影が濃い
「ここがシーフード系が美味しいレストラン。あ、あっちは新鮮なフルーツをやさしいおばあさんが売ってる。よくおまけをしてくれるんだ。それでこっちがレディに人気のブティックだ。寄ってくかい?」
「旅で荷物を増やそうとするな」
「他国には他国の面白いものがあるんだ。この国の装いをしたレディを見たくないのかい?」
「………………」
「グレイアム。私はいらないから……!」
シリルの言葉に黙り込んだグレイアムを慌てて止める。
確かにこの国の女性たちの装いは美しいし、羨ましいなとも思う。
けれど旅で荷物を増やして面倒をかけたくない気持ちが大きくて、アビゲイルは首を振った。
「そ、それにほら! 赤が入っていることが多くて……。エレンディーレでは着れないわ」
「むしろ着たらいいんじゃないかな? あなたが赤いドレスを着たら、人々の目は釘付けになること間違いない」
「それは……悪目立ちはするだろうけれど」
「悪目立ち? ――ああ、エレンディーレの愚かな常識とやらをすぐ忘れてしまうな」
大きめなため息をついたシリルは、呆れたように首を振る。
「この世界のなによりも美しい宝石のような赤い瞳を持つレディが、赤いドレスを身に纏いダンスを踊る。――美の女神すら嫉妬する美しさだね」
「……はぁ」
キラキラとした目で語るシリルに、アビゲイルはなんとも言えない視線を向ける。
褒められなれていないというのもあるが、正直どう反応したらいいのなわからないのである。
「エレンディーレで難しいのなら、このフェンツェルで着ればいい。よければ我が家で行われるパーティーにご招待しましょう」
「……気が向いたらな」
グレイアムの煮え切らない返事に頷いたシリルは、特に機嫌を悪くした様子もなく改めて案内してくれる。
向こうには美味しいケーキが売っている、とかあっちには男性に人気のアクセサリーショップがあるとか。
アビゲイルは彼の指先が向くほうを、黒い薄布で隔てつつ見る。
「……人が多いのね」
「現陛下が開放的なかたでしてね。今は特に観光地に力を入れているんです」
港町ゆえ人通りの多さはわかるが、確かによく見ればアビゲイルたちのような観光客がたくさんいる。
あちこち見て回り楽しそうにしている姿を見つめていると、不意に横から予期せぬ力がかかった。
「――きゃ!」
「……」
ぶつかってしまったのだと気づいた時には相手はおらず、アビゲイルは尻餅をついてしまう。
「――アビゲイル! 大丈夫か!?」
「平気よ。ちょっと転んでしまっただけ」
差し出されたグレイアムの手に引っ張られて、アビゲイルは立ち上がる。
せっかく彼がくれたドレスが汚れていないか確認していると、シリルが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「申し訳ない、レディ。お怪我は?」
「大丈夫よ。それに私がぼーっと見ていたから……。気をつけるわ」
これだけ人がいるのだから、ぶつかってしまうのは仕方がない。
自分があちこちに目移りしてたのが悪いのだと言えば、なぜかシリルはすっと瞳を細めた。
「今のはわざとですよ」
「…………わざと?」
「わざとぶつかった、という意味です」
シリルは人ごみのほうを横目で見つつ、ふむと顎に手を当てた。
「人が多ければそれだけ隠れ蓑になりやすいんです。光が強ければ強いほど影が濃くなるのと同じ原理ですね」
「……えっと?」
「ここには観光客だけでなく、そんな浮かれた人たちを狙う不届きものもいるということです」
先ほどぶつかった人は、一瞬にして人ごみへと消えてしまった。
けれどその一瞬で見えたのは、深く帽子を被った細身の男性。
見た時はあまり思わなかったけれど、今のシリルの話を聞いてわかった。
こんなところで目深に帽子をかぶって顔を隠すなんて、やましいことがあるといっているようなものだ。
まあ人のことは言えないけれど、とアビゲイルは顔の前にかかる黒い布を見る。
「つまり今の人は……」
「スリってやつですね」
呆れたように肩をすくめたシリルは、今度こそちらりと顔を人ごみへと向ける。
先ほどからなにを見ているのだろうかと同じように目を向けたが、ただ人がたくさんいるだけにしか見えない。
「――アビゲイル。何かとられてはないか?」
「大丈夫。とられるようなものは持ってないわ」
お金系は全てグレイアムとララに任せている。
ある意味手ぶら状態なので、とられるようなものもない。
身につけているアクセサリーなども、なに一つとられていないことを確認する。
「取れなかったんだと思います。我々も目を光らせてましたし、アクセサリー系はとるのが難しい。まだなれてない素人の可能性が高いですね」
たったこれだけのことでそんなことまで推測できるのかと、アビゲイルはシリルを見る。
裏に詳しいという彼は、やはりただものではないのだろう。
アビゲイルの探るような視線を受けてもなお、彼は朗らかに笑う。
「ひとまず気をつけながら観光を続けましょうか?」
「……そうね」
シリルからの提案に頷いたアビゲイルは、もう一度視線を周りへと向けた。
人混みだから当たり前だと思って気にしていなかったけれど、なんだか見られているような感じがしたのだ。
「…………」
変なことにならなければいいけれど、とアビゲイルは足を進めたのだった。




