私の女神
まだ怪我をしているのだからと、嫌がるレオンを部屋に戻らせたアビゲイルは、次の人物をグレイアムに呼んでもらった。
グレイアムはアビゲイルの身を心配してくれていたが、下手に問題を先延ばしにするほうが精神的に悪い。
しぶしぶ頷いたグレイアムが部屋を出ていき、五分後くらいに戻ってきた。
――シリルを連れて。
連れられてきたシリルは、なぜか憑き物が落ちたような穏やかな顔で、アビゲイルと対峙した。
「――自分がなにをしたかわかってるの?」
思わずそう聞いてしまったくらい、シリルの現状と表情が合っていない。
彼はレオンを殺そうとし、リリを撃ち、アビゲイルまでもその手にかけようとした。
そのことを知ったらしいグレイアムから殴られ、彼は頰にガーゼ、利き腕は三角の布に吊るされていた。
「もちろんです」
「……そんな表情には見えないんだけれど?」
「失礼。いろいろ考えることが多くて」
意味がわからない。
考えることが多いなら、もう少し悩んでいるような表情をすればいいのに。
清々しい表情をした彼は、怪我をしていないほうの手で胸元を押さえた。
「私はずっと、自分が生きているのか死んでいるのかわからない状態でした」
「……はぁ?」
「動いて息をしているだけで生きていると、本当に言えるのかと常々思っていました。ただの疑問です。ですがその疑問は私の中で大きくなっていきました……」
命がここにある。
そう思いたいからこそ、彼はサラスヴァティという組織を創り、自ら渦中に飛び込んだらしい。
「生きていると実感できるのは一瞬で、すぐにいつもの退屈な日常へと戻ってしまう。――それは、とてもつまらないものです」
「……変わってるわね」
「復讐のために相手を幸せにしようなんて考える方に、言われたくはないですね」
アビゲイルは悔しそうに口を閉ざした。
ごもっともすぎて返す言葉もなかったのだ。
黙り込んだアビゲイルに、シリルはにっこりと笑いかける。
「変わり者同士、話も合うと思いませんか?」
「私は確かに変わり者だけれど、自分を殺そうとした人と仲良くしようなんて思わないわよ」
変わり者だと言われようとも、そこだけは変わらない。
今シリルと話しているのも、彼の罪を追求したいだけだ。
だというのに、彼の頰は赤みがさした。
「そんなふうにおっしゃらないでください。私はあの時、確かに命を感じたのです」
ほお、っと熱を帯びたため息をこぼしたシリルは、火照る頰に優しく触れた。
「死の世界。私は確かにその片鱗を見ました。仄暗い闇の中は冷たくて、あそこに堕ちたら終わりなのだと、この身を持って実感できました」
キラキラと瞳を輝かせたシリルは、まるで演技をするかのように手を挙げる。
「あれほど命を感じたことはない……! レディの眩しいほどの赤い瞳に射抜かれながら、容易く潰される虫のような自分。……ああ! こんなに自身という存在がちっぽけだと思うなんて……!」
シリルはそのまま手をアビゲイルへと向けた。
「――あなたは私の女神だ……っ!」
「…………」
アビゲイルは自分がどんな表情をしていたかわからなかった。
少なくともいい顔はしていなかったはずだ。
口元は歪み目元は細まり、頰は軽く痙攣していたように思う。
そんなアビゲイルとは対照的に、シリルはますます興奮していった。
「死の女神、アビゲイル……! あなたのためなら私は……死んだって構わないっ!」
「グレイアム。この人どっかにやってちょうだい」
「よしきた」
「――ああ! アビゲイル! どうか私をそばに置いてください……っ!」
ギャーギャー言いながらも部屋の外にシリルを放って、グレイアムが帰ってきた。
アビゲイルは疲れ切った頭を抑えながら、グレイアムへと声をかける。
「なにがどうなってるの……?」
「あれのことは放っておいていい。アビゲイルの件で殴ったついでに、もう今後レオンにも手を出さないと約束させた」
「そういえば、レオンってなにを盗んだの……?」
「武器だ。アビゲイルも見ただろう? ピストルというやつだ」
アビゲイルは記憶の中にある筒のようなものを思い出す。
あれを向けられ、弾を放たれたリリを思い出し、そっと二の腕をさすった。
「……あれが、エレンディーレで造られたって」
「ああ。国内にある工場でな」
「……きっともっと、たくさんの人が関わってるわね」
「シリル曰く、あれを一つ作るのにも庶民の年収を超えるそうだ。……貴族が関わっていると思って間違いないだろうな」
アビゲイルは大きくため息をつく。
まさかそんな恐ろしいことを、他国に来て知ることになるとは思わなかった。
起きたことが大きすぎて、頭が回らなくなってきたなと軽く振っていると、そんなアビゲイルにグレイアムが声をかけた。
「……大丈夫か?」
「ええ。いろいろあったけれど……。考えることがたくさんあるわ」
レオンの今後と、彼を使ったカミラへの復讐。
シリルと、あのピストルが他国へと渡ったという事実。
そしてそのピストルを自国で作っていたということ。
その全てがアビゲイルの頭を悩ませてくる。
何度目かわからないため息をついたアビゲイルに、グレイアムは眉間に皺を寄せ口を開いた。
「……それだけじゃない。――俺に、話すことがあるだろう?」




