即位式
青々とした空は、まるで新たな王を歓迎するかのようだった。
王族を象徴する青い瞳と同じ色の空を見上げ、アビゲイルは苦い顔をする。
今日は新王を祝う即位式だ。
「国王陛下ばんざーい!」
「新たな王に祝福あれー!」
人々の祝いの声がする。
前王は悪い王ではなかったけれど、だからと言って良い王でもなかった。
人々の記憶に薄い王というのは、それだけで存在を否定されることもある。
国民にとっていい王でないのなら、それは愚王となるのだろう。
だからこそ願うのだ。
次の王こそ良き王であることを。
アビゲイルは馬車の中から笑顔に溢れた人々を眺める。
次の王の真実を知っているからこそ、彼らの願いは叶わないのだと冷めた目を向けてしまう。
父も愚かだったが、だからといってヒューバートがよい王になれるかと言われれば、口をつぐむよりほかにない。
かわいそうな人たち、と過ぎ去る景色の一部とかした国民を眺める。
「……緊張しているか?」
不意にかけられた声に、アビゲイルは前を向く。
そこにはアビゲイルとお揃いの、黒を基調にしたシックな装いのグレイアムがおり、心配した面持ちで見つめてくる。
「……いいえ。不思議ね? お母様に会うというのに、こんなに心穏やかでいられるなんて」
子供にとって母親という存在は大きいのだろう。
アビゲイルの深いところには、まだ母という存在がいる気がした。
そしてそれはきっと、消えることはないのだ。
幼いころの記憶やトラウマは、泡のように消えてはくれない。
だというのに、心は凪いでいた。
「きっとグレイアムが一緒にいてくれるからね」
「それはアビゲイルの強さがあってこそだが……俺が君の力になれているなら、これ以上嬉しいことはない」
グレイアムのおかげ、なんてもう何度目かわからない。
ずっと彼には助けてもらっている。
だからこそ、必ず彼にお礼をしなくては。
実はエイベルに相談をして、密かに勧めていることがあるのだが、ちっとも上手くいかないのだ。
自分がこんなに不器用だったなんて思いもしなかった。
こんなことなら公爵家に来る前に、もっと手先を鍛えておけばよかったなと、指先を見てむむっと眉間に皺を寄せていると、それに気づいたグレイアムが小首を傾げた。
「……怪我をしたのか? 大丈夫か?」
「――平気! 大したことないから!」
慌てて両手を振って誤魔化しつつ、左手をさり気なく背後に隠した。
指先に巻かれた包帯に気づかれてしまったようだが、まだアビゲイルがなにをしてるかまでは勘付かれていないようだ。
ほっと息をついたその時、馬車がゆっくりと止まる。
「――着いたようだ」
「……ええ」
やってきたのは王宮にあるパーティー会場だ。
本当は即位式自体に出ようと思っていたのだが、次のターゲットが王太后であること。
またヒューバートのアビゲイルへの態度を見せたいのが貴族だということもあり、彼らが集まるパーティーにのみ参列することにしたのだ。
国民たちが見る式典に出て、いらぬざわめきを起こしたくない。
それにパーティーでも、面子を重んじる王太后にはキツイだろうと考え決めたのだ。
ちなみにヒューバートにそのことを伝えた時はとても心配していた。
本当に出なくていいのか、席は用意しているとしきりに言ってきたが丁寧に断った。
そんなわけで公爵家の馬車でやってきたアビゲイルは、グレイアムのエスコートの元パーティー会場へと足を踏み入れる。
「――…………おい、あれ」
「……なんでここに?」
「前王陛下の葬儀にまで顔を出してたのに……」
「なんで恥知らずなのかしら――!」
ざわめき出す人々の声をかき分けて、アビゲイルは会場をひた歩く。
隣にいるグレイアムの腕に己の腕を絡めて。
アビゲイルが歩くたびに、きらきらと青い宝石のついた髪飾りが輝く。
黒いレースがふんだんに使われたドレスにも、青く煌めく宝石が縫い付けられている。
真っ白な肌に薄く色づけられた化粧も、彼女の美しさを引き立たせた。
会場にいる誰も彼もが一瞬、そこにいるのが嫌われ王女だとは思わなかったはずだ。
なぜなら彼女は惨めでなくてはならないから。
ボロをまとい、下を向くのがお似合いだから。
だというのに……。
「……どうして公爵様と一緒なの?」
年若い女性の声が聞こえる。
この国一番惨めなはずの女性は、今この国で一番注目されている男性と現れた。
お揃いの黒を纏って。
アビゲイルとグレイアムは歩みを進め、玉座に座るヒューバートの前にやってくる。
腕を離し膝を折った二人は、ざわめく会場に響く凛とした声で告げた。
「国王陛下、ご即位おめでとうございます」
「陛下の御代が末長く続きますように」
その言葉を聞いた会場は、しんっと静まり返った。
会場にいる誰もが思ったのだ。
これは、国王の怒号が響き渡るぞ、と。
いつも通り怒りに任せて喚き散らすだろう王を想像し、人々が口に蔑みを表したその時だ。
王が口を開いた。
「――よくきた。我が愛しの妹アビゲイル。そしてその婚約者であり、我が友グレイアム。今日は楽しんでいってくれ」




