ギクシャクしつつも
グレイアムとの婚約が正式に結ばれたと、ヒューバートから手紙が届いた。
その件と、そして学院への入学手続きも兼ねて、王宮に来てほしいとのことだった。
アビゲイルはヒューバートの手紙を手に、グレイアムと共に馬車に乗る。
「…………」
「アビゲイル? 大丈夫か?」
「――大丈夫よ」
嘘。
本当は大丈夫じゃない。
アビゲイルにとって、王宮とは牢獄だ。
あそこの全ては、アビゲイルにとって優しい場所じゃない。
「あなたがいるもの」
トラウマがある場所だからこそ、向かわなくてはならないのだ。
克服するためにも。
前に進むためにも。
「そういえば学院? って、どういうところなの?」
「基本的には専門的知識を得に行くところ、だな。アリシアは薬草学に長けていて、薬草学の学科に通うようだ」
「なるほどね……。なら私も、薬草学を学ぶわ」
「薬草学ならララとリリが詳しい。帰ったら聞いてみるといい。エイベルに言って専門書も取り寄せよう」
「ありがとう」
ガタゴトと音が鳴る馬車は、やがて王宮へとたどり着いた。
誰もが憧れる美しい王宮。
だがアビゲイルには違う。
ここは、ただの牢獄だ。
「――さあ、行こう」
「……ええ」
公爵家の馬車を出迎える護衛の人々。
彼らの視線はとても冷たい。
刺さるような視線を向けられて、アビゲイルは表情をなくす。
ひそひそと聞こえてくる声には嘲りが混ざっている。
――ああ、嫌ね。
くすくす、くすくすと笑う声には慣れている。
そこに軽蔑が混じることも。
けれど慣れないことがある。
それは、自分のせいでグレイアムが笑われるということだ。
『禁忌の赤目と婚約した物好きが来たぞ』
『気色の悪い禁忌の女と婚約するなんて、公爵はなかなかのご趣味で……』
『公爵は呪われたのでは? あの赤目王女に恋をするように、操られているのでは……?』
そんな言葉を耳にする。
あまりにも不愉快な雑音にアビゲイルが眉を寄せた時だ。
前から侍女を数人連れてカミラがやってきた。
彼女はアビゲイルたちの前までやってくると足を止める。
「…………」
「…………」
沈黙が廊下を支配する。
カミラの後ろにいる侍女たちはアビゲイルを見てくすくすと笑い出し、アビゲイルの後ろにいる衛兵は冷めた視線を向けてくる。
そんな中、カミラとアビゲイルはお互いに見つめ合う。
数秒後。
先に動いたのはカミラだった。
「――ヒューバートに……国王陛下に会いにきたのでしょう? …………案内するわ」
「……ありがとうございます。王太后陛下」
アビゲイルが頭を下げれば、カミラはそれを一瞥し踵を返す。
その光景に侍女たちは信じられないと目を見開く。
当たり前だ。
過去のカミラなら、勝手なことをしているアビゲイルと顔を合わせた時点で、軽蔑の眼差しを向け穢らわしいと蔑みの言葉を浴びせたことだろう。
それがまさか国王への案内を自ら進み出るなんて……。
事情を知らない人たちからしてみれば、わけがわからないはずだ。
だがカミラの行動を理解できるアビゲイルとグレイアムは、特に驚いた様子もなく彼女の後をついていく。
「…………」
「…………」
またしても沈黙。
ヒューバートの元へ向かう一行は、誰と一人して口を開くことはない。
コツコツと靴の音だけを響かせていると、不意にカミラが口を開いた。
「……学院に通うんですってね」
「――え、あ、はい。そうです」
まさかカミラから話しかけられるとは思ってなかった。
驚くアビゲイルにカミラは眉を寄せつつも、ゆっくりと口を開く。
「…………教授に迷惑をかけぬよう、ちゃんと勉強なさい」
「………………は、ぃ」
まさかそんな親みたいなことを言われるとは思わなかった。
ぽかんとするアビゲイルに、カミラはちらりとだけ視線を向ける。
その表情からカミラの感情を読むことはできないが、きっと努力の末の発言なのだろう。
それにしてはたいそう上から目線だが、まあなんとか絞り出した言葉なのだろうと納得することにした。
レオンとの件、相当堪えているようだ。
「――ここに陛下がいらっしゃいます。……ご迷惑をかけぬよう、気をつけなさい」
「ありがとうございます」
結局それ以外の会話はなく、カミラは一つの部屋の前まで案内すると、颯爽と去っていった。
その後ろ姿を見つつ、アビゲイルは小さく笑う。
仕方ないから、今日のことはレオンに伝えておいてあげよう。
そう決めて、扉の前にいる衛兵を見る。
彼らは戸惑いの表情を見せつつも、カミラが案内した客人ということで、邪険にも出来ないのだろう。
しばしの沈黙ののち、部屋の中へと声をかけた。
「――陛下。……ブラックローズ公爵様がお越しです」
「通せ」
中から許可をもらい、音を立てて扉が開かれる。
そこは国王の執務室であり、生まれて初めて入る場所だった。
父が生きていたころ、アビゲイルはここに立ち入りを許されていなかった。
それがまさかこんなタイミングで、入ることになろうとは。
壁際にびっしりと詰められた本棚。
床に落ちている書類たち。
その中で一人、ヒューバートは机に向かって書き物をしていた。
忙しそうにペンを走らせていたヒューバートは、やってきたアビゲイルたちに向かって優しく微笑んだ。
「よく来た! 我が妹アビゲイル! その婚約者であり、我が友グレイアム! さ、中に入って話をしよう」




