葬儀にて
「……お父様……? お前、自分がなに言ってるのかわかってるのか!?」
ヒューバートの怒りの声にも、アビゲイルは動じることはなかった。
むしろ努めて冷静に見返すことができる。
アビゲイルが国王を父と呼ぶことを、家族の誰もが嫌がった。
いや、家族であることを口にするのを嫌がった、と言うべきなのかもしれない。
誰も彼も認めたくないのだ。
自分と同じ血を持つものが『赤』を持っているなんて。
だってそれは可能性があると言っているようなものだ。
もしかしたら明日にでも、自分の体の一部が『赤』になるかもしれないと言う。
「……」
ああ、と。
アビゲイルの心にすとんと落ちてくるものがあった。
彼らは恐れているのだ。
アビゲイルという存在を。
今まではそれが悲しかった。
血のつながった家族なのに、と。
でも今は違う。
――己を恐れてくれていることのやりやすさ。
アビゲイルはそっと細く笑む。
「お兄様。お父様にお花をお渡ししたいのですが……?」
「ふざけるな! 僕を兄と呼ぶなっ!」
必死な顔。
恐怖を隠すために無理やり強さで押さえつけて……。
――なんてかわいそうなのだろうか?
「……では王太子殿下。国王陛下にお花をお渡ししたいのですが」
「やめて! 陛下に近づかないで!」
国王を庇うように両手を広げる王妃。
きっとその姿は亡くなった夫を生涯愛する妻に見えるのだろう。
実際は他に子どもがいるのだから笑えてくる。
アビゲイルは足を進め、王妃の隣を通る。
その瞬間、声をひそめ告げた。
「【あの子】に会いたくないですか……?」
「――」
大きく見開かれた目が、アビゲイルを注視する。
母の瞳に憎しみや恐怖といった負の感情以外の色が灯る。
あの子、という抽象的な言葉にすら反応するほど、母の心には常にいるのだ。
――愛人との間の子が。
羨ましいな、と思う。
そんなふうに母の心を愛で満たし、その想いを一身に受ける子が。
だが昔ほどの焦燥感はない。
アビゲイルの中にも、愛があるからだ。
黙り込んだ王妃を背に、アビゲイルは国王の前に立つ。
病に侵されてからは、あっという間だったらしい。
だと言うのに頰は痩け、顔は青白い。
「……当たり前ね」
亡くなっているのだから、顔色が悪いのは当たり前かと眠り続ける顔を見つめる。
アビゲイルにとって父の記憶は薄い。
母のように憎しみの目を向けるわけでも、兄のように罵倒するわけでもなかった。
父にとってアビゲイルは無だ。
生きていようと死んでいようと関係ない。
そもそも産まれたことすら認めていない。
そんな存在。
手に持った花を父の顔元に置きつつ、少しだけ顔を近づける。
他の人に聞こえないよう、小声で囁いた。
「安心してください。家族はみんな、私が【幸せ】にしますから」
だからどうか安らかに。
それだけ告げるとアビゲイルは踵を返した。
父とはもうこれで最後だろう。
本当に残念だ。
生きていたら【幸せ】にしてあげたのに。
「……さて、と」
呆然と立ち尽くす母の横を通り、怒りに顔を赤くする兄の元へと向かう。
今日の目的は父じゃない。
ぎゃーぎゃーと文句を言うヒューバートを、アビゲイルはその赤い目に映す。
ゆっくりだ。
ゆっくりゆっくりと絡めとっていく。
本人も気づかぬ間に体の自由を奪っていくんだ。
獲物はそこに、いる。
「お兄様」
「――兄と呼ぶな! 気色の悪いやつめ!」
ヒューバートの言葉に同意するかのように、周りにいる貴族たちがざわめき始める。
『なぜ来たのかしら?』
『本当に……。国王陛下の顔に泥を塗るなんて!』
『禁忌の子でも育ててくださったのに……』
『なんて厚かましいのかしら』
耳障りな騒音を聞きながらも、アビゲイルは穏やかにヒューバートを見つめる。
兄という存在があんなに怖かったのに、今ではただの獲物にしか見えない。
この人を自堕落の底へと落とせると思うと、口元がにやけそうになる。
「聞いてるのかお前!? 父上に申し訳ないとは思わないのか!」
「……お兄様。二人で話したいことがあります」
作戦をはじめなくては。
「――二人? な、なにをする気だ……!? まさか僕を呪うのか!?」
「そんなこと私にできるとお思いですか?」
「わからないだろ。お前は呪われた存在だからな」
その後もあれこれと口が止まらないらしいヒューバートに、アビゲイルは思わずため息をこぼす。
これ以上無駄口を叩かれるのも面倒だと、一歩足を踏み出した。
ヒューバートと距離を縮め、彼にだけ聞こえるよう呟く。
「私ならお兄様が望むことを叶えてあげられますよ?」
「――…………」
ヒューバートの瞳が真っ直ぐにアビゲイルをとらえる。
探るように彼の目がこちらを見てきたので、ただにこやかに微笑んでみせた。
本当だと、嘘偽りではないと伝えるために。
「…………話をしよう」
「お兄様!?」
話を聞いていたアリシアが驚いたように声を上げたが、ヒューバートは目もくれない。
どうやら思っていたよりも切羽詰まっていたようだ。
「お兄様待ってください! 危険では……」
「アリシア」
ヒューバートを止めようとするアリシアの前に、グレイアムが立つ。
彼の顔を見た途端に、アリシアの頰に赤みがさす。
「――グレイアム!」
アリシアの頭の中からヒューバートという存在はぴょんとどこかへ飛んでいってしまったらしい。
彼女はグレイアムに近寄ると、その服を軽く掴む。
「久しぶりね! なにをしていたの? 最近会えてなかったから……!」
「……そうだな」
抑揚のない声で答えつつ、グレイアムはちらりとアビゲイルのほうを見る。
誰にもわからないように小さく頷いたのを見て、アビゲイルもまた視線で答えた。
わかってる。
ここからが勝負だ。
アリシアのことが少しだけ気になったけれど、無理やり前をむいた。
今は他のことに気を取られるわけにはいかない。
「行きましょう、お兄様」
「……ああ」
――さあ、狩りのはじまりだ。




