繋がり
微睡の中にアビゲイルはいた。
ふわふわ。
ふわふわ。
もし雲の上に乗れるのなら、こんな気持ちなのだろうか?
心地よい世界にもう少しだけこのままでいたいと思っていると、そんなアビゲイルの耳元で【誰か】が囁く。
『きを……けろ……は、おまえ……す……そば』
――なに? 聞こえないわ
そう口にしたいのに、言葉は霧のように消えていってしまう。
誰かが喋っているのだ。
すぐそばで。
懐かしい、優しい声だ。
『おま……ら……と……だい……う……』
誰かが優しく頭を撫でてくれる。
その手が温かくて、アビゲイルはなぜか涙が溢れそうになった。
――あなたは誰なの?
またしても言葉は形になることなく消えていく。
このまま微睡に体を預けることもできるが、どうしても【この人】を知りたかった。
貼りついたように動かない瞼を無理やりに開けると、少しだけ世界を見ることができた。
瞼のほとんどに邪魔された視界は、ぐらぐらと揺れているようでよくは見えない。
ただ、世界が赤に包まれていたことだけはわかった。
その世界で、目の前の人は優しく笑う。
『また会おう。我が愛しの――』
ぱちり。
アビゲイルは今度こそ目を覚ました。
先ほどまでの赤い世界とは違い、そこはホテルの天井だった。
「――戻ってきた……?」
「――アビゲイル! 目が覚めたのか!?」
「……グレイアム? 私……」
ベッドの横に座っていたのだろう。
グレイアムが椅子から立ち上がり、アビゲイルを見つめてくる。
そんなグレイアムを不思議に思ったその時、アビゲイルは己の身に起きたことを思い出す。
「――リリは!? それにレオンも……!」
「二人は大丈夫だ。どちらも命に別条はない」
「……そう、よかった」
ほっと息をついたアビゲイルは、まだ本調子ではない体から力を抜いた。
先ほどから動こうと試みるが、体が言うことを聞かない。
全身の倦怠感を無視することができず、アビゲイルは寝転がったままグレイアムと会話をすることにした。
「あれからどうなったの……?」
「あの場にいた全員倒れ込んでたからな。みんなホテルに連れ帰って医者に見せた」
「ありがとう。……それで、その……。シリルは?」
「ああ……」
グレイアムは苦々しい顔をして、大きくため息をついた。
「シリルな……。まさかあんなことをしでかすとは」
「グレイアムは知ってたの? シリルがサラスヴァティって組織を作ってたこと」
「いや。だがシリルは裏に詳しすぎた。だから一応警戒はしていたんだが……」
とはいえ、友であるシリルを下手に疑うこともしたくはなかったのだろう。
グレイアムは懐に入れた人間には、少し甘いところがあるように思えた。
「まさかアビゲイルが言っていた男が、レオンだったなんてな」
「――そう! エル……いえ、レオン! でも髪の色が……」
確かにエルの髪は青いが、黒に近い青だ。
レオンの青々とした髪色ではない。
不思議そうにしているアビゲイルに、グレイアムが答えを教えてくれた。
「この街にある染め剤を使ったようだな」
「染め剤……?」
「髪の色を変える薬だ。出回っているものではないから、入手は難しいだろうが、一度経路がわかれば比較的簡単に手に入る」
「……つまりレオンは薬で髪を黒くしていたと?」
「そうだ。できたばかりでまだ質がよくないんだろう。完璧に黒髪にすることはできなかったようだが、人目を騙すにはちょうどいい」
そんなものが存在するのかと驚いた。
髪の色を変えるなんて、想像もしていなかった。
「……つまりエルは」
「レオンで間違いない。本人にも確認をとった。……今ちょうど、髪色を戻させている」
「……そう」
まさかすぎる展開に、アビゲイルは呆然と天井を眺めた。
エルと知り合ったのは偶然。
彼を助けて看病したのも偶然。
そのあとレオン探しをお願いしたのも、全部偶然が重なっただけのこと。
けれど偶然も重なり続ければ、それは必然になるのかもしれない。
兎にも角にも、運命というのは恐ろしいものだなと思わず笑ってしまう。
「レオンびっくりしてなかった?」
「アビゲイルの弟ということにはたいそう驚いてたが、本番はこれからだろう?」
「――そうね」
そうだ。
レオンはまだ知らないのだ。
己の両親がどこの誰なのか。
そしてアビゲイルのことも。
「……説明、しなきゃね」
どうしてアビゲイルたちがこの国にきたのか。
なぜレオンを探していたのか。
その全てを、彼に説明しなくては。
もしかしたらレオンは嫌がるかもしれない。
知らなかったほうがよかったと言われるかもしれない。
――けれど、止まることは許されない。
この復讐はもう、アビゲイルだけのものではない。
手を貸してくれているグレイアムのためにも、成し遂げねばならないのだ。
「――グレイアム。レオンを連れてきてくれる?」
「わかった」
レオンを呼びに行ったグレイアムを見送りつつ、アビゲイルは必死に体に力を込め、上半身を起き上がらせた。
軽く手で髪をすき、身なりを整える。
「――よし」
まだ、やるべきことはたくさんある。
レオンの説得をし、その次はシリルだ。
そしてそのあとはグレイアムと話をする。
「……」
たぶん、きっと、そうなのだろう。
この体の異変は、グレイアムには話しておいたほうがいいはずだ。
あの時感じた声。
見えた景色。
その全てを理解し、思考を巡らせれば、やがて一つの答えが出てくる。
「――繋がってる」
――死の、神と。
どうやら運命からは、逃れられないらしい。




