シリルという男
「私の話は聞いてなかったと言うことかな……?」
「聞いた上で判断したのよ。あなたの言葉を全て信用するわけにはいかないってね」
シリルはふむ、と考えるように顎に手を当てた。
「なるほど。どうやら私はあなたをみくびっていたようだ。あれだけ言えば頭の悪いお姫様は、簡単に動きを止めるだろうと……」
真っ黒な手袋を顎から離すと、赤く指の形が残る。
あの手袋にどれだけの血がついているのだろうか?
そしてそれはきっと、エルのものなのだろうと唇を噛み締めた。
彼が引きずるエルはぐったりとしていて、生きているのかどうかもわからない。
少しでも早く彼を医者に連れて行ってあげたいが、そう簡単な話ではないだろう。
アビゲイルがエルを見つめていると、そんな視線に気がついたのか、シリルは楽しそうに微笑んだ。
「こんな血生臭いところをレディに見せてしまうとは、紳士にあるまじき行為だ」
「――紳士? 人をそんな状態にする男が?」
「――ゴホッ!」
「エル!?」
咳き込んだエルは、口元から血を吐き出した。
前回とは違う。
内臓まで怪我をしているだろう様子に、アビゲイルは焦りを感じた。
このままでは、もっと悪化してしまうかもしれない。
どうにかして彼を連れ出さなくては。
アビゲイルが強く拳を握り締めた時、エルがゆっくりと瞳を開いた。
「――あ、び、げぃ……る?」
「エル! 気がついたのね?」
「……な、んで…………。にげろ、って」
「逃げろって言われて逃げるような、か弱い女だと思ってたの? なら人を見る目ないわね」
嫌味を言ってみたがエルが反応することはない。
相当つらいのだろう。
ぐったりと顔を伏せたが、そんなエルをシリルが軽く持ち上げた。
「おや? もしかして見つけていた感じかな?」
「見つけてた……? どういう意味?」
シリルからの質問の意図がわからない。
アビゲイルが軽く首を傾げれば、シリルはひどく驚いたような顔をした。
「――おやおや。なるほどなるほど。運命というのは時に優しく、しかし残酷なものだ」
なにがおかしいのか。
シリルは納得したように何度も頷き、楽しそうな表情を見せた。
「……申し訳ないけれど、あなたの言いたいこと、ほとんど理解できないわ」
「…………ふむ。まあそうでしょうね。……ならレディの疑問にお答えしよう。聞きたいことをどうぞ?」
「大盤振る舞いなのね? 隠してたんじゃないの?」
「ここまできたらバレるのも時間の問題でしょう? 他人に聞かれて湾曲した情報を伝えられるより、自分の口から話したほうがマシだ」
よほど余裕らしい。
この状況でアビゲイルが人を呼べば、彼の立場も危なくなるというのに。
それがわからないシリルでもないだろう。
つまり彼にはなにかあるのだ。
彼の笑顔が消えないなにか、が。
「……あなたは、ただのフェンツェルの侯爵じゃないわよね?」
「まあそうだね。聞きしたいことはなんとなく理解してるから、サクサク答えようか」
シリルはそこで初めて頰についた血に気づいたのか、懐からハンカチを取り出すと、少し乾燥している血を拭う。
「侯爵という立場は表向き。裏ではお察し、悪どいことをさせてもらっている」
「……笑っていうことじゃないと思うけど」
「だって面白いんだ。くだらない貴族の戯言よりも、こっちのほうがずっと生きてるって実感できるだろう?」
「自分が生きてることを実感するために、人を傷つけてるってこと……?」
シリルは頷くこともなく、静かに微笑んだ。
それだけで答えになるのだから、やはり恐ろしい男だとアビゲイルは一歩後ろに下がる。
「レディに話したと思うけれど……。この街にはサラスヴァティという連中がいると」
「ええ。――レオンを、私の弟を探してるって」
「そのサラスヴァティを作ったのは私です。創設者ってやつだね。そこらのゴロツキに知識を与え、武器を与えた。それだけで裏の元締めになれた。楽しいでしょう」
少なくとも普通の感覚なら、それを楽しいとは思わないだろう。
だが彼は心からそう思っているようで、口の滑りをよくした。
「人が己の思い通りに動くのは楽しいことだ。だが思い通りに動かないのもそれはそれで面白い」
シリルはエルの襟口を持ち上げると、まるでゴミのようにひょいとアビゲイルたちの方へと投げ捨てた。
「――エル!?」
慌てて近寄り彼を支えれば、少し離れたところでカチリと変な音が鳴る。
何事かと顔を上げれば、そこには見たこともない【ナニカ】を持ったシリルがいた。
彼は筒のようなものをこちらに向けながら、朗らかに笑う。
「レディは気づいてないようなので教えてあげよう。そのゴミが、あなたが探していた弟、レオンですよ」
「――え?」
アビゲイルは驚いて下を向く。
傷だらけでボロボロなエルは、アビゲイルと似た表情でこちらを見つめていた。
しばしの沈黙。
それを破ったのは、シリルであった。
「感動の再会のところ申し訳ないが、そのゴミには退場してもらおうか――?」




