残念
パーティー会場を離れたアビゲイルとグレイアムは、見送りにきたヒューバートと共に公爵家の馬車の前へとやってきた。
「……母上のこと、申し訳ない。あの人もきっと、アビゲイルの素晴らしさがわかる時がくる」
「……そう、ですね」
わかる時がくるのではない。
こさせるのだ。
必ずカミラも堕とさなくてはならないのだから。
不安そうにしているヒューバートに微笑めば、彼の表情はとたんに明るくなる。
「――我が友グレイアムよ! 我が愛しの妹、アビゲイルのことを頼んだぞ!」
「アビゲイルは俺が守る。それより陛下も、俺たちの結婚の件、進めておいてください」
グレイアムの言葉に、なぜかヒューバートは視線をさまよわせた。
「あー……あー、それは、うーん……。まだアビゲイルに結婚は早いんじゃないか? それにほら! 僕もまだアビゲイルに償いきれてないし……もう少し一緒にいたいな……とか。うん」
グレイアムの額に青筋が立つ。
そんな彼を背後に庇うように立ちながら、アビゲイルはヒューバートに苦笑いを浮かべた。
アビゲイルは今年で十九歳。
年齢的にはむしろ遅いまであるというのに。
ヒューバートはなぜかいい兄を演じたいのか、はたまた純粋に寂しいのか、あれこれと言い訳を述べる。
「というか、一旦帰ってきたらどうだ? 王宮のことは気にするな。僕が王となったのだから、なに不自由なく暮らさせてやるさ! そうだ! 東の一番日当たりのいい部屋をアビゲイルために用意させよう!」
そうだ、それがいい、と勝手に決め始めたヒューバートに、アビゲイルは少しだけ声を低くした。
「――お兄様?」
「――はいっ」
綺麗に両手の指先まで伸ばして立ったヒューバートに、アビゲイルはかわいそうな子供を見るかのような視線を向けた。
「私は公爵家でお世話になります。王宮には戻りません」
「――アビゲイル!」
「……アビゲイルぅ」
かたや喜びを、かたや悲しみを顔に表した二人は、しかしアビゲイルの意思を尊重すると決めたのか、それ以上はなにも言わなかった。
しゅんっと肩を落とすヒューバートに礼を言い、馬車に乗り込もうとしたその時だ。
「――グレイアム!」
鈴を転がすような愛らしい声が、鼓膜を震わせた。
「……アリシア」
そこにいたのは妹のアリシアだった。
美しい青色のドレスを着た彼女は、グレイアムを見ると目に涙を溜める。
「グレイアム……! 本当に、お姉様と結婚するつもりなの……?」
「――そうだと言っている」
ヒューバートといい、何回確認させるんだと頭を振るグレイアムに、アリシアは瞳を震わせた。
「…………うそ。うそよ! だってグレイアムは私のことが好きだったでしょう!?」
悲痛な叫びをこだまさせたアリシアだったが、その想いはグレイアムに届かない。
彼はアビゲイルの手をとると、先に馬車へと乗せる。
アビゲイルが頭を打たないように屋根に手を当てながら優しくエスコートしつつも、グレイアムはなんてことなさげに口を開いた。
「――昔は、な。今は違う」
「…………今は違うって」
口を閉ざすアリシアと同じように、アビゲイルもまた唇を強く結ぶ。
やはり噂通り、グレイアムはアリシアを好きだったのだ。
しょせんは過去。
だから気にする必要なんてないのに――。
なんだか、胸が苦しいんだ。
「…………お姉様がなにかしたの?」
ぼそりとつぶやかれた言葉は、確かにアビゲイルへと届いた。
アリシアも無意識だったのだろう。
つぶやいた後にしまったと、口を両手で覆った。
青々とした美しい瞳に、罪悪感が混じる。
「――ち、違うのお姉様! これは……っ!」
馬車にグレイアムが乗り込むと、すぐに動き出した。
アビゲイルは窓からアリシアを眺め、ああ、と落胆する。
優しい子だと思っていた。
いや、優しい子なのだろう。
ただ今は少しだけ、余裕がなかったのだ。
――だとしても。
そのセリフは、普段から思っていないと出てこないだろう。
アビゲイルが呪われた存在なのだと。
「まってお姉様! 話を聞いて!」
「アビゲイル! やはりもう少しここに――!」
アリシアとヒューバートの声が遠くなる。
それをぼんやりと聞き続けた。
「……」
「…………アビゲイル?」
アリシアだけは違うと思っていた。
確かにアビゲイルを怖がってはいたけれど、それは人見知り的なものだと、そう思い込んでいたのだ。
孤児や病気の人にまで慈愛の手を差し伸べる、女神のような女性。
そう聞いていたから……。
「アビゲイル? ……大丈夫か?」
ふと前を見れば、心配そうなグレイアムの顔がある。
アビゲイルはなにも考えず、ふと言葉を転がり出した。
「……アリシアが好きだったの?」
まさかそんなことを聞かれると思ってなかったのだろう。
グレイアムは瞳を瞬かせた。
「――アリシア? ……ああ! 彼女を好きだったのは俺じゃない。……いや、俺だけど……えっと……」
どういうことだろうか?
グレイアムの言いたいことがわからない……と考えた時、ふと思い出した。
そういえば彼はグレイアムであってグレイアムではないのだ。
「……もしかして、あなたがこっちにくる前のグレイアムは、アリシアのことを好きだったの?」
「そうだ! グレイアムは攻略対象だからな……。俺は今も昔もアビゲイル一筋だ」
「…………そ、そう」
どういう反応をしたらいいのかわからず、とりあえず曖昧な返事をしておいた。
まあ一応、納得できる返事をもらえたからか、苦しかった胸も落ち着きを取り戻したようだ。
カタカタと揺れる馬車に身を預けつつ、アビゲイルはふと息をつく。
「…………」
かわいそうなアリシア。
どうやら彼女にも、幸せになってもらわないといけないらしい。
堕ちて、堕ちて堕ちて。
この手の中に。
「――アリシアも堕とさなきゃ」
「アビゲイルの心のままに」




