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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十二章 有為転変(5)



「私があなたを呼んだんだよ。上手い事この世に来ていてくれたものだから、少しほっとしてたんだが……まだ馴染みきってないようじゃないか」

「……何?」

 こちらの質問などまるで気にかけてはいない様子で、その上にも可笑しなことを口走る。

 女の言う意味が解せない。

 呼んだ、とは。

 伊織が顰蹙するのも構わずに、女はさらに話を続けた。

「まさか新選組に入隊するとは思わなかったが……。まあ、どこであれ、あなたには生き抜いてもらわないと困るんだ」

「ちょっと、さっきから何を……」

「生き抜け。臆するな。生きるためなら、斬れ。私がこの世にいない今、あなたに死なれちゃ困るんだ」

 伊織はさらに眉根を顰めた。

 どうやら先方はこちらを見知っているような口振りだが、どうにもその話の根幹が明確に見えない。

(何、この人……)

 怖い。

 と、そう感じた。

 今一度、聞いた話を顧みようと、女から目を逸らした瞬間。

 ふと伊織の周囲から女の気配が消えたことに気付いた。

「!? ちょ……ッ!」

 当然身を翻して去り行く姿があるかと思い、呼び止める声を出した。

 だが。

 辺りには人影など一切も見当たらなかった。

 馬と、伊織の二人だけが、その場に取り残されていた。

 後は、二つに斬り離された、刺客の死体が転がるのみ。

(何なんだ、今の――)


     ***


「ひひひひひ土方さん!!!」

 逃げるように屯所に帰り着いた伊織は、真っ直ぐに副長室へと突進した。

 既に布団まで敷いてぐったりとうつ伏せに突っ伏していた土方の背に、伊織は真上から飛び乗った。

「いてえ!! 馬鹿、背骨が折れる!!」

「ででで出た! 出た! 出たかもしれない!!!」

 慌てていて言葉もなかなかままならない伊織を、土方は下からぎろりと睨み上げる。

「出たって何がだ。佐々木か」

「違いますよ! わ、私にそっくりな女の人ですよ!! 声もそっくり! でも私より強かったんです!!」

「あああー? てめぇみてえなのが二人もいて堪るかってんだよ。どうせ狐狸の類に化かされでもしたんじゃねえのか」

 端から取り合う気のない土方だが、よく見るとその顔はどこか普段の色艶の良さに欠けている。

「あれ、どうしたんですか。どこか具合でも悪いんですか?」

「……あー。まあ、何だ、俺はいい。おめえの首尾はどうだったんだよ」

「容保公、ですか?」

 土方の尋ねた意味を汲み取って、伊織はそろそろと土方の背から降りる。

 柴自らが切腹を申し出た。

 だから、どうにもならない。

 そう報告するのは、気が進まなかった。

「……」

 暫時黙した伊織に、土方の問いかけるような視線が注がれる。

「あんだよ、何黙ってやがんだ」

「容保様が命じたわけではないそうです」

「は?」

「お会いして、初めて聞かされました。柴さんが、自分で、腹を切ると……言ったそうです」

 区切りながら言い、伊織はまた黒谷での話し合いを振り返る。

「……藩としての立場があるのは分かるつもりです。それが今、いかに重要かも。でも……」

 土佐に文句を言われたから、はいそうですか、と自刃するのは、その場凌ぎにしかならないのではないか。

 どの道、土佐とは敵同士になる運命。

 それを口にしようとして、伊織はまた慌てて口を噤んだ。

「伊織。おめえ、余計な真似をすんじゃねえぞ。これは俺たちだけの問題じゃねえ。会津藩の問題だ」

「――――」

「柴がその覚悟を決めてるんだったら、口出しは出来ねえ。する必要もねえ。それが奴の士道なんだろうよ」

 下手に引き留めて迷いを与え、柴の名誉に傷を付けてくれるな、と。

 いつになく、土方の声が暗く沈みがちなのは、きっと伊織の気のせいではない。


 

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