地下
公爵家の地下には、特別な場所がある。
石レンガで造られたそこは、月の光も入らないような薄暗い場所だ。
つんっと鼻をつく独特な香りに眉を寄せつつも、アビゲイルはエイベルが持つ蝋燭の明かりを頼りに降りていく。
もちろんそんなアビゲイルの手を持ち支えているのはグレイアムだ。
彼が丁寧にエスコートしてくれるおかげで、アビゲイルは地下にある牢屋へとやってくることができた。
「…………」
がしゃんがしゃんと、重たい鎖の音がする。
蝋燭の明かりに気づいたのだろう、一斉に鉄格子の間をすり抜け六本の手が伸びてきた。
その光景には流石のアビゲイルも一歩後ずさる。
「オレたちがなにしたってんだ!?」
「ふざけんな! ここからだせ!」
「てめぇら皆殺しにしてやるからな!」
止まることのない罵声を浴びせられる。
がんがんと拳で鉄格子を殴り続ける男たちに驚いていると、エイベルが近くにあった鉄のパイプで勢いよく牢屋の扉を殴った。
「黙りなさい。この方々は貴様らのような下賎な者が、本来顔を合わせることもできないほど高貴な方々なんですよ」
聞いたことのない低い声に、アビゲイルは目を丸くしてエイベルを見た。
普段の温厚かつ穏やかな優しい表情から一変、ゴミを見るような鋭い視線を向けるエイベルに、向けられた側も驚いたのか口を閉ざす。
黙り込んだ男たちに、グレイアムが声をかけた。
「己の立場を理解していないようだな」
「……っ、なんだってんだ! この人攫いが!」
やけに威勢のいい男が一人いる。
雰囲気的にたぶん彼らの中でもリーダー的立ち位置なのだろう。
そう叫んだ彼の喉元に、エイベルがなかなかの勢いで鉄の棒を押し付けた。
「――っ! ぐっ、ごほっ!」
「黙れと言っているのがわからないようですね。――殺しますか?」
「いや。少し待ってくれ」
鉄の棒を力強く握るエイベルを抑えて、グレイアムは鉄格子に近づくと膝を折る。
うずくまる男たちに向けて話しかけた。
「お前たち、八百長賭博をやってるな?」
「…………な゛んの話だ?」
喉を押さえつつもガラガラの声で答えた男は、シラを切るつもりらしい。
もちろんそうなるだろうとわかっていたグレイアムは、後ろを見ることなく手を出し、そこにエイベルによって紙の束が置かれる。
ペラペラと軽くめくったグレイアムは、その紙を牢の中にばら撒いた。
「馬鹿かお前ら? こんなことするんだから、証拠なんてあるに決まってるだろう」
たまたま足元に落ちてきた紙を見るが、もちろん暗くて詳細なんてわからない。
だが事前にその紙を見せてもらっていたアビゲイルには、それがなんなのかわかっていた。
そこには事細かに八百長賭博の件が書かれている。
何年何月何日に、どこの誰がいくら賭けたか。
確かたまたま読んだ紙に書かれていた賭博内容は、人対人の殺し合いだった。
それも新人対ベテランの戦いらしく、もちろん多くの人間がベテランに賭けた。
だがベテランは殺され、新人が勝ったらしい。
しかしこれは八百長だ。
本当はベテランは生きており、血糊を使った演出だったようだ。
現在そのベテランは顔を変え、今でもその八百長賭博に別人として出ているらしい。
男の名前、家族構成、現在の所在地まで調べがついているらしく、これでは逃げることもできないだろう。
最悪はここらへんの人々を一掃すれば、八百長賭博を白日の元に晒せる。
だがもちろんそんなことはしない。
アビゲイルたちの目的は、他にあるのだから。
「お前たちわかってるのか? 今お前たちが脅してる相手は、この国の王太子だぞ」
「――は! なるほどなぁ! あの腰抜け王子に頼まれてこんなことしたってのか! クソがっ! あいつが馬鹿みたいに賭けただけで、オレたちはなに一つ悪くねぇよ!」
「金は返したはずだぞ?」
「利子がある! あいつが返す数分前に利子が上がったんだよ!」
「…………借用書があるはずだぞ?」
「あいつはたいして読まずにサインをしたんだ! 借用書にはちゃーんと書いてあったぜ? 利子は貸主の意思で変更可能ってな!」
「なるほど、クソだな」
ヒューバートという金のなる木を失いたくなかったようだ。
それにしてもきちんと読みもせずにサインをするなんて、あとでヒューバートにはお小言をあげないといけないようだ。
兄のあり得ない失態にため息をこぼすアビゲイルのそばで、グレイアムもまた息をついた。
「王太子の馬鹿は一旦置いといて、お前らそんなことしてただで済むと思っているのか?」
「そんなこと? あの腰抜け間抜け王子になにができるってんだ! 殺し合いを見てチビるようなやつだぞ!」
ガハハっと大きな声で笑う男たちの声は、とても耳障りだった。
大きな声に慌てて耳を塞いだが、エイベルがまたしても鉄格子を叩くことで彼らを止める。
同じ男の人なのに、こんなに違うものかとグレイアムの後ろ姿を見つめた。
低く力強いけれど、でも威圧感などはない。
心地よい声色は、むしろ聞いていて落ち着くのに。
ニヤニヤと笑う男たちを瞳に映した時、同じくグレイアムも男たちへ射抜くような視線を向けた。
「間抜けはお前たちだ。王子の後ろにいるのが誰か、わかってないのか?」
「あ? 誰だってんだ?」
「王妃にこのことがバレたら、お前らは間違いなく殺されるぞ」




