お誕生日おめでとう
アビゲイルは今の一瞬でなにが起きたのか、理解することができなかった。
いや、本当はわかっているのだ。
撃たれたのだ、グレイアムが。
イスカリの部下が懐からピストルを取り出し、グレイアムの胸を撃ったのだ。
そしてグレイアムは倒れ、床に温かな血が溢れている。
けれどその全てを、アビゲイルの頭は理解することを拒んだのだ。
「――グレイアム!」
アリシアが慌てて駆け寄り、癒しの力を使ってグレイアムを助けようとしている。
そんな中アビゲイルはゆっくりと立ち上がると、グレイアムの元へと向かう。
倒れ込む彼のそばに膝をつき、呆然とその姿を見つめる。
青白い顔。
真っ赤な血が彼の体から流れ出て、どんどんと体温が落ちていく。
まるで、あの時のリリのようではないか。
「――貴様っ!」
「――イスカリ陛下。……このようなこと……!」
「そもそもあれは誰だ?」
「ブラックローズ公爵かと」
ヒューバートとオルフェウスが鋭い視線を向けるが、イスカリは気にした様子がない。
倒れるグレイアムを楽しそうに見てくる。
「公爵……? 公爵がなぜここに?」
「第一王女、アビゲイル殿下の婚約者だからかと。フェンツェル国王陛下とも親しいとか」
「第一王女……? そうか……」
そこで初めてイスカリは、アビゲイルという存在を認知したかのようだった。
グレイアムのそばで座り込むアビゲイルを、哀れな女を眺めるように見下してくる。
「鉛玉の味はどうだ? お前の国で作られたものだろう? エレンディーレ国王」
「――……っ、グレイアムは妹の婚約者で、僕の友だ」
「お前が選択をミスらなければよかっただけの話だろう」
あれこれ言っているが、アビゲイルの耳にはほとんど届かなかった。
アリシアが必死になって癒しの力を使っているけれど、その間にもグレイアムはどんどん冷たくなっていく。
そっと彼の頰に触れ、その冷たさに彼の頭を抱きしめた。
「――チャリオルトも持っていたんですね」
「これか? 面白いものだ。――ああ! お前の国でやっていた研究、参考にさせてもらったぞ」
「……やはりいますよね、スパイ」
グレイアムを撃った男が持つピストルは、壊れた様子はない。
つまりはエレンディーレから流出したピストルを、フェンツェルの技法を用いて改良したということだ。
これをチャリオルトが持っているというだけでも、脅威は格段に上がる。
「こんなに面白いものを、俺が見逃すと思うか?」
「――見逃してくださったら、こちらとしてはたいそうありがたかったんですが……」
「は! 残念だったな」
イスカリが軽く手を振れば、側仕えの男が今度は銃口をアリシアに向ける。
それに気づいたアリシアが力を止め、慌てたように顔色を悪くした。
「もう一度聞こう、癒しの女神よ。俺の元にくるか、さもなくば今ここで死ね」
「――わ、わたしは……っ」
「俺は俺のものにならないものに興味はない。だから今ここでお前を殺すことにも、ためらいなんてないが……どうする?」
この問答中にも、グレイアムはどんどん冷たくなっていく。
アビゲイルの耳に届く吐息も弱くなり、彼との別れが近づいているのがわかる。
「…………わかれ?」
グレイアムと別れる?
なんだそれは。
どうしてそんなことをしなくてはならないのだ。
離れたくない。
離したくない。
なのにどうして、別れはもう直ぐ目の前にあるのだ。
「――いやよ」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ!
そんなの絶対に、嫌だ。
許せるわけがない。
許してなるものか。
こんなことを、認めてなるものか。
「――ゆるさない……っ」
アビゲイルは体の奥が熱くなるのがわかった。
その熱がどんどんと上へ上へと向かい、瞳が燃えるように熱くなる。
熱に耐えられないと涙がこぼれ、それはグレイアムの頰を伝い唇を濡らす。
「最後の質問だ。癒しの女神、俺の元へくるか否か。――答えを出せ」
痛い。痛い。痛い。
頭が割れそうなくらい痛い。
ずきずきと奥の方が痛むのに、今はそんなこと気にもしてられなかった。
グレイアムとの別れが近づいているなんて、考えたくもないのだ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ――!
アビゲイルが力強く瞼をつぶったその時だ。
懐かしい声が、耳に届いた。
『――産まれてくれて、ありがとう』
「…………」
それは不思議な感覚だった。
今までの概念が全て変わるような、なんともいえない不思議な気分。
心の枷が外れたような……なんでもできる気がした。
「――答えないか? ………………なら死ね」
地を這うようなイスカリの声を合図に、従者がアリシアへと向けられたピストルの銃口を引こうとしたその時だ。
アビゲイルはその瞳に、従者を捉えた。
「――うるさいっ」
――チャポンッ
まるで水面に石を投げた時のような、そんな音が部屋に響く。
不思議な音だが、アビゲイルだけはこの音がなんなのか理解していた。
フェンツェルで聞いた音と同じだ。
案の定、従者の男は胸から下を闇に飲まれていた。
「な、っ、なにが!?」
「――なんだ、これは?」
慌てる従者と、それを眉間を寄せて見つめるイスカリ。
そんな二人を、アビゲイルは強く睨みつけた。




