第十二章 有為転変(4)
屯所への帰路を、馬の手綱を力なく曳いて行く。
たとえ己に咎が無くとも、藩の体裁のために切腹を決意した柴は、立派だと思う。
思うのだが。
まだ納得のいかない自身に、胸中が疼いた。
細い三日月の照らす往来は、既に閑散とし、やたらと馬の蹄の音が周囲に響く。
折角出向いて、幸いにも容保公への目通り叶い、なのに、良案は一つも出ぬまま。
今頃、柴の心中はどれほどだろうか。
土佐に伝手など一切無い自分には、何も出来る事はないに等しかった。
蟠る苦さに、伊織は一つ目を細めた。
刹那。
横から、すらりと鼻先に差し伸べられた、白銀色に月光を照り返した鋭利な切っ先が見えた。
何と疑うまでも無い。
刀。
つと目を滑らせたその刃渡りから、大刀と察した。
目を剥き、刃紋を凝視する。
「新選組だな」
口元を何かで覆っているのか、やけにくぐもった声音が問うた。
まずい事に出くわした。
つつ、とこめかみに凍る汗が一筋。
身じろぎもせず、声も出せずにいると、突き出された刀のふくらが、伊織の喉元へと移された。
右腕は、動かせぬ事はないだろう。
けれど、この至近距離。
鯉口を切る瞬間に、隙が出来はしないだろうか。
そもそも、この体勢から刀を抜いて応戦出来るほど早い動きなど、きっと出来ない。
ちらりと横目に刺客を見遣れば、ご大層に顔を黒の覆面で隠している。
その目元だけが異様にぎらついているから、尚焦燥が走った。
「人違いじゃないか? 幸い私はあなたの顔も見ていない。立ち去るなら今しかないぞ」
多少声音が揺れはしたが、この状況下にしては驚くほど冷静に言い返せた気がする。
だが、当然ながらこの程度の一言で切っ先が引っ込む事は無い。
目に映る刺客は一人だが、他に潜んでいないとも限らない。
万全でもまだ腕の怪しい伊織が、まともに戦って敵うとも思えなかった。
まさかとは思うが、長州側に顔が割れているのではないか。
「同志の仇!」
「!」
低い声が呼ぶと同時に、切っ先がゆらりと勢い付けるように傾斜をつけて下へ振られた。
(首を刎ね上げる気か――!?)
止まった息が咽喉に圧をかけた。
その須臾にして。
馬の嘶きが谺し、次の瞬間には、胴から抛られた首級から、夥しい血潮が飛散した。
「――――」
声も無く、その無残な様を目の当たりにする伊織。
闇に閃いた血曇の刀身が、きらりと月光に映えた。
飛んだのは、どうやら自分の首ではなかったらしい。
自らの鼓動が、今も耳元に聞こえる。
次いで二人目と思しき刺客の切っ先が頭上に降り掛かった。
咄嗟に自ら引き抜いた脇差が、その刃を防ぎ弾き返す。
「何者だ! 名を名乗れ!!」
伊織が恫喝の如く誰何したと同時に、ひどく口惜しげな舌打ちが聞こえた。
刺客の正体を明かさんと凶刃の振るい主を見眇めるも、さすが相手もすばしこいもの。
太刀を返した途端に、夜陰に紛れて駆け去っていく足音が響いた。
「やはり、まだ他にもいたようだな。六条の方に逃げたようだが。どうする、追って仕留めようか?」
抜き身の刀を下げ、地に転がった首を呆然と凝視する伊織に話しかけた、その凛とした声。
気のせいか、それとも動揺が成し上げた錯覚か。
その声は伊織のそれに酷似していた。
「油断するな。あなたに死なれると、もう代わりはいないんだから」
続けざまに紡がれた声に、伊織ははっとした。
気のせいなものか。
事実、自身で発して己で聴く、伊織本人の声音と、ほぼ同じ響きである。
「……誰ですか、あなた」
刀の血痕を振り払い、その思いがけない助人はにこりと笑んだ。
女だ。
それも、容姿格好まで自分に瓜二つの。




