女神
「……王妃? なんで王妃が出てくるんだ」
「お前たちがやろうとしてることは、下手をしたら王太子が玉座に着けなくなるからだ」
彼らからしてみれば、ヒューバートを脅して金を奪おうとしただけだろう。
だからまさか玉座やら王妃やらが絡んでくるなんて、うゆとも思っていなかったようだ。
そんなわけないのに。
こちらもこちらでそこまで頭がいいわけではないようだ。
「王太子が違法賭博やってた、なんてバレたら国民からの心象最悪だろう。今はただでさえ即位式間近なんだぞ? 王宮内のヒリつきは相当だ」
その原因の大半が王妃だろう。
今が一番大切で、他の側室たちに弱みなど見せられるわけがない。
国王の遺言がありヒューバートが王位を継ぐと決まっていたとしても、気を緩めることができないのが王宮と言う場所だ。
聞いたところによれば、側室の息子たちはなかなかに優秀らしく、そちらを王にと望む声も出ているらしい。
そんな中でヒューバートの違法賭博事件が報じられでもしたら、世論がどう転ぶかわからない。
「…………お、王太子が王を継ぐんじゃねぇのか?」
「基本はな。だが例外もある。王には側室がいて、二人息子がいる。そいつらが打って変わる可能性もゼロじゃない」
やっとことの重大さがわかってきたのか、男たちの顔色が変わる。
「お前たちがやろうとしてるのは、王宮を……いや、国を大混乱に陥れる行為だ」
「そんな! オレたちはただ……ちーっとばかし金を多めにもらおうと……」
「そ、そうだそうだ! 元はといえばオレたちの金じゃねぇか!」
「返してもらってなにが悪いってんだ!」
それでもなお言い訳を繰り返す彼らに呆れたらしいグレイアムは、大きなため息と共に少しだけ声を低くした。
「――聞け。このままだとお前らは殺される。王妃は自分の息子を王にするためなら手段なんて選ばないぞ」
「……お、王族がそんなことしていいはずがないだろ――!」
男の言葉に、グレイアムは鼻で笑った。
「本当に馬鹿だな。王族が潔白な存在だと本気で思ってるのか? ならどうしてこの世界には戦争なんてものがある? もう一度言うぞ。王妃はお前たちなんて簡単に殺せるんだ」
「…………」
男たちは顔を見合わせる。
しばしの沈黙。
その後に、まるで探るように口を開いた。
「……オレたち、どうしたらいい?」
お膳立ては済んだらしい。
グレイアムはゆったりと立ち上がると、アビゲイルへと振り返る。
あとは任せてくれるらしい。
本当にありがたいと頷きつつ、彼と場所を代わった。
「……あ? ……お前…………っ!」
仄暗い地下室には、弱い蝋燭の灯りしかない。
だからグレイアムの後ろにいたアビゲイルが、誰だかわからなかったのだろう。
だが今、蝋燭の灯りに照らされたことによって、アビゲイルの赤い瞳に気づいたようだ。
男の顔が途端に歪む。
「――嫌われ王女!? な、なんでこんなところに!?」
「やめろ見るな! オレたちを呪う気か!?」
慌てて顔を隠す男たちに、アビゲイルはまたこの反応かと呆れてしまう。
誰も彼もが呪いだなんだと言うけれど、残念ながらアビゲイルにそんな力はない。
むしろそんな力があったほうが、復讐も簡単だっただろうにと思った時、ふと気がついた。
昔はこうして呪われる、見るな、と言われるたびに傷ついていたのに。
今では呆れはするものの、この心が嘆くことはない。
やはり強くなったのだなと、そっと己の胸に手を当てる。
とくとくと脈打つ心臓は、不思議なほど穏やかだ。
「……私は、あなたたちを救いにきたの」
こういう時の声色はどうするべきか。
ヒューバートの一件で理解した。
穏やかに、しかし凛とした声で、彼らを救いに現れた救世主を演じる。
牢屋越しではあるものの、アビゲイルは口元に優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫。私があなたたちを救ってみせるわ」
「…………オレたちを救う? 嫌われ者の王女が? 一体なにができるっていうんだ」
そうだ。
彼らの中でアビゲイルは、王宮にこもって出てこない嫌われ者の王女。
その後のことを知る者はいない。
だが、だからこそ簡単に堕とせるのだと心の中で笑う。
「エド・ハリン。デューク・エゼル。オリバー・ガゼッド」
「……なんで、オレたちの名前」
「エド? お母様のお体は大丈夫?」
ひゅっ、と喉が鳴る音がした。
「デューク? お父様の借金はあといくらあるのかしら?」
小さく歯軋りをする音が響く。
「オリバー? 妹さんの身売りまで、あと何日?」
びくり、と体を震わせた際の鎖の音がこだました。
「……みんな、大変だったのね?」
調べは全てついている。
彼らがなぜ八百長賭博になんて加担しているのか。
ただ己の懐を温かくしたいだけなのかと思ったが、意外や意外それぞれに深い事情があったのだ。
なんてかわいそうなのだろうか?
みな家族のためにそんなことに手を染めていたなんて。
――そう、なんて……。
なんでやりやすいのだろうか?
こちらにはありがたすぎる事情だ。
「大丈夫。もう大丈夫よ?」
「……オレたちは…………」
「わかってるわ。あなたたちはがんばったわ。けれどね、自分だけではできないこともあるでしょう?」
両手を広げる。
全てを受け入れるように彼らへと手を差し出せば、男たちは呆然とアビゲイルを見つめた。
「全て私が解決してあげる。あなたたちも、あなたたちの家族も、私が幸せにしてあげるわ」
大丈夫、大丈夫と何度も囁けば、徐々に男たちの目が虚ろに変わっていく。
「…………オレ、たちは」
「もういいのよ。苦しまないで?」
ゆっくりと落ちていく瞼を見つめつつ、アビゲイルはただ慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。
「あなたたちはもうじゅうぶん頑張ったんだもの。少しくらい、人を頼ってもいいのよ?」
「…………ほんとうに、もういいのか? ……これ以上苦しまなくて、本当に?」
「ええ。ご家族のこともなにも心配いらないわ。私がまとめて面倒を見てあげるから」
「………………めがみさま」
ぽつり、と呟かれた言葉は、まるで伝染するかのように男たちの間で広まる。
口々に女神女神と言い始め、やがて自らの意思で頭を下げた。
「このご恩は必ず返します! 必ずです!」
「オレたちにできることならなんでもします!」
「だからどうか……っ! オレたちを、助けてください!」
アビゲイルは男たちを一人一人見つめ、やがて静かに頷いた。
女神の如き優しさで彼らを包み込んだアビゲイルの瞳は、やはり赤く鈍い光を放っていた――。




