突然の展開
アビゲイルはその提案を聞いても、自らの身を案じることはなかった。
先ほどのイスカリの行動から、彼が欲しているのが誰なのか瞬時に理解できたからだ。
そしてそれはヒューバートもだろう。
彼は苦々しい顔をした。
「――アリシアを差し出せ、と?」
「そうすればフェンツェルと同様に名前くらいは残してやろう。もちろん我が国の属国となることは条件だがな」
アリシアがイスカリの妻となれば、エレンディーレに戦争は仕掛けない。
一見すると平和的解決にも見えるが、定のいい全面降伏だ。
エレンディーレという国は残るが、チャリトルトの命令には逆らえない。
イスカリの命令さえあれば、他の国に戦争を仕掛けることだってある。
つまりはただ、寿命が少し伸びただけのこと。
「国が丸ごと地図から消え去るよりマシだろう?」
ギラギラと光るイスカリの瞳は、やはり炎だ。
周りの命を燃やして輝くその火はあまりにも苛烈で、見ているだけでその輝きに目が眩みそうになる。
「癒しの女神を差し出せ。そうすれば――」
「申し訳ございません。……遅れました」
そんな最悪なタイミングで、傷の手当てを終えたアリシアが戻ってきた。
場の空気が異様なことに気づいたのだろう。
困惑した様子で立ち尽くす。
「ど、どうしたのですか……? お兄様……?」
「――アリシア……。その、」
「癒しの女神。お前が俺の妻になれば、この国を残してやる。断るなら戦争だ。――どうする?」
なんという二択を迫るのだろうか。
困惑するアリシアにあわててヒューバートが説明をしている中、アビゲイルは隣に座るグレイアムにこっそりと話しかけた。
「――やっぱり、ゲーム通りってこと?」
「イスカリがアリシアを求めるのはそうだが……アリシアのあの様子は、予想外なんだろう」
グレイアムの言葉にちらりとアリシアを見れば、確かに彼女の顔は困惑していた。
先ほどのこともあるからだろう。
攻略対象だからと、手放しには喜べていないようだ。
「……大丈夫かしら?」
「さあな。……難しいところだろう」
なんだかんだ家族愛が強いヒューバートが、嫌がる妹を無理やり嫁がせることをするだろうか?
だがもしアリシアが嫁がなければ、エレンディーレとチャリオルトは全面戦争となってしまう。
「……わ、わたし……」
「アリシア。無理はするな。僕はそんなことで戦争を回避したいなんて思ってない」
「…………お兄様」
涙目のアリシアが表情を柔らかくする。
一筋の光が照らされたのだろう。
しかしそれを、強烈な炎が制する。
「なら戦争だ。言っただろう? 戦争を回避する方法は一つだけだ」
「――…………」
息を呑む音だけが部屋の中にこだまする。
誰も彼もが黙り込み、沈黙だけが続く。
「国民を大勢殺されたければ拒絶を選べばいい。――簡単なことだろう?」
どこが簡単なのか。
少なくともアリシアという女性の気持ちはまるっと無視なわけだ。
もちろん王族に生まれたからこそ、いつかはくる話だったかもしれないが……。
とはいえこんなに急に、それもあれだけの恐怖を与えられた男に嫁げなんて、そんな恐ろしい話はない。
「――簡単? あなたのような残忍な男に、嫁げと妹に言うことが簡単だと!?」
「王族なんだ。――考えなかったわけではないだろう?」
「――っ、でも!」
「――お兄様」
反論しようとするヒューバートをアリシアが止める。
「……私、結婚します」
「――アリシア!」
「私が結婚すればエレンディーレの人たちは救われるんです」
アリシアの本性を知っているからか、感動的なシーンであるはずなのに、どうしてもそうは思えなかった。
同じことを思ったのか、グレイアムがぼそりとつぶやく。
「悲劇のヒロインに酔っているな」
その言葉のとおり、アリシアはポロリと涙をこぼすと、握りしめた拳を口元に持っていく。
「わたしが……犠牲になれば――!」
「――っ! やはり無理だっ!」
アリシアのそんな表情を見てしまったからか、ヒューバートがもう限界だと言わんばかりに叫ぶと、イスカリに向かって言い放った。
「妹は渡さない! 戦争を回避する方法は……別で考えるっ!」
泣くアリシアの肩を抱いて叫んだヒューバート。
普段ならたいそうかっこいいシーンであったはずだが、ここではただの悪手だった。
その言葉を聞いたイスカリの瞳は座り、剣呑な雰囲気が醸し出される。
「……死ぬほどつまらん答えだな。――おい」
這うような声に背筋が震える。
なにが起こるのだと息を呑んだその時だ。
イスカリの後ろに控えていた男が一人、懐に手を入れる。
「本来なら王だが……俺は寛大だ。まだチェックメイトは打たない。代わりに誰でもいい。――やれ」
その―やれ―の言葉とともに、部屋に大きな発砲音が響き渡った。
「――………………え?」
アビゲイルはそんな小さな声を、絞り出すことしかできなかった。
一体なにが起きた?
頭が理解するのを拒むように体が動かない。
「――」
椅子が倒れ込む大きな音がする。
その音にゆっくりと横を見れば、床に倒れ込み血を流す人。
「……………………グレイアム?」
なにが――起こった?




