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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十三章 二律背反(8)



 動揺をひた隠しにして声をかければ、斎藤からは特に何の感情の色もない視線が返される。

「お前、昼間に永倉さんと話したか?」

「はい? あ、ええ、少し話はしましたけど」

 こちらが質問したのには答えず、斎藤はいつもながらに冷たい面持ちで尋ね返す。

 そこで変に逆らっても仕方がないのは目に見えたもので、伊織も平然と答えるのだが。

「……そうか。お前は暫く、永倉さんたちとは距離を置いたほうがいいだろう」

「は? ……って、斎藤さん、何処へっ?」

 言うだけ言い置いて、斎藤は伊織の脇を通り過ぎると、さっさと門外へ出てしまう。

(あらら、行っちゃったよ……)

 暮れかかった屯所を一目仰ぎ、伊織が奇妙な空気を感じたのは、それから間もなくのことであった。


     ***


「土方さー……」

 真っ直ぐ副長室に向かい、障子を開け放ったところで、伊織は愕然とした。

 いつもなら土方の背中があるはずの、文机の前。

 そこに、それはいたのだ。

「あ。お帰り」

「!?」

 振り向いたそれは、楊枝に刺した沢庵片手に、ひらひらと陽気に手を振る。おまけに文机の上には淹れ立ての茶も揃っている。

 あんぐりと開けた口を閉じるのも忘れ、伊織は呆然とそれを眺めた。

「んな……ななななんであんたがここに……」

 驚愕と動揺とで、うまく舌の回らない伊織を見上げる、その人。

「殿様は驚いていらした?」

「や、私のほうが驚いて……いや、その前に、なんでここに!」

 伊織に生き写しのその人は、満面に微笑む。

 全てを見透かしたような、そんな悪戯っぽさすら、垣間見える気がした。

「聞いたんでしょう? 私が高木時尾よ。あんた多分私の生まれ変わりか何かだと思うのよねぇ。ま、簡単だけど、そんなところで理解してもらえれば嬉しいな」

 本当に簡単である。

 こちらは幕末に来てからこれまで、訳も分からず、ただ生き延びようと死に物狂いだったというのに。

 問い詰めてやりたいことは山とある。

 が、言いたい事が有りすぎて、何一つ言葉になって出て来ない。

 そうして、やっと声になった言葉が。

「ああああんたなぁあ!! なんっでもっと早く出て来ないんだよ!? あんたみたいなのはもっと序盤で登場しとけよぉぉお!!!」

 だった。

 事情に通じる者のいない心細さが炸裂した瞬間であった。

「まあまあ、そう怒らないで。私なんかココじゃもう死んだことになってるのよ? 可哀想だと思わないの? 本当なら七十五まで生きる予定らしいのに」

「えっ! そうなの!? …ってそれは兎も角! これ、今のこの状況は一体どういう……!」

「あー、ごめん。そういうの一言で説明するの無理。ただねぇ、私がこの世にいないってことは、今の時代にいるはずの人間が一人足りてないってことなのよ。だから、私の役割をさ、代わりにあなたに担って欲しいと思ったんだけど」

 あっさりと口にする時尾の声は、至って明朗である。

 伊織としては、冗談ではない。

 そこまで振り回されてたまるものか。

 溜りに溜まった精神的苦労に、伊織の肩は小刻みに憤りを表す。

「だから、新選組にいるよりも、あなたには国許の会津に帰ってもらいたいんだけど」

 この上よくもしゃあしゃあと言ってのける時尾に、伊織の憤慨は、頂点に達した。

「んもーーー!!! 私にこれ以上、どうしろって言うんだよアンタァアア!!!」

「おう、おめえ、人の部屋で何叫んでいやがる……」

「!!!? はッ! 土方さん!?」

 思いがけずかけられた声に、憤りも潮が引くように覚めた。

 振り返れば、たった今部屋に戻ったらしい、土方の怪訝な表情。

「一人で大声出しやがって、とうとうおめえも頭おかしくなりやがったか」

 げっそりと見下ろす土方の、一人で、という言葉に、伊織は時尾を見遣った。

 だが。

「……き、消えてる……」

「ハァ? おめえも若いくせに耄碌しやがったか……」

 ふっと蔑むような吐息が、土方の口元からこぼれた。

「あ、あの女ッ……! 言いたい事言って消えやがってえッ!」

 まだまだ聞きたい事は山積していたのに。

 一先ず。

 これでまた、黒谷へ向かう用事が出来たことだけは、確信できた伊織であった。





【第十三章 二律背反】終

 第十四章へ続く

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