愛
墓、と言われて、アビゲイルはその瞳に小さな石を写す。
なんの変哲もない平べったい石を立てて、墓跡のようにしているのだろう。
花も飾られていないどころか名前も刻まれていない。
そこらへんにあったらただの石だと思うだろう。
そんな、なんてことない場所なのに。
――なぜだろう?
胸が、苦しくなった。
「……あれ?」
気がついた時には、目の奥が熱くなる。
鼻の奥がツンッと傷んだと思ったら、頰に涙が伝った。
「……なんで、私…………っ」
「…………」
泣いている。
そう気づいて時には、涙は止まることなく溢れ出た。
意味がわからない。
なぜ己が泣いているのか、理解もできない。
――なのになぜか、悲しいのだ。
この墓があることが。
ここに、あることが。
「ご、ごめんなさいっ。すぐ止めるから……っ」
「――いい。泣きたいだけ泣け。……それを止める必要はない」
「……」
突然泣き出されたのだから、さすがの死の神も驚いただろうに。
彼はアビゲイルの涙を止めることなく、静かに見守ってくれている。
その優しさを嬉しく思う反面、なんだか懐かしくも感じた。
なんだろうか?
昔にもこんなふうに……。
「……泣きながらでいい。耳を貸せ」
「……ん」
こくりと頷きつつも涙を拭えば、彼は優しく笑う。
「お前の知ったことは真実だ。我はあの女神によってこの地に封印され……妻は、殺された」
死の神は優しく墓石に触れる。
まるで今目の前に、その人がいるかのように。
「だか歴史は変えられ、真実は塗りつぶされた」
「――どうして? 一体誰が……?」
「あの女を崇拝していたものの誰がだろうな。都合のいい話を作ったんだろう」
歴史は書き換えられる。
それはよくあることだと聞いたが、こんなことがよくあることだと片付けていいものなのだろうか?
ただ彼は愛を貫いただけなのに、愛するものは殺されて、自身はこんな暗闇に閉じ込められた。
その上全ての罪は死の神のせいとして、今の人たちは認識している。
こんなことが許されるのだろうか?
「……あなたは、どうしたいの?」
やっと涙が止まってきた。
落ち着きを取り戻してきたアビゲイルが問えば、死の神は鋭い視線を向ける。
「ひとまずはこの場所から出る。……エヴァンの墓を、日の当たる場所に建ててやりたい。あれは……日の元にいるのが一番美しい」
死の神の瞳が揺れる。
悲しみや優しさ、そしてなによりも愛おしさを込めて。
本当に愛していたのだろう。
彼の表情からは、強い思いを感じとることができた。
「……ねえ。もしよかったら……それ、私がやってあげましょうか……?」
死の神が外に出てくるのがいつなのかわからない。
そう遠くない未来とは聞いているけれど、早いに越したことはないだろう。
だからそんな提案をしたのだが、死の神は驚いたように目を見開いた。
「……」
「――あ、いらぬおせっかいならいいのよ!? あなたがやりたいとかあ……」
「いや、頼む。……あれも喜ぶはずだ」
「……そう? わかったわ」
断られるかと思った。
頼られるのなら、その思いに応えたい。
これは目が覚めた後、しっかりとしたお墓を作らなくては。
「ちなみにそのエヴァンさん? はなにが好きなの?」
「自然のものはなんでも愛した。草も木も花も……。全てをあれは愛していた」
「……そっか。なら、木の下にしよう。たくさんのお花も植えて」
死の神は遠い目をしながらも、優しく微笑む。
まるでなにかを見ているかのように。
「ああ、いいな。……エヴァンが喜ぶ」
死の神はゆっくりと瞼を閉じ、もう一度アビゲイルをその瞳に映した。
「お前が新たに知った歴史を、もっと調べてみろ」
「――ちょっと待って。それってまだ、知らないことがあるってこと?」
アビゲイルが死の神に向かって一歩足を踏み込んだ時、ふと気がついた。
踏み込んだ感覚がないのだ。
慌てて足元を見れば、足先が光の粒子となっていた。
「また――!?」
「お前がここにいられる時間はそう長くない」
「ちょっと待って! 私はまだ聞いたいことが――」
「思い出せ。お前が全てを思い出せば、世界は大きく変わるはずだ」
足元が輝きだす。
光がふわりと宙に浮き、暗闇を照らしていく。
「思い出すってなにを!? 私は一体なにを忘れてるっていうの――?」
「お前自身のことだ。……アビゲイル」
光は上がっていき、腰から下は消えてしまった。
強い明かりに目が眩む。
目の前にいるはずの死の神の顔が、ぼやけてうまく見えない。
――だというのに。
「思い出してくれ。我はそれを、望んでいる」
「――ま、っ。わ、は」
唯一残った指先を必死に伸ばしたけれど、死の神には届かない。
口元もほとんど消え、目元だけが残る。
だからこそわかったのだ。
「アビゲイル。――エヴァンの墓、頼んだぞ」
最後の最後。
死の神はとても悲しそうに微笑んだ。




