第十二章 有為転変(1)
柴の切腹は、本当に必要なことなのか。
彼は、忠実に隊務を全うしただけだ。
明くる朝、憤ったままの伊織の足取りは、殊更荒々しく床を踏み鳴らした。
(容保様に目通りを――)
屯所の廊下を歩く伊織の目には、壁の色さえ灰に曇り、鮮明ではなかった。
「行ってどうするつもりだ」
不意に廊下を横合いから覗いた土方が、一言。
けれど、伊織はそれをも突っ撥ねた。
「冷たいですよね、土方さんて。罪もないのに、柴さん一人が責任を負わされても良いって言うんですか?」
「そうは言ってねえ。おめぇが行って、何になるってんだ。少しは周りのことも考えやがれ」
だが、それが制止の意味を持った問い掛けだと、この時の伊織には察する余裕などなかった。
――切腹。
その言葉で念頭に浮かぶのは、あの日初めて目の当たりにした、覚悟の自刃。
宮部鼎蔵と名乗った男の最期は、一閃した銀鼠の刀身によって繰り広げられた。
鮮やか過ぎるほどに、彼はその身に刀身を貫いた。
時が経てば経つほど、その光景は縫い付けられたように脳裏に張り付いて離れなくなってゆく。
自らがあの場を切り抜けたのは、奇跡。
今は、そうとしか思えない。
志士たちを自らの刀で切り裂いた感覚が、未だ掌から消えようともしない。
返り血の、あの生温かさ。
生きた血の、その躍動。
たった一度、言葉を交わしたきりの柴を庇うことに、何の理由が要るというのか。
同じ会津の血をその身に湛える者の冤罪を雪ぐのに、理由など要るはずもない。
己の見た、事件の一部始終を容保公に申し立てれば、きっと公とて違う方法をお考えになるはずであろう。
(どうか、ご再考を……)
土佐藩の理不尽な要求に屈するのは、我慢もならない。
栗毛の馬を一頭借り出し、伊織は習い立ての乗馬で屯所を出発した。
***
会津藩本陣、金戒光明寺。
その門前に立ち、伊織は一つ細い息を吸い込んだ。
「柴司の一件において、容保公にお目通りをお願いしたく参じました。どうかお取次ぎを!」
そのまま、新選組諸士取調役兼監察を名乗る。
門脇に対で立つ二人の会津藩士が、やおら顔を見合わせた。
「お前のような者が今日訪ねて来るとは、我らには知らされておらぬぞ」
「左様。新選組の一隊士が、そう易々と殿にお目通り叶うと思うのか」
明らかに、こちらを見下した態度と受け取れる。
新選組内部で起こした不始末だけに、あまり歓迎はされていないらしい。
だが、伊織もそれは承知の上だ。
「私は、柴さんが麻田を刺した現場で、共に行動していた。その委細、是非とも容保公のお耳にお入れ申し上げたいのです」
眉一つ動かさずに、出来る限りの厳格な声で尚取次ぎを願う。
しかし、それでも門兵の顔色は曇ったままだ。
否、一層虫の好かない表情になったかもしれない。
「なんだ、どうかしたのか?」
ふと、本陣の奥から姿を見せた男が声をかけた。
「あ、これは……」
「この者が急に訪ねて来て、殿にお目通りを、などとふざけたことを申すもので……」
男が声をかけた途端に、これまで横柄とも呼べる二人の態度が改まった。
かたことと歯切れの良い下駄の音と共に近付く男。
まだ二十も前半だろう。
若い男である。
身なりも綺麗に整い、月代もまた丁寧な剃り跡だ。
伊織は小首を傾げた。
(――誰だ?)
この門兵二人の態度の変化を見れば、少なくとも少々身分役職の位の高い人物なのだろう。




