第十三章 二律背反(6)
兎も角、実在するのだ。
二度も神出鬼没な様を見せ付けられ、解せぬ言葉もかけられた。
それだけに少々不気味にも思えていたが、実在するなら一先ずは安堵も出来る。
それと共に表情の弛んだ伊織だったが、話し手の二人は未だ硬い面相を続けている。
「しかしな。会った、というのはやはり思い違いであろうぞ」
「どうしてですか? 私は実際に、窮地を助けられもしたんですよ、その娘さんに」
ならば一度きちんと会いたい、と、そう願い出ようとした。
その寸前。
容保自らが席を立ち、伊織の傍へと歩を進めたのである。
柔らかな風を起こして、間近に膝を折るその姿を、伊織は戸惑いつつ見詰めた。
近くで見れば、息をするのも憚られるような、端麗な面立ち。
その目と目を合わせ、容保は静かに口を開いた。
「その娘は、もう……幾月も前に亡くなっておるのだ」
「――は……?」
我が耳を疑った。
顔に見惚れている場合でない、その発言。
己の身の回りに起こり始めている――否、既にこの時代へ来た時から、事は起こっているのだが――その真相の手掛かりを、確かに今、掴んだと思ったのに。
「そんな、では、私が見たあの人は、誰なんですか!」
つい目元も険しくなる伊織に、容保は困惑したように眉尻を下げる。
その顔に、伊織も少々自省した。
「いえ、その……この世に、そうそう似た人がいるとも思えませんし……」
「余は、そちが嘘を申しているとは思っておらぬ。ただ」
「ただ?」
「その娘が既に亡いのは事実。それは恐らく、他人の空似であろう」
「……そう、なのでしょうか」
些か腑に落ちないながらも、それ以上容保に突っ掛かるわけにもいかない。
いくら神出鬼没な女だからと、まさか幽霊でもあるまいし。
けれど。
(――そういえば)
と、伊織は不意に落胆から覚めた。
――私がこの世にいない今、あなたに死なれちゃ困るんだ。
とは、確か、あの女の言っていた言葉だ。
(この世に、いない……?)
あの時目の前にいた彼女は、そう言った。
この世にいないとは、何かの比喩でも何でもなく、既に亡いという、そういう意味か。
そこまで考えた瞬間、伊織の背筋がぞくりと粟立った。
それと同時に。
「おっ、と!」
と、容保の慌てるような声が傍近くで起こった。
何事かと目を向ければ、容保はやや焦りつつ、その胸元を押さえている。
「どうかなさいましたか、公?」
押さえた胸元を凝視して尋ねると、即座に伊織の脳裏に悪い予感が立ち上る。
不自然に胸を押さえる行為、というのは、何か少々気色が悪いのだ。
たとえ容保のような、容姿端麗な男性でも。
(容保様まで佐々木さんと同族だったら、どうしよう……)
そんな危惧を覚えてしまうのも、己の奇怪な環境のせいであろう。
伊織がそんな疑いを持った、次の瞬間。
見詰めた先の容保の胸元が、妙に膨れ上がったのだ。
「――!!?」
目を離せずにいれば、今度はモコモコと蠢き出す始末。
「かかか容保様、何か動いておられますが……!!?」
「ああ、困ったなあ、大人しうしておれと申したのになあ」
ははは、と照れ笑いを浮かべる容保。
その横合いから、梶原もその手元を覗き込んだ。
「殿、お八つの時間なのでは?」
「おお! もうそんな時間であったか! そうか、それは悪いことをしてしまったなあ」
梶原の助言を機に、押し込めた容保の懐が開放されれば。
何か丸っこい、ふわふわの生き物が、ひょっこりと顔を出した。
(!!! 容保様の懐からッ、なんか雛!? ひよこ!!?)
「いやあ、すまぬ。お八つを与えねばならぬので、余はこれで失礼するぞ」
震撼する伊織をまるで気にする様子もなく、容保はヒヨコを抱えてさっさと立ち上がる。
「は、はあ……」
驚きが先に立ち、曖昧に返答するしか出来ない伊織。




