トロイの木馬
「そんなに気負う必要はないだろう。アビゲイルはただ話をしにきただけだ」
「――グレイアム……」
アビゲイルの後ろからやってきたグレイアムに、アリシアは大きく目を見開いた。
「さっき言ってただろう? アビゲイルに対して悪かったと思うのなら、話くらいはするべきだ」
「ただのお話よ。……ちなみにそちらは?」
アビゲイルは見覚えのない男性へと視線を向けた。
一応グレイアムから話は聞いている。
彼はアリシアの攻略対象という存在らしく、彼女に恋をする未来の騎士らしい。
彼はフェンツェルの貴族でありながらアリシアに恋をして、彼女と共に死の神を封印する旅に出る。
彼とのルートにアリシアが入ると、アビゲイルの死は胸を剣で突かれて……になるらしい。
スチルが嫌だったと、眉間に皺を寄せながらよくわからないことを言っていた。
「――失礼いたしました。フェンツェル王国伯爵、ジョージ•ルーウェルと申します」
「はじめまして。エレンディーレ王国第一王女。アビゲイル•エレンディーレです」
優しく微笑みながら自己紹介をすれば、ジョージの瞳に変化が現れた。
彼はアビゲイルを見つめたまま、瞳孔を少しだけ広げる。
その反応は決して嫌なものではなく、どちらかといえば好意的に思えた。
そういえば彼は赤を神の色と信仰するフェンツェルの出だったなと思い出し、瞳にそっと力を込める。
フェンツェルで褒めそやされたその瞳を、最大限有効活用しよう。
「妹と仲良くしてくださってありがとう。……オルフェウス国王陛下とは仲良くさせていただいてるわ」
「――国王陛下と? そ、そうなのですね」
「フェンツェルに行った際、シリル……侯爵にご紹介していただいたの」
「ウィンベル侯爵ですか! それに我が国にまで、わざわざ足を……? ありがとうございます」
どうやら素直な人らしい。
嬉しそうに頰を赤らめる姿に、なんとなくレオンを連想させた。
そう思うと邪険に扱えなさそうで、アビゲイルは軽く頭を振った。
「二人でお楽しみのところ申し訳ないのだけれど、アリシアとお話ししていいかしら? もちろんあなたもいてくださって構わないわ」
「…………」
ジョージはちらりとアリシアを見る。
どことなく顔色の悪い彼女に気づき、どうしたものかと口をつぐむ。
これは先手を打たないとあれこれ言われて逃げられるなと察したアビゲイルは、テーブルへと向かうと椅子に腰を下ろした。
「座りましょう? 立ったままお話なんて嫌だもの」
「あ、…………はい」
アリシアはどうしようかと一瞬悩んだようだが、逃げられないと察したのだろう。
渋々椅子に腰を据えた。
アビゲイルの隣にはグレイアムが。
アリシアの隣にはジョージが。
それぞれ座った。
「さて。――久しぶりね? 元気にしてた?」
「……お姉様も、お元気そうで」
「元気よ。とってもね」
アリシアはなんともいえない顔をして黙り込む。
この場を納得できてないのだろう。
まあ仕方ないかと、その不満そうな顔は見ないことにした。
「学院に来てから、なかなかアリシアとお話しできなかったから。ごめんなさいね、こんな強引に」
「…………いえ」
不満そうな声。
そんな声をアリシアから聞いたことがなかったのだろう。
ジョージが驚いた顔をする。
「私たち、ほとんどおしゃべりなんてしたことがなかったでしょう? だから学院にくれば、あなたとお話しできると思って」
「…………そのために、わざわざ?」
「私にとっては大切なことよ」
復讐への一押しになるかもしれないのだ。
そのためにならなんでもやる。
そんな思いで口にしたその言葉に、アリシアの瞳が一瞬きらりと光った。
「――お姉様。この学院は、人々の学びのためにあります。ここにいる人たちはみな必死に、自らの知識を磨こうと努力しているのです」
あ、と気づいた時にはもう遅かった。
どうやらアリシアに、反撃の機会を与えてしまったらしい。
彼女は澄み渡る青空のような瞳を、まっすぐにアビゲイルへと向けた。
「そのような不純な動機で来たなどと、おっしゃるべきではありません」
ふむ、とアビゲイルは顎に手を当てた。
やはり言葉というのは難しい。
人と話すことを得意としていなかったアビゲイルには、まだまだ弱いところがあるようだ。
こんなふうに、簡単に覆されてしまう。
「……そうね」
こうなったら作戦変更だ。
ここで無理やりアリシアと話をしても、アビゲイルにとっていいことはないだろう。
なら目標をすり替えるだけだ。
「――ごめんなさい、アリシア」
そう。
かわいそうな子を表現することは、造作もないのだから。
「あなたとおしゃべりしたいと思ったのは本当なの。……でもそうね。私の発言が悪かったわ」
アビゲイルは謝りつつも立ち上がると、申し訳なさそうに瞳を伏せた。
「あなたの言うとおり、ここは学びの場。……そんなところにまで来て、妹と話がしたいなんて言う姉は、きっと変よね」
「――そ、」
「ごめんなさい。気分を害させてしまったようで。……もう、話したいなんてわがままは言わないわ」
アビゲイルは頭を下げると、踵を返した。
そのまま歩こうとするが、数歩足を進めて立ち止まると小さく振り返った。
「アリシアのこと、怒ってなんてないわ」
それだけ言うと、アビゲイルは今度こそ庭園を出て行くために足を進めた。
「…………うまくいったな」
ぼそりとつぶやかれたグレイアムの言葉に、アビゲイルは口端をあげた。
やはりグレイアムは気づいていたようだ。
アビゲイルの狙いが途中から逸れたことに。
「――可愛い子ね」
アビゲイルが申し訳なさそうにすればするほど、アリシアの隣にいたジョージの顔が歪んだ。
哀れみを込めたその表情は、彼が役立つことを教えてくれた。
「使えるものは使わないとね」
「まるでトロイの木馬だな」
「なにそれ?」
「……あとで話すよ」
グレイアムはそう言うと、アビゲイルの腰にそっと手を回した。




