夢うつつ
食事に大満足したアビゲイルは、恥ずかしながら凄まじい睡魔に襲われた。
そもそも少食だったので、食事は半分も食べられていない。
だがこのまま下げてしまうのはあまりにも勿体無いと、アビゲイルはなんとか食べ切ろうと必死だった。
眠気を我慢しつつもちびちびと食べていたアビゲイルに、食事を終えたグレイアムが近づいてくる。
「アビゲイル、もう寝たほうがいい」
「……っ、だめよ! こんな……こんなに美味しいごはん……残したら……つくってくれたひとに、もうしわけにゃいわ……!」
「アビゲイル様っ!」
遠くのほうで歓喜の声を聞いた気がするけれど、いまのアビゲイルにはそれが誰だったのか考察する思考は残っていない。
今はとにかく、この食事たちを食べてしまわねば。
もう一度フォークへと手を伸ばそうとしたが、それをグレイアムによって阻止された。
「アビゲイル。君が無理するほうが彼らは心苦しいだろう」
「…………」
うつらとろりとした瞳を向ければ、使用人たちは一斉に頷いた。
そうなのか。
そういうものなのかと納得したアビゲイルを、グレイアムがひょいと持ち上げた。
「……のこしておいてね。ちゃんとたべるから」
「明日にはまた新しいのを作らせる」
ああ、眠い。
元々体力が人よりもないからか、王宮からここまでの移動とお風呂で体力を使い果たしてしまったようだ。
張っていた気も、美味しい食事に緩められてしまったらしい。
靄がかかる思考の中、アビゲイルはゆるゆると首を振った。
「だめ……ちゃんとたべるわ」
「アビゲイル」
「だって、うれしかったの」
瞼が重い。
まるで自分のものではないかのように、ゆったりと落ちていく。
「わたしのためのごはん、うれしかったの」
「…………アビゲイル」
温かなご飯が用意されていることが、アビゲイルにとってどれだけ奇跡か、それが当たり前の人にはきっとわからないだろう。
今日の出来事は全て、奇跡に近いのだ。
「おいしかったの。……ほっぺ、おちちゃうかとおもったわ」
「これが当たり前になる。安心して寝ていいんだ」
ああ、そうか。
眠りたくなかったのかと、こじ開けようとしていた瞼から力を抜く。
「……ありがとう」
寝てしまったら、起きてしまう。
起きてしまったら、これが夢なら覚めてしまうのだ。
それが怖くて、寝たくなかった。
アビゲイルはそっとグレイアムの服をすがるように掴む。
「ありがとう、ありがとうね。ほんとうの、ほんとうにありがとう」
うまく言葉にできないことが歯がゆい。
彼にもっとちゃんと、気持ちを伝えられたらいいのに。
こんなに幸せな夢を見せてくれたんだから、最後くらいきちんとお礼を伝えておきたい。
「こんなしあわせなゆめ……」
「夢じゃない。アビゲイル、明日も会える。明後日も、その先も」
ああ、なんで都合がいいのだろう。
やはりこれは夢なんだ。
それならやっぱり、目覚めたくない。
じわりと目元が熱くなってくる。
「ねたく……ないなぁ。おきたく、ないの」
振動が体を震わせる。
グレイアムがアビゲイルを抱えたまま動き出したのだろう。
体が動いた拍子に涙が一粒、こぼれ落ちた。
「君は幸せになれる。俺がしてみせるから、安心して眠れ」
「…………うん、わかった」
もう限界だと意識を手放す。
最後の最後まで、なんとかこの夢が醒めないようにと願ったけれど無理だった。
せめてとグレイアムの服を掴んで、彼が消えないように捕まえておこうと思ったけれど、それも全て無駄だ。
また明日から、嫌われ王女として暮らしていかないと。
「…………ぐれぃ、ぁ」
叶うならどうか、この夢を全て忘れさせてくれ。
こんなこと、夢ですら見るべきじゃなかったんだ。
知らなければ耐えられたのに、知ってしまったら余計惨めになる。
だから全て忘れよう。
目が覚めたとき見るのは、薄汚れた天井なのだから。
「――アビゲイル」
優しい声。
親しげに呼ばれたそれに、アビゲイルはそっと口端をあげる。
そんなふうに呼ばれたことがなかった。
だから嬉しかったのだ。
「愛してる、アビゲイル」
囁かれたその言葉と共に、頰に柔らかく温かななにかが触れたのだが、アビゲイルがその正体に気づくことはなかった。




