サイン
「さて、まずは婚約おめでとう。僕としては大変嬉しくないが、お祝い事ではあるので祝辞を述べておこう」
「ありがとうございます」
しれっとヒューバートからすごいことを言われたのだが、同じくしれっと返事をしたグレイアムを横目で確認する。
なんとなくヒューバートがどういう反応をするかわかっていたのか、特に気にした様子はない。
「今回の婚約、なかなかに大変だったんだぞ。ぜひとも褒めて欲しいくらいだ」
そう言いながらアビゲイルをチラチラ見てくるヒューバートに、心の中で子どもか! とツッコミを入れる。
もちろん表情には出さず、むしろヒューバートを讃えるため拍手を送った。
「さすがお兄様です。とっても感謝しております」
「――そうか! まあ、可愛い妹のためだ。兄としてこれくらいはな!」
鼻を高くするヒューバートに少しだけ手を叩く音を大きくしつつ、アビゲイルは話の続きを諭した。
「それで、手続きというのはどのようなことを……?」
「ん? ああ、そういえばそうだったな!」
自分が呼び出したのに、内容を忘れていたらしい。
ヒューバートは慌ててごちゃついているテーブルの上を探し、中から書類を一枚取り出した。
「これだこれ! アビゲイル、ここにサインをしてくれ。グレイアムはこっちだ」
渡された書類を確認すれば、それは学院への推薦状だった。
きちんと国王のサインもしてあり、確かにこれなら断られることはないだろう。
ちらりと横を見れば、グレイアムのほうにも似たようなサインがしてあった。
「それにしても急に学院に行きたいとは……なにかあったのか?」
「普通に学びたいと思っただけです。自分になにが向いてるかわかりませんが、フェンツェルとの件もありますから、学んで損はないでしょう?」
「……ふむ。まあ妹がやりたいことをやらせてあげるのが、いい兄というものだろう!」
まさかアリシアと接触するためだとはいえない。
なので勝手に納得してくれるなら、たいへん都合がいいと微笑みを返す。
「いいか? アビゲイル。学院というのは本来学びたいことを突き詰めるために行く場所だ。お前のようにやりたいことを探すものは少ないだろうが、だからといって卑屈になる必要はない。お前にはこの兄であり、偉大な国王、ヒューバートがついているのだからな!」
「ありがとうございます。お兄様」
話半分で聞いていたアビゲイルは、まだ喋りそうなヒューバートを止めるため、話の内容を変えることにした。
「そういえばお兄様。――ピストルというものをご存知ですか?」
「……そうか。フェンツェルの国王と話したんだな?」
先ほどまでの楽しそうな表情から一変。
ヒューバートは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「知ってる。貴族たちが隠れて作っていた、最低最悪の兵器だ」
「貴族たちだけか?」
サインを終えたグレイアムが顔を上げると、ヒューバートはアビゲイルから視線を逸らす。
「……いや。叔父が関与していた」
「――……叔父様、ですか」
前国王、アビゲイルたちの父親には腹違いの弟がいた。
王位継承件をかけて争ったらしいが、負けて王都を追われたはずだ。
そんな人が関わっていたなんて……。
「そんな兵器を作ってるなんてバレたら、他国から攻められてもおかしくない。父上の代から秘密裏にされていたようだな」
「それが侯爵家の件で露見したと……?」
「国王の名の下全て押収したが、いくつか他国に流れてしまったらしい」
「どこの国かお分かりですか?」
ヒューバートはこめかみあたりを二度ほどかく。
「……フェンツェルだけであってほしいと願ってるところだ」
なるほど。
つまり流出先を全てわかっているわけではないということだ。
もちろん可能な限り調べたからこそ、フェンツェルに流れていると知れたのだろうが。
もしあの武器が戦争推進国であるチャリオルトに流れでもしたら……。
想像するだけでゾッとする。
「チャリオルト国との交友はどうなんですか?」
「チャリオルトの王は自信家でな。僕とは相性が悪い」
ふりふりと手を振るヒューバートは、気分が悪そうにそう口にした。
よほど嫌いなのだろう。
なるほど同族嫌悪というやつかと、アビゲイルは眉を寄せた。
「チャリオルトと友好関係をきずければ、話は変わるのでは?」
「国同士とはいえ、国王も人間だ。簡単にはいかない」
「……そうですね」
ヒューバートにやる気がないのなら、チャリオルトと友好関係をきずくのは難しいだろう。
やはりここはフェンツェルとの取引を、迅速に進めるべきだ。
「フェンツェル国王陛下には手紙をお送りいたしました。友好に向けて進めていきましょう、と」
「そうか。必要なことはするが、やりとりはアビゲイルに一任する」
「わかりました。お任せください」
元よりそのつもりだったので頷けば、ヒューバートは表情を軽くした。
「持つべきものはできる妹だな! 全く。アリシアもアビゲイルを見習うべきだ!」
「……そういえば、アリシアはどうしているんですか?」
「さあな。学院で有名貴族と親しくしているとだけ聞いている。あれは結婚してここを出ていくことしか考えてないからな」
「……そうなんですね。学院で会えるのが楽しみです」
彼女のために行くのだから、今から会えるのが本当に楽しみだ。
そういって微笑むアビゲイルの瞳は、やはり鈍く光っていた――。




