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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十二章 有為転変(3)



(どうしよう。会津藩も、ちょっとおかしい……)

 大丈夫だろうか。

 急激にいろいろと心配になってきた伊織だが、まさか会津藩主に手厳しく突っ込むことなど出来る道理もない。

(何か……容保様って、もっとこう、賢そうな人だと思ってたのに)

 がっかり、と言うか、非常に夢を壊された気分。

「ええと、高宮、とか申したな? 別に余は好き者ではないので心配しないでもらいたい」

(誰もそんなこと聞いてねえよ――!)

 激しく反応するのは、自らの心の声ばかり。

 思い切り大声で言ってやりたいのだが、そこはぐっと押し堪えた。

 気を紛らわせ、また話の方向を変えるために、伊織は一つ小さく咳払いする。

「……本日お目通りを願いましたは、先日の明保野亭での一件に付きましてのことで……」

「おお、そのことでは余も頭を悩ませていたところだ」

 漸く口火を切れば、容保公もすぐに表情を改めた。

 側に控える梶原もまた、同様。

「柴さんに否はございません。私は一部始終をこの目に致しましたが、あれは土佐藩士麻田の不審なる行動が引き起こした偶然の事故! 切腹のお申し付けは、余りにございます!」

 臆せず申し立てた伊織に、容保公も梶原も、目を丸くした。

「どうか、ご命令をお取り下げ下さい。土佐藩の言い掛かりへのご対処にも、どうかご再考を!」

 二人の様子に構わず進言すれば、漸く目前の容保公の表情にも変化が表れた。

「――そちが申す事も、分からぬ余ではない。だが、この事は柴が自ら申し出たことなのだ」

 控えめに紡がれた言葉に、伊織は我が耳を疑った。

 柴が自ら、切腹を申し出た。

 新選組に伝わった話とは、違うではないか。

 容保公が命じたのだ、と、そう聞いていたのに。

「……それは、本当なんですか」

「余は嘘など申さぬ。あの者の決意は固い。会津の体裁を思えば、自分が腹を切らねば後々まで響く問題になる、とな」

 言って、容保公は一つ儚く吐息する。

 やや声を沈めた容保公を見ては、伊織もそれまでの勢いを削がずにはいられなかった。

 柴の切腹をやめさせるようにと、容保公に目通ったのは、些か門違いだと言わざるを得ない。

「……ッ」

 そのまま、暫時押し黙る伊織に気付き、梶原が控え目ながらに話しかける。

「そういうことだ。どうやら何か情報の行き違いがあった様子だが、腹を切らせずに済むものなら、我々も彼を止めたいのは山々なのだ」

 ふと梶原へ視線を泳がせれば、それまでとは顔色を変え、ひどく苦渋に満ちた面差しを向けている。

「ですが……っ!」

 柴が切腹などしなくとも、解決の方法は幾らもあるはずだ、と言いかけ、伊織は唇を噛む。

 前方と、横合いから注がれる視線に、奥歯を噛み締めて双眸を伏した。

 では、他のどんな方法なら土佐を黙らせることが出来るのか。

 そう問われたところで、答えに詰まるのは明白である。

 土佐は、その国柄か、一度出した文句は突き通す帰来があるのも周知の事実。

 何より、血気盛んな印象が強い。

 月並みの弁明に、聞き古したような謝罪のみでは、凡そ納得などしないだろう。

「今、土佐との間に亀裂が入るのは、避けたいのだ。余とて、咎無き者に腹を切らせたいとは毛頭思わぬ」

「もし……柴さんが、切腹を思い留まったとしたら」

 言って一拍、言葉を選ぶ。

「公は如何なさいますか」

 伊織が再び顔を上げると、容保公の表情にも、僅かに面食らったような色が見え隠れした。

 とどのつまりが、柴が責任を感じて自ら切腹を申し出たのを良い事に、それで済まそうとはしていないか。

 恐れ多いながらも、伊織は正面切って容保公に疑問の目を投げ掛けたのだ。

 するとまた、容保公もその真意を読み取ってか、口元を引き結ぶ。

「……では他に、どうすれば良いと申すのだ」

 互いに歯噛みし合うような、視線の交錯。

 そうと訊かれては、伊織もまた答えようがないことであった。

「申し訳ございません。詮無いことをお聞き申し上げました」


     ***


 謁見は、日暮れまで続き、しかしそれでも答えの出ぬまま、場は閉じられた。

 

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