幸せにする
グレイアムからの問いに、アビゲイルはゆっくりと瞼を閉じた。
きっとシリルからいろいろ聞いたのだろう。
正直な話をするならば、まだ曖昧な点ばかりで要領を得ていない。
アビゲイル自身もわからないことだらけなのだ。
だが、だからこそ、彼には話しておかなくてはならない。
なぜならこの話は彼から聞いたものだから。
瞼を上げたアビゲイルは、その赤い瞳にグレイアムを映した。
「……正直、なにがあってるかわからない。ただの憶測の話よ」
「構わない。アビゲイルが話したいように話してくれ」
「…………」
グレイアムの優しい笑顔に落ち着いたアビゲイルは、そっと手のひらを見つめた。
「……私、声を聞いたの」
「――声?」
「そう。聞いたこともないはずなのに、懐かしい……」
不思議な感覚だった。
グレイアムのものでなければ、エイベルなどの公爵家の人たちのものでもない。
ほとんど会話をしたことのない父も、ヒューバートも違った。
本当に知らないのだ。
それなのにあの声を、懐かしいと思った。
「なぜかはわからない。けれど……あの声は…………」
アビゲイルは両手を強く握りしめる。
仮説でも、これを口にするのが恐ろしかった。
グレイアムがどんな表情をするか、わからなかったからだ。
「…………死の神……の、声だと思う」
「――…………」
沈黙が部屋を支配する。
アビゲイルはちらちらとグレイアムを見るが、彼は顔を伏せたままだ。
このまま話を続けていいのかと悩んだ時、ゆっくりとグレイアムが顔を上げた。
「……アビゲイルは、死の神をどう思った?」
「……どう? どうって……?」
「好きになったか? 愛おしいと、全てを捨ててそいつについていきたいと思ったか? そいつのために全てを犠牲にしたいと――」
「ちょ、グレイアム落ち着いて……」
捲し立てるように言われその圧の強さに、アビゲイルは少しだけ彼から距離を取ろうと体をのけ反らせた。
それを拒絶とでも捉えたのだろう。
グレイアムの顔が青ざめた。
「――あいつのところに、行ってしまうのか? ……やはり、未来は変えられないのか…………」
グレイアムが頭を抱え始めて、アビゲイルのほうも慌てた。
「ちょっと、なに言って……」
「俺はアビゲイルを幸せにはできないのか……? なんども見たあんな結末になんて、させたくないのにっ!」
まさかそんなところまで話が飛躍するとは思わなかった。
死の神の存在を少しチラつかせただけで、ここまで動揺するなんて。
ギリっと音を立て、グレイアムは力強く噛み締める。
「俺の願いは叶わないのか……? この世界にきた意味は――」
「グレイアムっ!」
これ以上はダメだと、アビゲイルはグレイアムの頭に抱きついた。
己の胸元にグレイアムの顔があることが少しだけ恥ずかしかったけれど、今はそんなことを言っている余裕はないと頭の隅に追いやる。
「なにを心配してるのかわからないけれど、私を幸せにするのはあなたでしょう!?」
「――……アビゲイル?」
「あなたが助けに来てくれた時、私思ったの。あなたの存在が私にとって、かけがえのないものだって」
グレイアムの頭にまわっていた腕を離し、悲しげに揺れる目を見つめる。
黒曜石のように美しい瞳に、必死な顔のアビゲイルだけが映り込む。
「死の神なんて興味ないわ。私のことはあなたが幸せにして。その代わり、私があなたを幸せにしてあげるから」
「……そばに、いてくれるのか?」
「いるわよ! そもそも私をあの地獄から連れ出したのはあなたなんだから、最後まで責任とりなさい!」
売り言葉に買い言葉だが、思わずそんなことを口走ってしまった。
だがグレイアムはさして気にしていないのか、むしろ不思議そうにこちらを見上げてくる。
「最後? アビゲイルにとっての最後とはなんだ?」
「はぁ!? それは……結婚して、子ども作って、歳取って死ぬまで一緒にいるの。……その子どもを幸せにしてあげたい。……親の愛情を知らない私がなに言ってんのって話だけれど……」
夢見るくらいはいいじゃないか。
アビゲイルにはできなかったことを、子どもにはして欲しいと願う。
たくさん愛して、成長を見守りたい。
一緒に食事をとって、洋服を選んであげるんだ。
女の子なら髪を結って、二人でお菓子をつくりたい。
男の子なら、グレイアムに剣を習っているところを見守りたい。
そしてどちらであろうとも、グレイアムも一緒にアビゲイルが作ったお菓子を食べて語らうのだ。
他にもたくさん。
こうだったらよかったのにを、自分の子どもにしてあげたい。
「だから私はあなたのそばにいるわ。死の神なんて興味ない! 私はグレイアムが――好きなんだから!」
「――……」
グレイアムの瞳が大きく見開かれた。
まるで時が止まったかのように固まったグレイアムを、アビゲイルもまた真っ赤な顔で見つめる。
勢いに任せて言ってしまったけれど、時間が経てば経つだけ恥ずかしくなってきた。
顔どころか体まで熱くなって、ダラダラと汗が流れた時だ。
グレイアムの腕がアビゲイルの体へと回された。
「――愛してる、アビゲイル。君を幸せにするのは……俺だ」
力強い腕に、慣れ親しんだ香りがアビゲイルを包み込む。
この香りが心地よいと感じるようになったのは、一体いつからだろうか?
深く息を吸い込んで、囁くように呟いた。
「……ええ。あなたを幸せにするのも、私よ?」
「もう幸せだ。君がこの腕の中にいる。それだけで、これ以上ないほどに」




