こない日
「――あ、あなた……っ。れ、おん、なの?」
「…………ああ。そうだ」
「っ――! ……ああ、やっと……」
カミラは立ち上がるとフラフラと足取りがおぼつかない様子で、しかし確実にレオンの元へと向かう。
まるで助けを求めるように手を伸ばし、カミラの白く美しい指がレオンの頰に優しく触れる。
「……ああっ! 私の愛しい子! 本当に、お前なのね……?」
そこにいることを確かめるように、なんども傷一つない指先が頬を撫でる。
カミラはその間もじっと、レオンを見つめ続けた。
「……その目、あの人にそっくりだわ」
「…………」
「鼻と口は私に似てるわ。生まれた時と変わらない……」
カミラは感極まったのか、ポロポロと涙をこぼしながらゆっくりと両手を伸ばし、レオンに抱きつこうとした。
だがしかし、それをレオン自身が避けることで止める。
「やめてくれ。俺は姉ちゃんの願いでここにいるだけで、あんたを母親だなんて思っちゃいない」
「――」
ひゅっと音を立ててカミラが喉を鳴らす。
傷ついたのだろう。
カミラは一歩二歩と後ろに下がる。
「俺にとって、あんたは無だ。生まれたときからいないものだった。……それを今更母と思えなんて、虫がよすぎるだろう」
「…………そ、そう、ね……。そう、よね」
カミラはたまらないと近くのソファへと、倒れ込むように腰を下ろした。
顔を覆いなにも見たくないと言いたげなカミラに、しかしレオンは続ける。
「ここにきたのも姉ちゃんのためだ。姉ちゃんがあんたが探してるって……俺を、見つけてくれたから」
「…………アビゲイルのこと、その……慕ってるのね」
「半分は血の繋がった姉弟だからな。それに俺を探し出して助けてくれたんだ。慕わないわけがないだろ」
レオンは言葉に感情を込めることなく、淡々と続ける。
「姉ちゃんの願いだからここにいる。……それ以上を求めないでくれ」
「………………姉と、呼ぶのね。私のことはあんた、なのに」
「そんなあんたは実の娘を化け物呼ばわりだ」
レオンの声に怒気がこもり、黙って聞いていたアビゲイルですら驚いてしまう。
優しい子だとわかってはいたが、まさか自分のことではなく、アビゲイルのために感情を露わにするとは思わなかった。
「姉ちゃんから話は聞いてたが、まさかあんなこというなんて思わなかった。……実の親だからこそ、信じられなかったし……恥ずかしい」
「…………」
カミラの顔はもう、青を通り越して紙のように白くなっていた。
レオンの好きなようにとは言ったけれど、さすがにこれ以上はかわいそうかと口を開く。
それにレオン自身のことなら望むままやらせるつもりだったが、今彼が怒っているのはアビゲイルのためだ。
なら止めるのもアビゲイルの仕事だろう。
「レオン。ありがとう。もういいわ」
「――でもっ! 姉ちゃんのこと……実の娘なのに化け物って……」
「私は大丈夫よ。……思ったよりもダメージを受けてないの。――きっと、あなたたちがいるからね」
幼いころのアビゲイルにとっては、母という存在は大きかった。
無意識に求める対象が母であったからか、彼女から拒絶されるというのは、世界に拒絶されるに等しい。
しかし今は違う。
今のアビゲイルの世界には、グレイアムやレオン。
エイベルやララ、リリといった公爵家の人たちもいる。
彼らから愛されているという自覚があるだけで、アビゲイルの心は何倍も強くなれるのだ。
「お母様。レオンはこう言ってますが、実際はギリギリまでお母様との関係を悩んでいました」
「――姉ちゃん!」
「事実でしょう」
カミラのことを気にしていないなら、アビゲイルにどうすればいいかなんて聞いてこないはずだ。
レオンはなんだかんだ言いながら、カミラにどう接していいか悩んでいた。
だがカミラのアビゲイルへの態度で、レオンの中で拒絶という最悪なほうに向かってしまったのだ。
「……全てはお母様次第です」
「…………わ、たし?」
「お母様。どうぞよき母になってください。……あなたのレオンが誇れるような存在に」
カミラはぱっと顔を上げる。
その瞳に希望を持って。
だからアビゲイルはその瞳に応えるように微笑んであげた。
準備はできたと、いうように。
「お母様が母として愛を持って接すれば、レオンはお母様のことを認めるかもしれません。それまではこうやって、公爵家に通えばいいのです。――レオンは公爵家で預かりますので」
「……そう。ここで面倒を見てくれる、のね?」
「もちろんです。この私が責任を持って、レオンを見ていますから、ご安心ください」
カミラはなにも言わず顔をレオンへと向けた。
視線を向けられたレオンは眉間に皺を寄せ、顔を背けようとした。
しかしその前にアビゲイルと目が合う。
アビゲイルはなにも言わず、小さく頷く。
ここは従うように、と。
レオンは渋々といった様子だが、カミラと向き合った。
「……あんたが姉ちゃんにちゃんと謝罪して、誠意を持つってんなら…………。考えてやらないこともない」
最後のぼそりとつぶやかれた言葉は、ちゃんとカミラに届いたらしい。
彼女は瞳からポロポロと涙をこぼしつつ、何度も何度も頷いた。
「ええ、ええっ。かならず、必ずあなたが誇れる母となりましょう」
「……俺だけじゃねぇ。姉ちゃんにもだ」
「もちろんです。アビゲイル。私はあなたに許してもらえるよう、努力するわ……っ!」
アビゲイルは微笑む。
優しく、穏やかに。
涙を拭うカミラを見ながら。
――そんな日は、未来永劫こないというのに。




