この身を守るために
「食事中か? ふむ……。俺のぶんも用意しろ」
「――はあ!?」
まさか一緒に食事をとろうというのか?
アビゲイルが大きく目を見開く中、イスカリはランカに命令する。
「…………」
「聞こえないのか? ならその耳は不要だな? 引きちぎらせてやろうか?」
「――っ! も、申し訳ございません! 急ぎご用意いたします」
まさかイスカリがここで食事をするなんて、言うとは思ってなかったのだろう。
命令されたランカが呆然としていると、そんな彼女にイスカリがとんでもないことを言い放った。
慌てて部屋を出ていくランカの後ろ姿を眺めていたアビゲイルの前に、イスカリが座る。
「使えない侍女だな。外してやろうか?」
「――必要ないわ」
イスカリが目の前にいるが関係ない。
アビゲイルは食事を再開し、もぐもぐと口を動かす。
それの一体なにが面白いのか、イスカリがじ……っとこちらを見つめてくる。
「俺を前にして食事をするか。……どの女も初めのころは緊張で食事が喉を通らないと言うぞ?」
「そんなに威圧して楽しい?」
「小動物のように震え上がる様は見てみて面白いだろ?」
どこがだ。
人が怯え震える様なんて、見ていていいものじゃない。
アビゲイルはイスカリほどではないが、怯えられる側だったからわかる。
あれは、気分のいいものではない。
「悪趣味ね。……知っていたけれど」
「そうか? 慣れれば案外面白いと思えてくるぞ」
「慣れないし、面白いなんて思えないわ」
アビゲイルからの返答に片眉を上げたイスカリは、なにやらくつくつと笑い始める。
「なるほどな。確かあの国で赤色は禁忌だとか……。くだらない妄信に傷つけられたのか」
「…………子どものころはね」
今は違う。
この目を美しいと、アビゲイルを愛しているといってくれた人が現れてから全てがかわった。
周りも、アビゲイル自身も――。
「…………」
そこまで考えて胸がツキッと痛む。
グレイアムのことを思い出すたびに胸が嘆く。
目が覚めた時、彼はどう思うのだろうか?
アビゲイルのことを、忘れて幸せになってほしいと思いつつも、忘れてほしくなんてないとも思ってしまう。
ずっとずっと、愛していてほしい。
――アビゲイルがそうであるように。
「――気に食わんな」
アビゲイルの頭の中がグレイアムでいっぱいになった時、イスカリがそう呟いた。
目の前にいるイスカリは不愉快を隠すことなく、その顔に浮かべる。
「俺とともにいるのにほかの男のことを考えるな」
「…………」
なぜわかるのだ、というのは置いておいて、そんなことを言われる筋合いはないと言いたかった。
アビゲイルが誰をどう思おうが、アビゲイルの勝手だ。
「――約束は、この国であなたの妻になること。……それ以上を求めないで」
「肩書を背負ったんだから、あとは好きにさせろと?自国がどうなっても構わないんだな?」
「好きにしたらいいわ。……周りからは、あなたは約束を守れない王だと思うでしょうね」
アビゲイルがイスカリに嫁いだことは、各国に伝わっているだろう。
イスカリがそれを望み、アビゲイルが承諾したと。
それなのにチャリオルトがエレンディーレを攻撃したら、周りはイスカリを約束も守れない王だと思うだろう。
「――俺がそんなことを気にすると思うか?」
「少なくとも周りは気にするでしょうね。……いかにあなたといえど、一人で国の全てを動かせるわけではないでしょう?」
いくらイスカリが暴君だとはいえ、彼に意見を述べる人が一人もいないわけではないだろう。
そうでなければ、これほど大掛かりな侵略ができるはずがない。
人間一人では、どれほど優秀だろうとも限界があるのだから。
「いいや、俺はできるぞ」
「そう。ならエレンディーレを攻撃すればいいわ。――私は私の責務は果たしたもの」
イスカリの眉間に皺がよる。
明らかに不機嫌になっているのがわかるが、アビゲイルがそれを気にする必要はない。
「つまりお前は、ここに嫁ぐ以上のことはしないと?」
「ええ」
「妻としての責務は果たさないと?」
「ええ」
イスカリは勢いよく立ち上がる。
椅子が音を立てて倒れ込んだが、アビゲイルは一つも反応を示さなかった。
「なるほどそうか。お前の意思はわかった。……だが俺にはその権利があるということを忘れるな」
妻としての責務。
それはつまり、子を成せということだろう。
だがアビゲイルにその意思はない。
だからこそ、イスカリを鈍く光る赤い瞳で睨み返した。
「やれるものならやってみなさい。その時はあなたを道連れに堕ちてあげるから」
この身を汚すことは許さない。
そんなことをされるくらいなら、イスカリを殺して自分も死ぬ。
その覚悟を持って、この国にやってきたのだ。
アビゲイルの強い意志を感じたのだろう。
イスカリはしばしの沈黙ののち、グッと片方の口端を上げた。
「――面白いやつだ。ここにきた女はみな、俺に懇願するのに」
「私には不要よ。放っておいて」
「…………そうか」
なにやら楽しそうなイスカリは、くるりと踵を返すと扉を開ける。
ちょうど食事を持ってきたランカと鉢合わせし、彼女に対して命令を下した。
「俺がいいと言うまでここから出すな。誰とも接触を禁ずる。ほかの妃であろうとな」
「――か、かしこまりました……」
むしろちょうどよかった。
これでランカからお小言を言われないですむ。
ふぅ、と息を吐いたアビゲイルに、イスカリは振り返りながら声をかけた。
「ここで俺に嫌われたら最後。あるのは絶望だ。……もう少し己の身の振りかたを考えろ」
「ご忠告どうも」
「――はっ!」
イスカリはそれだけいうと、なぜか楽しそうに笑いながらその場を後にしたのだった。




