第十四章 唇歯輔車(1)
勝手な言い分、一方的な宣言。
あれから半月近くが経とうとしていた。
あれ以来、高木時尾という人は、未だに一度も伊織の前には現れていなかった。
「……ったく。何がどういうことなのか、何も分かりゃしない」
ぶつぶつとこぼしながら、伊織は副長室で一人、やや乱暴にハタキ掛けをしていた。
そもそも、自ら姿を現しておいて、何が「自分は既に死んでいる」だ。
高木時尾の転生した存在が伊織だ、と一口に言われたところで、それを鵜呑みに出来る道理もない。
(何か裏があるに違いない!)
一歩踏み出し、一層強くハタキを振るった、その瞬間。
目下で、何かが鈍くひび割れる音が響いた。
「!」
ぎくりとして、恐る恐る視線を足元に落とせば。
(しまった……!)
踏み出した伊織の爪先近くで、見事に縁の欠けた、湯呑み茶碗が一つ。
ごろりと畳に転がった。
どうしてこんなところに、湯呑みが。
しかも。
土方愛用の湯呑み茶碗。
(……まずい)
蹴っ飛ばして割ったと分かれば、きっと大憤慨するに違いない。
つつ、と額に冷たい汗が滲むのが分かった。
「や、やばい。どうしよう!」
思わず独り言が飛び出た、そこに。
「あーあ」
と、低い声が介入した。
咄嗟に湯呑みを掻き寄せ、背後を振り向く。
「すいません、土方さ……!」
「ああ、幸か不幸か副長ではないが?」
見上げれば、そこには。
涼しげに、且つとぼけたような斎藤の顔があった。
「げ。斎藤さん……」
「随分な挨拶だな。まるで俺が化け物みたいだろう。ん?」
細めの体躯を静かに伊織の前に屈めると、斎藤はやおら割れた湯呑みを拾い上げる。
嫌なところを見られてしまったが、斎藤も、何も無くて副長室にまで足を運ぶとは思えない。
何か用があって訪れたのだろう。
拾った湯呑みの欠片を幾度か照合するように組み合わせてみる斎藤。
そうしながら、斎藤は伊織には目もくれずに尋ねた。
「副長はいないのか」
「え、ああ。見ての通り」
ここにはいない。
先頃顔を合わせた折を思い出し、伊織はふと永倉、原田の件を思い起こした。
「何かあったんですか?」
その二人に何か動きがあったのだろうか。
と、勘繰って問い返せば、斎藤は僅かに眉根を寄せて湯呑みを突き返した。
「関わるなと言ったはずだ。お前はこいつの言い訳でも考えておけ」
すっと袴の裾を鳴らし、立ち上がる斎藤。
その余りに度重なる、突っ慳貪な言い様には、何となく伊織も良い気分はしなかった。
近頃、ただでさえ、土方も若干余所余所しいのに。
少しずつ、隊内から隔離されていくような気も、しないでもなかった。
こちらが少々腹に据え兼ねたのを見抜いたのか、斎藤も上からじろりと一睨みしてくる。
「面倒なことに巻き込まれたくなければ、大人しくしていろ。無闇に嗅ぎまわるものではない」
「別に何もしやしないですよ。心配して頂かなくて結構です」
「ああ、そうか。なら良いがな」
きっぱりと返す伊織を、斎藤は鼻であしらう。
それにも僅かに憤りを感じつつ、伊織ははて、と首を傾げた。
平成の時代から携えて来た記憶と知識を遡りってみれば。
今回、永倉らが引き起こすであろう騒動も、然程大きな問題でもなかったように思うのだが。
(局長に対する不満も、無事に収まるはずじゃなかったかな……)
無論、今現在は永倉や原田を中心に、局長の近藤に不満を持っていることは否めない。




