二柱の力
アビゲイルは微睡の中にいた。
ふわふわとしたまるで雲の上にでもいるような感覚は、とても不思議だが心地よい。
ずっとここにいたいと思ってしまうほとだ。
けれど意識は浮上して、アビゲイルはそっと目を開ける。
「――起きたか?」
「…………終焉の神?」
眠るアビゲイルを見守る終焉の神は、目覚めたことに気づくと不器用そうに微笑んだ。
「現実世界のお前はまだ眠っているがな」
「……つまり夢を見ているわけね」
体が重い。
意識もハッキリしたわけではなく、アビゲイルは寝転んだまま終焉の神と話をする。
「……思い出したわ。だから呼んだんでしょう?」
「…………そうだな」
終焉の神はアビゲイルの頭に触れると、優しく撫でてくれた。
「――アビゲイル。お前は我と新生の神……エヴァンとの間に産まれるはずだった子。死ぬ前のエヴァンと我の力を使い、魂を人間へと転生させた」
「…………そう。やっぱり、そうなのね」
頭の中に響いた声でなんとなく想像はしていたが、やはりそうなのかと軽く頷いた。
新生の神のお腹に宿っていた命は、彼女が亡くなる前に別の形に姿を変えていたのだ。
それがアビゲイル。
エレンディーレの王女であり、禁忌の赤目を持つもの。
「お前の髪はエヴァンにそっくりだ」
「……目はあなた?」
「――そうだな。……我に似ている」
両親か……。
とアビゲイルは改めて終焉の神を見る。
彼の声に懐かしさを覚えたのは、実際に昔聴いていたからだ。
まだ産まれる前のこと。
新生の神の腹にいたころに話しかけてくれた、優しい声の持ち主。
それが終焉の神だったのだ。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「…………あなたは、嬉しかった? 子どもができたと聞いて」
頭を撫でる手が止まる。
驚いたように目を見開いた終焉の神は、次に悲しそうに微笑んだ。
「心の底から嬉しかった。……エヴァンとともに、お前の成長を見守れるのだと信じて疑わなかった」
「…………そう」
生みの親であるカミラからの愛を垣間見たアビゲイルだけれど、それでも終焉の神の言葉は嬉しかった。
ずっと欲しかった親からの愛を、アビゲイルは知らないうちに持っていたのだ。
今アビゲイルがここにいる。
それがなによりアビゲイルが愛されていた証明になるのだから。
「……新生の神も、そうだったのかしら?」
「我の何倍もお前を愛していたさ。毎日毎日、必ずお前に話しかけていた。産まれてくるのを楽しみにしていると……」
ああ、そうか。
そうだったのか。
この身はずっと、愛されていたのだ。
空っぽなどではなかったのだ。
そう思うとただただ嬉しくて、無意識にも涙がこぼれ落ちる。
「……私、愛されてたんだ。そっか……よかった……」
「愛されていた、ではない」
終焉の神が改めてアビゲイルの頭を撫でる。
この手にも、どことなく覚えがある気がした。
アビゲイルがまだお腹の中にいたときに、優しく声をかけながら撫でてくれたあの手だ。
「今でもずっと……お前を愛している。思い出してくれて、ありがとう」
「――…………うん」
涙が止まらなかった。
ホロホロと流れる涙は温かくって、止めたいと思わなかったのだ。
「泣くな。お前に泣かれるとどうしていいかわからない」
「そのまま撫でてくれるだけでいいわ」
「――そうか……」
しばらくズビズビと鼻を鳴らしていたアビゲイルだったが、その間もずっと終焉の神は頭を撫でてくれた。
その心地よさにやっと涙が落ち着いた時、終焉の神は口を開く。
「お前は我とエヴァンの子ども。だからこそ、我らの力の一部を使うことができる」
「……一部? 穴を開けることができたのがそれ?」
「そうだ。お前はわかっていると思うが、あれは死の世界への扉。あれに落ちたが最後、この世界には戻ってこれない。肉体は消滅し、魂も堕ちる」
なんとなくアビゲイルが思っていたとおりのものらしい。
ならやはり、あそこにイスカリの側近を落とさなくてよかったなと安堵し、――はたと動きを止めた。
「――ちょっと待って。私が使ったのはあなたの力だけよ? それなのに……」
「いや。お前はもうエヴァンの力も使っているぞ」
どういうことだ?
アビゲイルにそんなつもりはない。
新生の神の力がどんなものかはわからないが、そんな特別な力を使った覚えがあるのは、あの話し合いの時だけだ。
「死ななかっただろう? あの公爵は」
「…………どういう意味?」
公爵とは、きっとグレイアムのことだ。
確かに彼は生きているが、それとアビゲイルの力、なんのつながりがあるのだろうか?
「あの男を治したのはお前だ。エヴァンの力で傷そのものをなかったものに……新しく細胞を作り出したんだ。エヴァンの力は強いからな。人間にとって負担になる。男が起きないのはそのせいだ」
「…………アリシアの力かと思ってたわ」
「ああ、癒しの女神の生まれ変わりか。あれに死んだ人間を蘇らせる力はない」
それはつまり、グレイアムは一度死んだということか。
確かにあの冷たさは……と思い出しゾッとした。
あの時無意識にでもアビゲイルが力を使っていなかったらと思うと、思わず口を押さえてしまう。
「――そろそろ起きるころだな」
「え?」
終焉の神の言葉にパッと顔を上げると、視界が明るくなる。
この感じに覚えがあると己の手を見れば、光の粒子となって消えていく。
「忘れるな。アビゲイル、お前は二柱の娘。その力を使えば世界を変えることもできる」
「そんなことするつもりはないけれど…………」
「だとしても、周りはお前に頼りきるだろうな。――味方を見つけろ。お前という存在を見て、愛してくれるものたちを」
視界が揺らぐ。
意識が遠のく中、アビゲイルは終焉の神の最後の声を聞く。
「――どうか、幸せになってくれ。我が娘、アビゲイル……」




