死の神について
「さて、恥ずかしい話は一旦置いとくわよ」
「恥ずかしい……? このままいつ結婚するかの話をした方がいいんじゃないか?」
早ければ早いほどいいだろうと言うグレイアムに、アビゲイルは顔を赤くしながら鋭い視線を向けた。
「死の神の話よ」
「…………」
グレイアムはおずおずと居住まいを正した。
「……リリが撃たれて、レオンも瀕死で……。気が動転していたの。二人を置いて逃げることなんてできない。でも自分になにができるんだって、思ったの」
「……もっと早く助けられていればよかったな」
すまない、と頭を下げてきたグレイアムに、首を振って否定した。
そもそも彼がきてくれなければ、誰か欠けていたかもしれないのだ。
そんなの、耐えられるはずがない。
「グレイアムは助けてくれたわ。――本当にありがとう。あなたのおかげで、みんな無事だった」
「…………ああ」
目元を赤く染めたグレイアムは、どこか嬉しそうだ。
「話を戻すわ。そんな時に……なんて言えばいいのかしら? こう……意識が遠のくような感じがしたの」
「意識? 大丈夫だったのか?」
「ええ。今考えると、あれは死の神が干渉してきたからだと思う」
グレイアムの眉間に皺がよる。
その表情に申し訳ないなと思いながらも、話を続けた。
「瞬きくらいの時間よ。目を閉じて開けたら、私は私じゃなかった」
今でも思い出すと不思議な感覚だった。
視野が狭まり、気がついたら己の体は別のところにあって。
その視界を、まるで動く絵物語のように眺めていたのだから。
「他人に起きた出来事のように見ていたわ。私でない私は、シリルを穴のようなものに落とそうとしたの」
「シリルから聞いた。ぽっかりと開いた穴の中は、死の世界だったと」
「ええ。……知りもしないのに理解できたわ。あれは、堕ちたら終わりの奈落よ」
今思い出しても、少しだけ鳥肌が立つ。
命の終わりを、あんなに簡単に、そして身近に感じたことはない。
苦しみもなく堕ちれば終わりの場所は、生きている人間からするとただ恐怖の対象でしかない。
「私ではない存在は、それを指先一つで出してみせた。シリルを堕として、このまま閉じれば下半身くらいなら飲み込めるって」
「末恐ろしい話だな」
「私がやめてってお願いしたらやめてくれたけど……」
つまらないだなんだとは言いながらも、シリルの下半身を消すことはやめてくれた。
死の神は話が通じないわけではないようだ。
とはいえ恐ろしいことに変わりはないので、できるならもう関わりたくはないのだが……。
「……時間的には数分だけれど、体を乗っ取られた。取り戻して少ししたらグレイアムが来てくれたけれど、疲労困憊って感じで気を失っちゃったの」
「なるほど。それがあの時あったことなのか」
「ええ……」
この先を、口にするべきか考える。
グレイアムは死の神について、アビゲイルよりも思うところがあるようだ。
彼のためにも死の神との接点はなくすべきだろう。
だが……。
「――私、死の神を恐ろしい存在だと思えなかったの」
懐かしい、心地のよい声をもった死の神。
アビゲイルの願いを聞き入れてくれた存在。
彼の所業を恐ろしいとは思えど、その存在自体を拒絶はできなかった。
「私の話を聞いてくれた。懐かしい声もそう。……なんだか、拒否できないと思ったの」
そこまで言ってハッと気がつく。
「だからって、死の神を好きとか向こうに行きたいとかそういうのないから! 私はグレイアムと一緒にいたいから!」
「わかってる。ありがとう、アビゲイル」
つい先ほどまでの狼狽っぷりはどこへ行ったのか。
優しく微笑みを返してきたグレイアムに、アビゲイルは肩の力を抜く。
どうやらもう、気にしなくてもいいようだ。
「グレイアムは、私と死の神の関係を知ってるのよね?」
「関係とはいっても、ゲームの知識のみだ。基本視点は主人公であるアリシアだからな。アビゲイルが死の神に恋をして、彼の元に向かったということしかわからない」
「……そう。じゃあ本当に未来が変わったのね」
アビゲイルが死の神に恋をすることはない。
その場所にはもう、グレイアムがいるのだから。
つまり彼の知る、アビゲイルにとっての最悪の未来というのは、回避できたということだろうか?
「ちなみにそのげぇむ? で、死の神は私の体を操ったりしていた?」
「いや……? そんな話は聞いたことがない。アビゲイルが自ら望んで行っていたことだったが……。俺が知らないだけで、もしかしてゲームのアビゲイルも操られていた……?」
会話の途中から、考え込むようにグレイアムは独り言を呟き始めた。
顎に手を当て瞳を伏せた彼は、しかしすぐに目を開けた。
「未来が変わったからか、はたまた俺の知らない情報があるのか……。どちらにしろ、これから先はゲームの知識が役立たない可能性が出てきたな」
「そうね。まあ、死の神については今後気をつけるくらいしかできないものね……?」
「アビゲイルが俺のそばを離れなければ、最悪な未来は防げるはずだ。――俺は、アビゲイルが幸せならそれでいい」
本当ならもっと考えなくてはならないのだろうが、今はあまりにも情報が少なすぎる。
死の神についても、アビゲイルがどうこうできるものでもないだろう。
なら今は沈黙が正解のはずだ。
下手に騒いで他者に知られるほうが、困ったことになるだろう。
――アビゲイルと死の神が、繋がっているなんて。




