帰国
「――さすがに疲れたわね」
「お疲れ様」
エレンディーレにある公爵家へと戻ってきたアビゲイルは、見慣れたソファに腰を下ろし体から力を抜いた。
生まれて初めての旅行は、楽しかったが疲れた。
本当にいろいろありすぎたなと背伸びをした時、アビゲイルの隣に座っていた、レオンがボソッと呟く。
「……ここがエレンディーレかぁ」
「初めての国って緊張するわよね」
「ん? そんなことはねぇよ。姉ちゃんも兄ちゃんも、みんないるし。不安はねぇな」
「……そう」
レオンのこの素直なところが大変好ましいなと、アビゲイルは微笑んだ。
似たような表情でグレイアムやエイベル、ララとリリも見ていたので、みな似たような感情を抱いていることだろう。
このままこの公爵家でうまくやってくれるといいなと思っていると、不意にエイベルがグレイアムに近づいた。
「坊ちゃん。先ほど留守中のことを聞いてまいりました。のちにお話しいたします」
「ああ、頼む。急ぎの用事はないか?」
「実は……」
本当ならエイベルは公爵家に残り、グレイアムの代わりとしてこの家を守る予定だった。
しかし旅行初心者であるアビゲイルに考慮して、親しくしてくれているエイベルも同行してくれたのだ。
実際エイベルのおかけで、いろいろ安心できたところはあったので、本当に感謝しかない。
アビゲイルが心の中で感謝を伝えていると、エイベルは懐から手紙を取り出した。
「我々がフェンツェルについてからも度々、国王陛下がお越しになっていたようでして……」
「――ヒューバートが?」
「ええ。坊ちゃんもアビゲイル様もいないとお伝えしたのですが、いつ帰ってくるんだと何度もお聞きになったようで……」
ヒューバートが迷惑をかけたようだ。
そういえばヒューバートにはフェンツェルへ行くことを伝えていなかったか? と疑問に思う。
伝えたような気もするし、伝えていないような気もする。
しばし考えたあと、アビゲイルはどっちでもいいかと早々に見切りをつけた。
「もしよろしければ、帰国なさったことをお伝えしてみては……?」
「…………そうだな」
めんどくさいとグレイアムの顔に書いてあったが、相手は仮にも国王だ。
そこまで無碍にはできないのだろう。
渋々といった様子でグレイアムは頷いた。
「手紙でも送ろうか」
「あ、それなら私がやるわ。離れてたから、少しは優しくしてあげないと」
「…………なんの話?」
いまいち理解できてないらしいレオンに、アビゲイルが軽く説明する。
「ヒューバートは私の兄で、現国王よ。あなたとも半分は血が繋がっていることになるわね」
「あー……なるほど? つまり復讐対象ってことか」
「ヒューバートはもう済んでるけどね」
「なんだ。つまんねぇの」
なら興味ないやと、レオンはサンドイッチへと手を伸ばす。
とても美味しそうにもぐもぐと口を動かすレオンを見たら、料理長もたいそう喜ぶことだろう。
今度厨房に連れて行こうと決めていると、アビゲイルの前にララが手紙のセットを置いた。
「こちらでよろしかったでしょうか?」
「ええ。ありがとう」
文字を書くのも慣れてきたなと、アビゲイルはさらさらとペンを滑らせた。
帰国したことと、一応心配をかけただろうことを謝罪し、顔を見せて欲しいと優しさを滲ませる。
「これでいいわ。ララ、香りをつけてくれる?」
「かしこまりました」
手紙をララに渡したところを、レオンは不思議そうに見ていた。
「香り?」
「手紙にね、香水の香りを薄くつけるのよ。匂いは記憶に強く結びついてるからね。私という存在を強く思い出せるのよ」
「へぇ……。本当に、いろいろちゃんと考えてるんだな」
アビゲイルも教えてもらえるまでは、香りがそこまで強い記憶になることを知らなかった。
でも言われてみれば確かにそうだ。
ふとした時に、知った香りを嗅ぐと記憶が思い出されることがある。
アビゲイルは特に、グレイアムがつけている香水の香りには敏感になっていると思う。
「……とはいえ、実の兄貴が妹の手紙の匂い嗅いでるってのは、ちょっと気持ち悪りぃな」
「言いかた悪すぎないですか? それは……」
手紙に香りをつけて戻ってきたララが、本気で嫌そうな顔をしている。
「こちらもうお送りしてしまっても大丈夫でしょうか?」
「ええ。よろしく頼むわ」
「かしこまりました」
ララは頭を下げて、部屋を出て行った。
その後ろ姿を見たエイベルが、若干言いにくそうに口を開く。
「差し出がましいかもしれませんが、お二人ともご準備をなさったほうがよろしいかもしれません」
「準備? なにの準備をしろというの?」
帰ってきたばかりなのに、どこかに出かけるのだろうかと不思議そうにするアビゲイルに、立ち上がったグレイアムがため息混じりに言う。
「あのヒューバートのことだ。手紙を受け取ったらすぐにやってくるだろう」
「……あぁ…………」
言われてみればその通りだ。
あのヒューバートが人に気を使うなんてこと、するわけがない。
アビゲイルもまたため息をつきつつ立ち上がれば、そのやりとりを見ていたレオンが、顔を歪ませた。
「俺そんなガキみたいなやつと半分血が繋がってんの……?」




