第十三章 二律背反(7)
畳を擦るように部屋を出て行く、容保の背を見送っていた。
「おお、待たせてすまなかったなー、あっちで殿と一緒にお八つ食べような、ピヨ丸ぅー」
(名前も付けてる――!!)
容保の去った、その後。
室内に気まずい空気が流れたのは、言うまでもない。
***
金戒光明寺を後にする伊織を、門まで、と送ってくれたのは、梶原であった。
直に空も茜に染まる時分。
穏やかに流れる涼風に、伊織は一つ大きく息を吸い込んだ。
「ピヨ丸が失礼をしたが、悪く思わんでくれ」
「え? ああ、いえ……。ていうか、容保様は、大丈夫なんですか?」
困り笑いの梶原に、伊織はふと口を滑らせる。
が、頭は大丈夫か、と問わなかっただけ、まだ良いだろう。
何しろ、相手は会津藩主だ。
「まあ、あれも日頃ご疲労の耐えぬ殿の、唯一のお楽しみなのだよ」
「雛の飼育が、ですか」
「うん、そうだな、ある意味会津藩の若君だと思うぞ」
(ヒヨコが……ッ!?)
「私も……」
背後からどんよりと落ち込む佐々木の声が介入し、伊織は漸くその存在を再確認するに至った。
「! あ、うわ。そういえば佐々木さん、いたんですね」
余りにも大人しすぎたために、すっかり佐々木も一緒だったことを忘れていたのだ。
振り向けば、そこには頬を桜色に染めた、佐々木。
「私も、伊織のヒヨコになりたいのだが……」
容保公の前を離れ、つい神経も弛んだのだろう。
また可笑しな性癖が、首を擡げ始めたらしい。
「おい、伊織殿。何だこの男は? 頭悪いのか?」
(梶原さん、辛辣ぅ!!)
訝しげに佐々木を見る梶原の目は、非常に刺々しい。
「そ、その人、ちょっと変なんです。そっとしておいてあげて下さ……」
「梶原殿、頭が悪いのは私ではなく、会津公であろう!」
「佐々木さんの馬鹿ーーー!! 駄目でしょう言っちゃああァ!!」
仰天して叫ぶも、既に佐々木は断言した後。
すると、梶原もまた酷く考え込むように、俯いて顎を擦った。
「……そう、か? いや、私も常々そうかな、とは……」
「思ってたんですか!!?」
右に左にと、突っ込みが忙しい。
と、やや息切れをした伊織の肩に、梶原が労うように手を乗せた。
「まあな。しかし、あれでいて殿は、思慮深くていらっしゃる。信頼を置いて、間違いないお方だ」
にっこり笑んだ梶原は、やはり快男子的である。
その一言に安堵の息を吐けば、梶原は再び面持ちを暗くした。
「先は言いそびれたが、私もやはり、同じ顔の人間がそう何人もいるとは思えぬ」
紡がれた同意に、伊織は瞬時に眉間を狭める。
「死んだ娘の名は、高木時尾といってな。殿の義姉上様、照姫様に付いておった娘なのだ」
心当たりはあるか、と、梶原が問う。
「高木、時尾――?」
その名を、伊織は呆然と聞いた。
無類の新選組好き、そして、会津を故郷に持つ自分が、その名を知らぬはずはなかった。
(あの人が、高木時尾……?)
その人と、自分と、一体何の関係があるというのか。
そもそも、彼女は、本当ならば今も存命でなければならないはず。
実際の歴史では、高木時尾は相当の老齢まで生きることになっているのだ。
それなのに。
今は、既に亡き人。
(どういう、こと?)
些かの混乱すら感じ、伊織は固唾を呑んだ。
そうした伊織の様子を窺うように、梶原が付け加える。
「まさか、とは思うがな。まあ、次に会ったら、確かめて見るといいだろう」
***
呆然としたまま帰り着いた、壬生村の屯所。
その門を潜ろうとした伊織の前に、ふと人影が立った。
一瞬、ぎくりと身を強張らせたが、それが斎藤であったことを知ると、ほっと胸を撫で下ろした。
黒谷を出てから、絶え間なく頭に響く、高木時尾の名。
歴史の通りなら、彼女はこの斎藤の後妻に納まる人物なのだ。
「斎藤さんでしたか。こんな時間からお出かけですか?」




