表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
94/219

第十四章 唇歯輔車(2)



 だが、特に大きな事件に発展するようなことはないと記憶していた。

「斎藤さんも、そんなに心配することもないと思いますよ?」

「……」

 窘める意味で告げたつもりだったのだが、伊織の一言を受けた斎藤は、やや顰蹙の眼差しを向ける。

 そうしてそのまま、再び開口する事なく、斎藤は副長室を後にして行ったのだった。

(……親切で言ったつもりなんだけどなあ)

 しかし、それも先を知る由もない斎藤にとってみれば、ただの気休め程度にしか取れなかったのかもしれない。

 結局ここでは、己は特異な存在にしか為り得ないのだろう。

 そして。

 この幕末の時代を過ごす時が長くなるにつれて、徐々に、本当に少しずつ、自分の平成での記憶が薄くなっていくのもまた、現実だった。

 この時代の流れていく先の出来事も、だんだんに曖昧さを帯びていく。

 確実だと思っていた史実が、少しずつあやふやに思えてくる。

(――怖いな)

 自分にとって、未来の知識は生きるための強力な武器。

 もし、それが間違いだらけのものだとしたら。

 縁が欠けて、僅かに白い切り口の覗く湯呑みに視線を落とし、伊織は微かに吐息した。

 と、その自らの吐息で、伊織ははっと我に返る。

(駄目だ、駄目だ! それなら、行動で知識を補うしかないじゃないか!)

 二、三度頭を振って、伊織は一つ強く頷く。

 自身ですら疑わしい知識を、他の誰が信用などするものか。

 近頃では、ここへ来た当初とは別な意味合いで不安を感じることが多い。

 平素、関わる事の少ない斎藤でさえも、それを具に見抜いていたのだろう。

 そう思い直し、伊織は表情を引き締めて立ち上がった。

(よし! それなら、今度のことも局長が外で何をしてるのか、この目で確かめよう)

 永倉や原田の見ていないところで、実際に近藤がどうしているのか。

 この目で見た事実ならば、何に怯む事もなく、動く事が出来る。

 会津藩や、先日の高木時尾の件も気に掛かる。

 だが、今は何より、この新選組の中で、己の位置を確立する事が最優先ではないか。

 改めて気合を入れ直す伊織。

「……あ」

 それと同時に、手元の湯呑みの存在に再び気付いた。

「どうしよう、これ……」


     ***


「てめぇは掃除もまともに出来ねえのかっ!!」

 キンと耳を劈く怒号が、副長室に轟き渡った。

 今、伊織の目の前には、自らが割ってしまった湯呑み茶碗と、ぎりぎりと眉を引き吊り上げる土方の顔。

 折角素直に申し出て謝罪したというのに、それでも土方は大激怒である。

 そんなに茶碗一つが大事なのか。

「……すいませんでした」

 憮然として再度詫びると、土方はますます睥睨の目を険しくする。

 しかし、それから大儀そうに息を吐くと、土方はゆるりと腕組みを解いた。

「……まあ、やっちまったもんは仕方がねえ」

 怒鳴って漸く諦めが付いたのか、土方の口からそんな一言がこぼれる。

 同時に、伊織もやっと胸を撫で下ろした。

「そんなにお気に入りだったんですか、これ? 可愛いところあるじゃないですか、土方さん」

「うるせえ。俺ァ、おめえの不注意さ加減に腹が立ったんだ!!」

 そう言って、顔を背ける土方。

 和らぐどころか、雰囲気は一層気まずい。

 少し軽口が過ぎたかと、少々反省を覚えた時。

 副長室を尋ねて来た者があった。

「副長、失礼します」

 凛然とした立ち居振る舞いは常からのまま、尾形がやや表情を硬くして入室した。

「ああ、尾形君か。どうした」

「報告が」

 すっと畳を擦る音も小気味良く、土方の前に膝を詰める尾形。

 と同時に、尾形は伊織に一瞥をくれる。

 妙に深刻そうな目付きから、それが暗に報告の邪魔だと言っているのが分かる気がした。

(……どうせ、永倉さんたちのことでしょうよ)


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ