第十三章 二律背反(4)
「俺にはどうも、局長ばかりが偉くなったように見えて仕様がねえ」
「うーん、まあなあ。確かに、たまーに顔見たとくりゃあ、妓の匂い振り撒いてんもんなー」
二人から出るその言い分に、伊織はどうとも答えを失った。
事実、それは伊織から見ても否定は出来ないように思うのだ。
余り良くないところへ首を突っ込んでしまったらしい。
「あんたはどう思う」
再度、念を押すような問いを投げ掛ける永倉に、伊織は不意に視線を移ろわせた。
「さあ、私も最近は、あまり局長にはお会いしてませんから……」
この場は曖昧にお茶を濁すのが得策かと思えたのだが、そうと返せば次には原田が詰問する。
「じゃあよぉ、土方さんはどうなんだよ。側にいるんだ、近藤さんに対してどういう了見でいるのかぐれえは分かるだろ」
「う、でも、この頃土方さんも、あんまりそう突っ込んだ話をしてくれないんで……」
ずい、と顔を覗き込む原田に対し、伊織はそれとなく回避を謀る。
と、両名が同時に、大きな落胆の色を浮かべた。
「あんだよ、お小姓のおめえも蚊帳の外ってか?」
「まったく、局長だの副長だの、何なんだ一体。俺らは同志じゃねえのかよ。同志である以上、立場は同等なんじゃねえのかよ」
憤慨も露骨に見せ付ける二人を前に、どんな表情をして良いかのかも判断に困る。
徒に反論して、意図とは逆に憤りを煽っても困るし、かと言って二人の意見に乗じることは、もっと出来ない。
「私も最近、相手にされていないような気がして、寂しいとは思いますけどね」
結局こんな相槌しか捻り出せない我が身が、一層歯痒い。
その後、まだ延々と話の続きそうな二人に、おざなりに暇を告げる以外、思いつくことが出来なかった。
「新選組も、いろいろとあるようだな?」
その場を離れつつ、ふと佐々木が声を低めて言う。
「しかし、お前もあの場で二人に賛同しなかったのは褒めてやろう」
「それはどうも」
「同志といえど、長は必要だ。元々百姓出の近藤が、苦労もせずに諸藩と遣り合っているとは、到底思えぬ」
どうしたことか、急に真面目に話し出す佐々木を、伊織は意外な思いで見上げた。
「そうですよね? 私もそれに同感です。今だって、局長は余程苦労されてるんだと思いますよ」
内実を知らぬが故の、憤懣なのだろう。
永倉の言い分が、全く理解出来ぬわけでも、ないのだが。
また隊内部の雲行きが怪しくなってきたのは、紛れもない現状であった。
重く下駄を鳴らし、伊織は屯所の門へと足を向ける。
と。
「――――!」
ふと顔を上げた伊織の視界に、開いた門前の間口に、横切る人影が映った。
「あの人……!」
見間違えるはずもない、あの女。
以前、黒谷からの帰りに出会った、己の姿に酷似した女が、今目の前を過ぎて行ったのだ。
咄嗟に門外へと駆け出て、周囲を見渡す。
だが。
「いない……」
素早く首を巡らすも、その姿を再び捉えることは出来なかった。
たった今過ぎたばかりのその姿は、影も無い。
「伊織! どうした! 突然私を置いて行くとはあんまりではないかッ!」
少々突飛だったその行動に、佐々木も慌ててついてくる。
「今。通りましたよね?」
「? 何がだ?」
「……私にそっくりな、女の人」
呆然と尋ねるが、佐々木は不思議そうに首を傾げるばかり。
真正面を通り過ぎたのに、見ていなかったのだろうか。
立ち往生したまま、伊織は暫し、その過ぎ去った方向を眺めた。
伊織を幕末の時代に呼び寄せたのが、彼女。
彼女に出会う直前、会津藩本陣でも、奇妙なことを言われた。
似ている、と。
そこに、何かの関連があるとしたなら。
そこまで思案し、伊織はくるりと佐々木を仰ぎ見た。
「すみません、佐々木さん!」
「何だ、急に改まりおって」
「これから黒谷に行く用事が出来ました。やはり稽古はまた今度お願いします」
「黒谷? 何だ、では私も……」
「いや、来なくていいです。ていうか、来ないでくださ……」
「それで、何をしに行くのだ?」
と、すっかりついて来る気になっている佐々木の一言で、伊織は口籠った。




