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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十四章 唇歯輔車(6)



 伊織に遅れて徐に顔を上げた斎藤と、一度だけ目配せ仕合うと、伊織は声の調子をぐっと低めた。

「本日、我々がお目通りを願いましたは……」

「んもう、ピヨ丸、どこへ行っておった! 殿はもう心配で心配で……!」

「……って、公、お耳をお貸し下さい」

 行方不明だった雛との再開が嬉しいのはわからないでもないのだが、こうも無視されるとは。

 正直、こちらとしては雛などどうでもいいのだ。

 若干柔和に突っ込んだ伊織の声にも、容保は反応を示さず、微かに眉根を寄せたが、斎藤もそれは同様であるらしい。

 一際低く通る斎藤の声が、これでようやっと発せられた。

「公。この度提出致しました建白書の件ですが」

 相手が一藩の主といえども、斎藤の口調にはまるで躊躇がない。

 淡々としながら力のある声は、さすがに伊織が真似できるものではなかった。

 斎藤の冷ややかな目元が、一層それを強調するかのように見える。

 これにやっと、容保も気付いたようで、少々傷を創ったピヨ丸は、一先ず梶原の手に預けられた。

 そうしてまた、梶原の手から控えの者へと預けられると、梶原の声で小さく手当てを命じるのが聞き取れた。

「うむ、余もその事では、少々驚いたぞ」

 先までとは打って変わって深刻な面持ちに転じた容保は、また意味合いの違った吐息をこぼす。

 簡単に言えば、局長である近藤の素行を非難する内容なのだ。

 新選組という組織を一手に抱えた会津藩にしてみても、面倒事を起こされては困るだろう。

 それが不逞浪士相手の厄介事ならば兎も角、此度のこれは組織内のことである。

 池田屋の事件以来、京の街中に名を知らしめた以上は、会津藩の面目を維持する為にも組織幹部同士の喧嘩は好ましくない。

「本当に、あの書状にあるように、隊の者達は皆、近藤に不満を抱いておるのか?」

「皆、というわけではありません。永倉さんも原田さんも、少し誤解をしているだけです……!」

 隊士の皆が、という容保の質疑に思わず否定を差し入れたが、実際に書面に書かれた内容がどんなものなのかは、伊織の知るところではない。

 ただ、凡そ推測が出来るというだけである。

 恐らくは、連日出掛けては夜も遅くに帰り、昼も近くなるまで姿を見せない近藤に、不信を抱いているのであろう。

 無論、それが各藩の重臣たちとの談合のためであるとは知っている。

 建白書提出の筆頭である永倉や原田とて、それは承知しているはずなのだ。

 そこに不満があるとすれば、近藤や土方といった組織全体を纏める者の態度、また振る舞いと考えるのが道理。

 新選組は、身分の上下なく、同志として組織されたものなのだ。

 暫時の間を置き、伊織は再び進言した。

「新選組の代表として振舞う局長を見て、永倉さんたちはきっと、自分たちが家来同然に見做されているのだと……そう感じているのではないでしょうか」

「ほう、そうか。では、そちもまた、近藤の態度は承服し兼ねると思うか?」

「私は……そうは思いません」

 容保に問われ、少しばかり思案し、けれどきっぱりと言う。

 すると隣の斎藤は、やや意外そうに伊織を見た。

 その視線に目だけで振り向き、伊織は更に続ける。

「新選組も、これだけの所帯です。同志とはいえ、先頭に立つ者の存在は必要不可欠。そして、先頭に立つからには、やはりそれだけの威厳も必要だと考えます」

「そうか?」

「斎藤さんは、そうは思わないんですか?」

「俺たちは、浪士の集まりだ。俺たちは同志であり、その上に立たれるのが会津だという考えも出来るように思うが?」

 流暢に冷たい声音を浴びせる斎藤。

 だが、伊織はこれにも詰らず意を述べた。

「だからこそです。私たちの上に立たれるのが会津だからこそ、私たちの中心となる人にはそれ相応の威厳も風格も必要です」

 仮にも局長を名乗る近藤が、同志を理由に他の隊士と変わらぬ日常を過ごしたのでは、それが立たない。

「立場が違えば、行動もまた自然異なるものです。今回はその間に僅かばかり齟齬が生じただけのこと。永倉さんたちは、きっと局長が自分だけの立身出世を望んでいるように見違えただけです」

 言うには立て続けに言ったものの、正直なところは、それもどうなのかは分からない。

 何しろ近頃はその近藤とも土方とも、言葉を交わすことが一段と減っているのだ。

 きっとそうであろう、と見当をつけて述べたに過ぎない。

 だが、新選組という一団をここまで率いてきたあの二人に限って、よもや組織の崩壊を招くようなことだけはしないはず。


 

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