
そこは仄暗い闇の底だった。
赤黒い霧のようなものが立ち込める、深い深い奈落の底。
アビゲイルはそこで目が覚めたのだ。
周囲はおどろおどろしく、普通なら恐怖を抱くだろう。
だが不思議と、アビゲイルはその場所が怖いものだと思えなかったのだ。
むしろどこか落ち着くというか……。
『――やはり繋がるのだな』
「――!?」
突如後ろからぼやけた声が聞こえ、アビゲイルは勢いよく振り返った。
「…………」
そこには、一人の男性がいた。
燃えるような赤い髪と、宝石のように美しい赤い瞳を持った人は、似た瞳を持つアビゲイルを見つめる。
「……あなた…………」
アビゲイルはその人が誰なのか一瞬で分かった。
この世のものとは思えない美しい赤を持つ美丈夫。
首元にある傷の跡のようなものは目立つけれど、これほどの美しさは、人ではないだろう。
なら、答えは一つだ。
「――死の、神……」
「お前たちはそう呼ぶのだったな」
先ほどまでのぼやけた声とは違い、今度ははっきりと聞こえた。
死の神と呼ばれた彼は、特に否定することなく口を開く。
「ここにお前を呼んだのは我だ」
「……でしょうね」
アビゲイルはちらりと周りを見る。
なにもない闇の世界は、ひどく冷たい。
少なくともこんなところに呼ばれていい気はしないなと、アビゲイルはため息をこぼす。
「だが居心地は悪くないだろう?」
「……心でもわかるの?」
「我とお前は繋がっているからな」
繋がり。
その言葉を聞いたアビゲイルは、無意識にも目元に触れた。
彼との繋がりと言えば、真っ先にこの赤い目が思い浮かぶ。
そんなアビゲイルの心を読んだのか、死の神は首を振った。
「そんな陳腐な繋がりではない。……まあ、その美しい瞳は我と同じだがな」
「それはどうも」
ここ最近瞳を褒められることが増えすぎて、どう反応したらいいかわからなくなってきた。
ただのコンプレックスだったはずの瞳を、美しいという人々。
正直、困る。
「――」
そんなことを思い、ふと瞳を伏せた時だ。
――アビゲイルの指先が、消えていた。
「ふむ。繋がりは強くなれど、まだまだ自由にできるわけではないようだな」
「…………あなたは、復活するの?」
ここにいれる時間はあまりないようだ。
なら聞きたいことを聞こうと問いかければ、死の神は眉を寄せた。
「当たり前だろう。そもそもこんなところに閉じ込められていることすら不愉快なのだ」
「そのせいで人が……世界が滅んでも?」
死の神が復活すれば、世界は滅ぶと言われている。
そしてそれを止めるのがアリシアとも。
そんなことを望むのかと疑問を投げかければ、彼は鼻で笑った。
「なるほどな。お前の記憶からある程度理解はしていたが……。馬鹿馬鹿しくて腹が立つな」
ピンっと空気が張り詰める。
一瞬にして重くのしかかるような殺気が飛ばされ、アビゲイルはごくりと喉を鳴らした。
明らかに機嫌を損ねたのだろう死の神は、不安に揺れるアビゲイルの瞳に気づき殺気を消し去る。
「おっと、悪かったな。安心しろ。我がお前に危害を加えることなど、万が一にも無い」
カラカラと笑う死の神は、アビゲイルのほとんど消えている手元を注視した。
「……ふむ。時間がないな。今からいうこと、夢から覚めても忘れるなよ」
「そんなこと言われても……!」
目が覚めた時覚えているかどうかなんてわからない。
光の粒子となり消えていく体で、アビゲイルは必死に首を振ったが、死の神は構わず続けた。
「戯言に惑わされるな。真実は隠されている。……お前はそれを、知っているはずだ」
「なにをいって……」
「大丈夫。お前なら全て思い出せるはずだ」
体が消える。
意識が遠のく。
ふわふわとした意識の中、最後に見えたのは優しく微笑みかける死の神の姿だった。
「愛している。――」
パチリと目を覚ましたアビゲイルが見たのは、最近やっと見慣れてきた天井だった。
学院にある寮の部屋。
質素な作りながら使い勝手のいいそこの天井は、白く美しい。
そんな天井に一瞬明かりが差し込み、薄暗い室内で、アビゲイルはゆっくりと上半身を起こした。
ふわふわのベッドの上。
寝癖で髪がぴょんぴょんと跳ねる中、ぼーっとシーツを眺めた。
「……」
なんだか頭に霧がかかったように重たい。
寝ていたはずなのに、疲れがとれていないように体が疲弊している。
「………………したく、しなきゃ」
それでも授業の支度をしなければと、アビゲイルはベッドから降り窓際まで向かう。
分厚いカーテンを開ければ、雨に濡れる窓が現れた。
曇天の空は時折光り、ゴロゴロと音を鳴らす。
どうやら嵐がきているらしい。
学院まで濡れずに行ければいいのだが……と、反射で自分の顔が映る窓を眺める。
「…………」
眠そうな目元はまたしても鈍く光る。
「……なんか、強い?」
瞳の光り方がいつもと違う気がして見つめていると、ゴオッ! と音を立てて近くに雷が落ちた。
「――びっ、くりした……」
パチパチと瞬きをくりかえると、不自然な瞳の光りが消えていた。
どうやら寝ぼけていただけのようだと腕を上げ、体を伸ばす。
「さ! 授業授業」
身支度をしようと窓から離れようとした時、アビゲイルの瞳は一層強く輝きを放った。
「――わかってるわ。全てを思い出す。……でしょ?」




