【幕間】グレイアムという男②
両親ともに医者の家系に生まれた男は、素晴らしい才能を持って生まれた。
同年代の子どもとは比べ物にならないほど物覚えがよく、幼少期から絵本の代わりに医学の本を読んでいたほどだ。
十五になるころには語学も達者になり、英語で書かれた医学書も読めた。
両親は初の男の子。
そしてなによりこの才能に、それはそれは期待を込めた。
蝶よ花よと育てられながらも、それに似合う実力はある。
だから男は自信を持っていた。
自分が両親の期待を背負い、最高の医者になるのだと信じて疑わなかった。
だが、そんな自信はぽっきりと折られることとなる。
目にも入れていなかった、姉によって。
姉は変わった人だった。
常に一人で友人はおらず、何かしてると思えば部屋でよくわからないアニメやゲームをする日々。
家族から見ても変わり者の姉は、誰とも話さず期待もされず、哀れな存在だと思っていた。
――だというのに。
姉は変わり者であると共に、天才だった。
彼女は一度見たものを忘れることがなく、全てにおいて男の先をいく。
馬鹿と天才は紙一重というが、姉はそれを体現していた。
両親の期待も愛情もなにもなく、ただ日々を自堕落に暮らしていただけの姉に負けたのだ。
まさかライバルだとも思っていない相手が、突然壁として現れるなんて思ってもいなかった。
だが確かに、彼女が書いた難病に対する研究書類は見事だった。
男には思いつきもしなかった観点からの研究内容は、実際多くの患者を救ったという。
だというのに姉は言うのだ。
『こんなのよりゲームの方が面白い』
そういってテレビに齧り付く姉の姿は奇妙であり、男には到底理解できなかった。
なんだあれは、やはり変人か。
そう切り捨ててしまえれば、どれだけよかっただろうか?
だが理解できないということが嫌いな男は、そのうち姉の行動を探るようになった。
勉強らしい勉強もしてないのに提出する研究内容は完璧で、姉を知れば知るほど、男の自尊心はボロボロと崩れ去る。
――そんなある日だ。
姉がやっているゲームをぼーっと眺めていた男の目に、一人のキャラクターが入り込んだ。
真っ赤な目をした女性は、その国一番の嫌われものらしい。
理由はただ、瞳が赤いから。
それだけの理由で人々から蔑まれ続けた女は、最後には主人公の敵となりその儚い命を落とした。
――なんてくだらない茶番なんだ。
こんなのなにが楽しいのかと隣にいる姉を見れば、彼女は怒りに顔を赤らめていた。
『ざっけんな! なんだこのクソゲー! アビゲイルがなにしたって言うのよ!? はぁぁあぁぁ!?』
男は瞠目した。
男の知る姉という存在と、今の彼女があまりにも違いすぎたからだ。
彼女がなにかに熱くなっているところを、感情をむき出しにしているところを初めて見た。
淡々とこなすだけではない姿に、驚きと共に衝撃を受けたのだ。
『…………』
男はもう一度画面を見る。
そこには真っ赤な瞳の女性が、腹部から血を流して倒れていた。
それを胸に抱き泣く主人公の一枚絵は、男にもさらなる衝撃を与える。
本来ならそこに描かれた主人公を見るべきなのだろうが、男は横たわる女性にしか目がいかなかった。
まるで宝石のように美しく輝く瞳は涙で濡れている。
恨み言のように主人公に『羨ましかった』『愛されたかった』と語る赤目の女性の姿に、なぜか自分を重ねてしまう。
愛されていたはずだ。
羨ましがられていたはずだ。
彼女とは真逆の存在なはずなのに、どうして重なるのだろうか……?
幼少期の自分と。
『私がこの世界にいたら絶対にアビゲイルを幸せにしてあげるのに!』
ずびずびと鼻を鳴らしながら声高らかに告げる姉の言葉を、男は意識半分で聞く。
もう半分は画面の中のアビゲイルへと向けられる。
美しくも悲しい未来を背負ったお姫様。
宝石のような瞳が魅力的な女性。
『…………あれ?』
とくんっと心臓が跳ねた気がした。
そこから男はそのゲームのことを調べた。
姉がプレイするときは必ず隣で見ていたし、公式から出されている設定にはすべて目を通した。
そしてそのどれもこれもが、アビゲイルへの理不尽で溢れていて、本当に吐き気を覚えた。
あんなにきれいな瞳を忌み嫌うなんてわけが分からない。
どいつもこいつも愚かだと思いながらも、男の目にはいつだってアビゲイルの最後が映るのだ。
どのルートを通っても、最後にアビゲイルは息絶える。
彼女が幸せになるルートなんて、最初から用意されていないのだ。
なんて理不尽。
なんて不条理。
男がそんなことを思っていると、姉も似たようなことを感じたのか思いっきりコントローラーを投げ捨てた。
『あーもう! ムカつきすぎてお腹空いてきた! コンビニ行くわよ!』
姉と一緒にどこかに出かけるなんて初めてだった。
隣を歩きながらあれこれとゲームの不満を口にする姉に、男は相槌を打つ。
『異世界転生したい! アビゲイルを幸せにしてあげたい!』
『…………そうだな』
その気持はわかると頷けば、姉がおもむろに肩を組んできた。
『よーし! なら私たちはアビゲイル幸せにし隊だ!』
彼女の言っていることの半分はわからないけれど、まあいいかと頷いたその時だ。
――姉の背後に迫る、トラックを見たのは。
その後のことは覚えていない。
たぶん、本当に無意識に姉をかばったのだと思う。
言葉に表せないような衝撃と熱が体に走ったとき、男は意識を失った。
そして次に目覚めたとき、男はもうグレイアム・ブラックローズだった。




