進むか、戻るか
「……私の、ため?」
「そうだ。君がこれ以上足元を見ないためだ」
そう言われて、自分が今下を向いていることに気がついた。
『その気味の悪い瞳を向けるな!』
『こっちを向くな! 忌み子め!』
『血のような赤い目……! 呪われた子どもよ!』
誰も彼もがこちらを向くなと言ってくる日々。
下を向くのが日常になっていた。
自分の足を眺めるのが当たり前だったのに。
ふと顔を上げれば、目の前にはグレイアムがいる。
「君を苦しめた国王のことなど気にするな。君を愛さなかった王妃など見るな。君を傷つける貴族どもなど捨ておけ」
「…………わたし」
「君がもし本当に復讐を望むのなら、これはまたとない機会だ」
復讐。
その言葉を初めて聞いた時は、体の奥底から熱が湧き上がってくるようだった。
甘美な音に酔いしれて息を荒げたあの時は、まるでなにかに取り憑かれていたかのように気分が高揚した。
あれは本当に自分だったのだろうか?
「……私に、できると思う?」
まだまだ弱い自分では、本当にできるのだろうかという不安しかない。
誰かに認めて欲しくて思わず問えば、グレイアムは迷うことなく頷いた。
「もちろん。それに俺もついてる。君を一人になんて絶対にしないさ」
どうしてグレイアムの言葉は、この心に響くのだろうか?
まっすぐな言葉と瞳は、信じるに値すると思える。
そんな人が自分を信じてくれるのなら、アビゲイルもまた自分自身をもう少しだけ認めてもいいのかもしれない。
胸元に触れれば心臓の音が少しずつ大きくなっていく。
「…………わかった。私、行くわ」
「――そうか。だが無理だけはするな。俺がそばにいるから、つらかったら隠れたって構わない」
俺を壁がわりにしろ、なんて真顔で言ってくるグレイアムに、アビゲイルはくすくすと笑う。
確かにどうしようもなくなったらそうさせてもらおうと頷きつつ、改めて食事に手を伸ばした。
「でも、どうして葬儀に? 復讐と関係があるの……?」
「君と俺の関係を知らしめるのにもいい機会だし、復讐相手が集まると考えるといろいろ都合がいい」
「……なるほど?」
どう都合がいいのだろうか?
ある程度お腹が満たされたアビゲイルがごちそうさまでしたと口にすると、目の前から食事が下げられる。
そしてすぐにデザートが置かれ、目をぱちくりさせた。
「……これ」
「食べれるなら食べてやってくれ。料理長が朝から腕によりをかけたらしい」
少食なアビゲイルを思って、軽く食べられるゼリーを作ってくれたようだ。
ぷるぷると震えるその姿と料理長の優しさに、ニヤけるのを止められそうにない。
すぐにスプーンを手にとると、さっそく口に運んだ。
「――んー! 美味しい!」
「料理長も喜びます」
ゼリーを出してくれたララの言葉に頷くと、ぱくぱくと食べ進める。
お腹はいっぱいだけれどこれなら食べられそうだ。
「アビゲイルは王子の婚約者については知っているか?」
「…………えぇ」
兄、ヒューバートの婚約者ならよく知っている。
侯爵家の令嬢であり、過去、アビゲイルの友人だった人物だ。
いや、友だちだと思っていたのはアビゲイルだけだったが。
彼女はヒューバートに取り入りたいがために、彼の遊びに付き合ったのだ。
嫌われ王女の友人になる、という。
騙されていたと知って以降会ってはいなかったが、そんな彼女がヒューバートの婚約者となったらしいと風の噂で知っていた。
「なら王太子に別の恋人がいることは知っていたか?」
「――へ?」
アビゲイルと侯爵令嬢が遊んでいた時、ヒューバートはやってきた。
そして散々アビゲイルを馬鹿にした後、二人で似たような表情をしつつ去っていった。
あの時の二人は腰を抱き体を寄せ合って去っていったから、てっきり仲がいいのだと思っていたのだが……。
「男爵令嬢らしく、今は彼女にお熱らしい。その前は子爵令嬢と……まあ君の兄は女に弱い」
「…………お恥ずかしい限りです」
嫌いな存在とはいえ身内のそういった話は聞くに堪えない。
なにしてくれてるんだと、アビゲイルは兄のニヤけ面を思い出す。
「そういえばグレイアムは、お兄様と仲がいいのよね?」
「いや? あいつが勝手についてくるだけだ」
またしても恥ずかしくなってしまった。
昨日の兄の態度を見る限り、たぶんだけれど向こうはグレイアムのことを親しい友人と思っているはずだ。
共感性羞恥とはこのことかと、アビゲイルは歯を強く噛み締めた。
「で、だ。昨日のアビゲイルの話をずっと考えていた」
「……どれのこと?」
「あいつらを幸せにしてやるってやつだ」
ただ殺すだけなんて生ぬるい。
蔑んでた相手に縋り付くことでしか生きられない、そんな惨めな人生を歩ませてやりたい。
確かにアビゲイルはそう口にした。
「……作戦とか、なにもないのだけれど」
ただ欲望を吐き出しただけの戯言だ。
だからどうか本気にしないでくれと願おうとしたが、その言葉が出ることはなかった。
「作戦ならもう考えてある。まずは王太子を墜とそう」
「……お兄様?」
「そうだ。国王が亡くなった今、王太子であるあいつを堕とすのが一番だろう」
王より強いものはこの国にいないのだからと笑うグレイアムは、誰よりも強い肉食獣のような顔をしていた。




