母親
「なん、だと?」
アビゲイルの言葉を聞いたヒューバートは、大きく目を見開く。
想像もしていなかったと顔に書いており、思わず呆れてしまいそうになるのを必死に堪えた。
「賭博などではよくあるようなのです。なにも知らない人を勝たせていい気分にさせてその後……。彼らにとってはいいカモですから」
いいカモ、という言葉が癇に障ったのだろう。
ヒューバートが拳で己の膝を強く叩いた。
「――あいつらっ、捕まえてやる! 騎士に言って……」
「落ち着いてください。お兄様は国王となるかた。今そのような騒ぎを起こすわけにはいきません」
だからこそこの話題を出したのだ。
勝手に解決されては困ると、アビゲイルは少しだけヒューバートとの距離を詰める。
「お兄様が違法賭博と関係性があるなんて、絶対にバレてはいけないでしょう?」
「――そ、そうだな。そうだった……」
落ち着きを取り戻しつつも苛立ちは抑えられないのか、ヒューバートは足を揺すりはじめる。
「くそっ! こんな時に父上が死ななければ……っ!」
「お兄様にはこのアビゲイルがいます。必ずお兄様の願いを叶えてみせますから」
「…………」
国王が生きていようが亡くなろうが、彼の不自由はなんら変わらないというのに。
むしろ国王となったほうがまだ動きやすいだろう。
だからこそアビゲイルが仕掛けるのは、このタイミングがベストなのだ。
本当になにもわかっていないのだなと、今度はその震える肩に触れた。
「お兄様が国王となるための障害は全て私が排除しましょう」
「……アビゲイル。本当か……? 本当にやってくれるのか……?」
「――もちろんです」
むしろヒューバートが国王となってくれたほうが、何倍もやりやすいというものだ。
堕としたあとこそ本番。
彼にはいろいろ動いてもらわないとないけないのだから。
「なのでひとまずその借金を私が肩代わりします」
「そ、そんなことできるのか? ……かなりの金額だぞ?」
王太子が簡単に動かせないとなると、相当な金額なのは容易に想像できる。
だが、だからこそ意味があるのだ。
「お兄様を騙したものたちは、お兄様が国王となった後にこそ、無理難題を押し付けてくるでしょう」
「――どういう意味だ?」
「国王として表舞台に立つお兄様にとって、一番厄介なのはゴシップです。……残念ながらお父様の支持率は低かったですから、お兄様にはその息子というレッテルが貼られるはずです」
なにもしない国王。
いるだけの存在。
そんなことを言われていた前国王は、もちろん国民たちからの支持は低かった。
所詮下賎なものたちと父はたかを括っていたらしいが、なんだかんだ気にしいのヒューバートではそうはいかないだろう。
それに彼の隣にはあの王妃がいる。
「違法賭博の件をバラされたくなければ……なんて言ってくる可能性もあります」
「…………そんなっ」
「だから今すぐにでも彼らとは縁を切るべきなのです」
「そ、そうだな……! 元よりあんなやつら……っ」
負けた時の苦い記憶でも蘇ったのか、ヒューバートは唇を噛んだ。
「…………アビゲイルの言うとおりだ。ひとまず借金を返して、それから考えればいい。だな?」
「――ええ、そのとおりです」
「だがお前がそんなに金を持っているとは思えないが……?」
「……そうですね」
アビゲイル自身にお金はない。
生まれながらないものとされていた存在に、資金など持たせる必要がないからだ。
本当ならアビゲイルにも王族としてそれなりの金品があるはずなのに。
瞳を伏せかけたアビゲイルに代わり、グレイアムが口を開いた。
「アビゲイルを迎え入れるために用意した分がある。それは俺が彼女に渡したもので、それを使ってまで兄を助けたいとアビゲイルは言ってきたんだ」
「…………アビゲイル、お前」
グレイアムがお金を用意してくれていたのは本当だ。
彼は王女であるアビゲイルを自らの妻にするのだからと、嫁入りにかかる全ての費用を負担しようとしてくれていた。
ドレスも誰よりも豪華なものにしようと意気込んでいたグレイアムだったが、そのお金をアビゲイルの復讐に使うことを提案してきたのだ。
それはひとえにアビゲイルのため。
「グレイアムが許してくれたんです。私のためならって」
「…………」
ヒューバートは考えるように黙り込んだあと、今度はグレイアムへと顔を向けた。
「……本気でアビゲイルと結婚するつもりなのか?」
「そうだと言っている。俺はアビゲイル以外考えられない」
「……グレイアム」
グレイアムの言葉を聞いたヒューバートはしばし黙り込み、その後こくりと頷いた。
「……わかった。お前が本気なのも理解した」
ため息混じりではあったがそう言うと、ヒューバートはアビゲイルへと向き合った。
「頼む、アビゲイル。僕を助けてくれ……!」
「……もちろんです。お兄様」
頭を下げたままのヒューバートの頭を、アビゲイルは優しく撫でる。
その姿はまるで、幼い子どもをあやす母のようだったと、のちにグレイアムが語っていた。
だがそんな優しい声色や手つきとは裏腹に、アビゲイルの赤い目が鈍く光出す。
「大丈夫。大丈夫ですよ、お兄様。お兄様の困り事は全て……。私が解決してあげますから」
「…………ありがとう、アビゲイル――!」
顔を上げたヒューバートは、アビゲイルの赤い目を見つめつつ、どこか虚ろな瞳のまま微笑んでいた。




