腕の中で微睡む
メリアから衝撃的な話を聞いた次の日のことだ。
アビゲイルはイスカリとともに王宮の地下へと向かっていた。
「手を。ここから先は少し道が荒れている」
「…………どうも」
イスカリから差し出された手に、若干戸惑いながらも己の手を重ねた。
イスカリのいうとおり、地下は岩を削ったようなデコボコとした階段があるだけだ。
外壁の外は水の中ということで光がいっさい入ってこないため、イスカリが持つ蝋燭の光だけ。
足元が悪すぎるため、しかたないとイスカリを頼ることにした。
「神話についてはどこまで知っている?」
「……調べたわ。新生の神と終焉の神、そして癒しの神……」
「エレンディーレで伝わる話とはずいぶん違うだろう」
「……そうね。終焉の神……エレンディーレでは死の神だけれど、彼が悪いんだと思ってたわ」
アビゲイルの言葉に、イスカリは鼻を鳴らした。
「なにをどうしたらそうなるんだろうな。エレンディーレはおかしな国だ」
「本当にね……。あれだけ赤色を忌み嫌っていることも……おかしいと今なら思えるわ」
「……そういえばそうだったな」
エレンディーレのことを思い出したのだろう。
イスカリが大きなため息をついた。
「俺もあの国にいたら禁忌の子か」
「……私よりもね」
「――はっ! それはそうだ」
燃えるような赤い髪と瞳を持つイスカリは、エレンディーレで生きていくのはつらいだろう。
まあ彼ならそんなこと、ものともしないのかもしれないが。
「禁忌だなんだとくだらない。――下賎な人間は特別な存在を羨むあまり蔑むんだ」
「……赤い色を持つものは特別?」
「当たり前だろう。この俺が身につける色なんだぞ」
「……あなたがいうと、そうなんだって思えてくるわ」
常に自信に満ちているイスカリの言葉は、なんだか説得力があるように思える。
面白いなとくすくすと笑っていると、やっと階段を降りることができた。
「ここが湖になる前に祠が建てられたらしくてな。その入り口をうまく繋げて、ここに入れるようにしてある。とはいえ中にあるのは二柱の像くらいだから、訪れるものもそうそういないがな」
「……悲しいわね。せっかく祀られているというのに」
「そう思うならまたくればいい。許可を出しておいてやる」
「――……そうね。ありがとう」
そんな会話をしていれば、あっという間に少しだけ開けた場所にたどりついた。
「…………ここ」
「崖に空いてた穴を利用したんだろうな。ここだけは真上に穴が空いてて日の光が入るんだ」
仄暗い湿気った階段を下がってきたから、その先もそうなのだと思っていた。
だがそうではなく、像がある場所は太陽の光が差し込む場所だった。
地面には真っ白な花が咲き、中心に二つの像が見える。
「……あれが、二柱」
「近くにいくぞ」
足を進めれば花の香りが鼻腔をくすぐる。
ほのかに甘い香りにふと息をつけば、アビゲイルの瞳に二つの像がくっきりと映った。
――その瞬間だ。
「――…………」
キーンっと耳の奥で耳鳴りがし始めた。
それは終焉の神を視界に映した時から始まる。
「……よくできてるわね」
「そうか? 神話が書かれている本ではもっと屈強な男だったがな」
イスカリの声が少しだけ遠い。
耳鳴りのせいかと頭を軽く振るが、残念ながら落ち着くことはなかった。
古い像なのだろう。
少しだけ彫りが薄くなってしまっていたが、アビゲイルの記憶にある終焉の神とよく似ている。
やはりこれは二柱の像なのだと隣を見れば、耳鳴りはさらに大きくなった。
「――っ、」
「おい、どうした?」
思わず頭を押さえ、立ちくらみに慌てて足に力を込める。
なんだろうか?
なぜこんなにも頭の奥から音がするんだ?
アビゲイルはもう一度顔をあげて、女性を模る像を見つめる。
「…………これが、新生の神?」
「おい、フラついてるぞ」
アビゲイルの肩を支えてくれるイスカリの声は、残念ながらアビゲイルには届かない。
先ほどからずっと、声がするのだ。
それは耳の奥からするのだと思っていたが、違った。
頭の中に響くのだ。
優しい声が――。
「…………っ」
優しい面差しの女性の像。
慈愛を持って微笑むその表情に、アビゲイルは無意識にも涙が溢れた。
「――わたし……っ!」
ズキンっと頭が痛む。
崩れ落ち膝をつくアビゲイルに、イスカリがなにか言っている気がするが、なにも聞こえてこない。
ずっとずっと、頭の中に声がするのだ。
『――お、ねがい……。どうか……っ』
『……だがっ! それじゃあお前が……!』
『――あなたっ!』
アビゲイルは揺れる瞳で、新生の神であろう像を見る。
覚えている。
いや、知っているのだ。
アビゲイルはこの女性を――。
『お願い……っ! わたしはもう、助からないから……』
『…………っ、わかった。エヴァン……最後の力を我に渡せ』
頭の中に映像が流れてくる。
そこには終焉の神がいて、腕に瀕死の女性を抱えていた。
白銀の長い髪を持つ、美しい女性だ。
彼女は終焉の神の腕の中で、最後の力と言わんばかりに己の大きくなった腹に触れる。
『……ごめんね。ちゃんと……産んであげられなくて…………っ』
『……必ず産まれてくる。我らの子だ。……きっと、どれほどの時が経とうとも』
終焉の神もまたその腹に触れる。
まばゆい輝きがお腹に注がれ、女性はポロポロと涙をこぼす。
『愛してる……愛してるわ……っ』
『必ず産まれる。……たとえ、我らの元でなかったとしても。――エヴァンの力と我の力を使えば、この子を人として生まれ変わらせることもできるはずだ』
アビゲイルはそっと目を開ける。
頭の中には見たこともない景色が流れているのに、アビゲイルの瞳は女性の像に釘付けだった。
いや、違う。
正確には――その腕に抱かれる小さな存在に、だ。
「…………わたしっ」
頭の中で声がする。
息絶えるその瞬間、掠れた声で呼ばれたそれは――。
『愛してるわ……アビゲイル。――わたしの、子…………』




