第十四章 唇歯輔車(5)
「……そうだろうか」
とか何とか言いつつ、梶原もほんの少しばかり傷ついた目で伊織を見返した。
仕方なく、ピヨ丸は伊織が抱いてゆく事とし、三人はまた不可解さも解けぬまま屋内へと入っていったのだった。
***
「ピヨ丸、しっかり。もうすぐ容保様が来るからね」
何となく声を掛けずにはおれず、伊織は座して公を待つ合間にもその掌に気を配る。
同様にして隣に座る斎藤は、半ば呆れ顔をしていたが。
「お前、その雛は何なんだ。会津産か?」
「さあ? 容保様の可愛がってるヒヨコだから、会津産なんじゃないですか?」
「……ほぉー」
空々しい感嘆の後で、斎藤もそれ以上の尋ねては来なかった。
ただ、伊織としてはピヨ丸よりも此度の建白書に関しての疑問がある。
会話が途切れそうになると、伊織も口早に話を繋げた。
「斎藤さん、容保様への建白書に連名しておきながら、一体どういうつもりで……?」
「お前もいちいち煩い奴だな」
「煩いとか言うんだったら、最初から供になんて連れてこなければ良かったじゃないですか」
ぴくりと片眉を跳ね上げて、斎藤は僅かに苦い顔を見せる。
それにつられて、伊織もまた首を傾げた。
新選組の中で、誰よりも一番不可解で謎の多いこの男。
伊織の知る斎藤一に関する情報も、今一つ鮮明さに欠ける。
実は会津藩の密偵であるとか、ないとか。
現代で目にした新選組に関する資料にも、斎藤の存在をはっきりとこういうものだと断定して書いたものはなかった。
(分からないんだよなぁ、斎藤さんて……)
だが、だからと言って長州などの敵方と通じていることはないし、無論この男も最後まで会津と新選組に属して戦い抜く男なのだ。
じっと座したままの斎藤は、あれこれと考える伊織に呆れたように嘆息した。
「とりあえず、お前もこの件は平穏無事に済ませたいと思うんだろう?」
「え? まあそりゃ……」
何事もなく済めば万々歳である。
そして、特に何事もないはず。
「だったらここで容保公に局長と永倉さんたちの間を穏便に取り持って頂くのが得策だろう」
そのために今、ここにいるのだから、お前もそのように頼め。
と、斎藤はやや億劫そうに言った。
「じゃあ、斎藤さんは別に局長に不満を持ってるとか、そういうわけではないんですね?」
「あったらわざわざ先んじて黒谷へ来たりすると思うのか?」
「不満がないなら、どうして建白書に署名なんか……」
じろりと横目でねめつける斎藤に、伊織がもう一言尋ねようとした、その時。
控えの者の声が松平容保の入室を告げた。
すると咄嗟に、斎藤も素知らぬ顔で居ずまいを正して叩頭する。
「ちょっと、斎藤さん!」
「お前、頭が高いぞ」
白々しく注意を促され、しかしそれも尤も。
伊織も慌しく平伏の姿勢を取った。
「……あとで質問に答えてくださいよ?!」
「あとでな」
こそこそと遣り取りを続けていたその正面に、畳を擦る音が起こると間もなく、容保の着座する気配があった。
続けざまに、何やら悄然とした吐息も聞こえる。
「……余のピヨ丸が」
という容保のぼやきに、思わず面を上げそうになるのをやっと堪えると、伊織は掌中に忍んでいたヒヨコの存在を思い出した。
まだ、伏せた伊織の手の中にいる。
さっきからもぞもぞと擽ったくて仕方がなかったのを、漸く容保の眼前へと差し出した。
「ピヨ丸でしたら、先ほど道中にて私が……」
「なんと……!」
遠慮がちに顔を上げて告げると、それは伊織の掌を飛び出し、小さく素早い足音を畳の上に響かせ出した。
そのまま鎮座する容保の側にまで駆け寄ったピヨ丸を見、伊織はふと嘆息した。
雛の件は一先ず一件落着であろう。
「私が見つけた時には、大分弱っていた様子でしたが、もう大丈夫なようですね」
ひしとピヨ丸を胸に抱く容保の姿に、ほんのりと温和な気配を感じ、またすぐに気を改める。
ピヨ丸は偶然拾っただけで、本題はまだこれからである。




