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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十一章 秋霜烈日(5)



「何だ、高宮。邪魔をするな!!」

 それでもまだ、隊士を従えた武田は威喝する。

「聞け! この人は土佐藩士だッ!!」

 武田に劣らず声を張り上げると、その場の空気が俄かに響動く。

「おい、あんた、土佐の人だろう! どうして逃げようとしたんだ! これじゃあ刺されたって文句も言えないぞ!?」

 蹲る例の土佐藩士を仰向けさせ、伊織は今し方の傷を探る。

 その肩をぐっと押し上げれば、脂汗の浮く男の顔が間近に見えた。

「しっかりしろ! すぐに医師を呼んでもらう。どこに槍を受けた!?」

 男の腕が、その腹部を毟るように掴み閉めている。

「す、すまん……。腹を、やられた」

 疼痛に耐えながら、切れ切れに開口する。

 なるほど、見れば幸いにも急所は外れているらしい。

 だが、傷を押さえた指の間からは、諾々と鮮血が湧き出している。

 鉛を含んだように微かな翳りのある、血潮。

 その流れ出る様に、伊織は一瞬息を詰めた。

 赤というよりもまだ鮮烈な韓紅の色は、あの日の惨劇を今も髣髴とさせる。

 首筋に、いやに冷たい汗が滲み出た。

「は、早く医師を……!!」

「え……し、しかし、本当にこの男、土佐の……?」

 蘇り来る戦慄を呑み込んだ伊織に、柴は更なる問いを投げ掛ける。

「本当です。この人、以前にお会いした事が……」

 と、そこまで言いかけ、慌てて口を噤んだ。

 これを皆の面前で公言するわけにはいかないではないか。

「こ、言葉でわかるじゃないですか! この人の口調、長州とは違いますよ」

 咄嗟に声になった苦し紛れの理由に、柴も武田も、若干怪訝にこちらを窺う。

「……あのう、そんお人ォ、確かに土佐のお方ですわ。うっとこにもようお通いくれはるんで、間違いあれへんと……麻田時太郎様いわはります」

 おずおずと武田の前に進み出て、伊織の弁護をしてくれたのは、当の明保野亭の主人である。

 その進言に信憑性を感じ取ったか、武田の面持ちは一瞬にして青褪めた。

「だから言ったでしょう。ご主人、すみませんが至急医師を呼んで下さい。それと、土佐藩邸にも連絡を……」

 連絡を取れ、という伊織に、蒼白になった武田が目を引ん剥いた。

「ま、待て、我らだけの判断で藩邸に報せるのは如何なものか! まずは局長なり副長なりに……」

「これだけ大勢の前で失態を演じて、何を言っているんですか!? 罪もない人を捕らえよと、柴さんに命じたのはあなただっ! 藩邸へ報せるのは当然じゃないですか!?」

 往生際悪く別論を立てた武田が、伊織の目には酷く気疎い存在に見えてならなかった。

 その伊織の背後には、ただ呆然と己の所業に打ち震える、柴の姿があった。


     ***


「予感は、的中したみたいですよ、土方さん……」

 薄曇りの夕刻。

 伊織は局長室にいた。

 正面に座し、深い腕組みで瞑目する近藤と、苦虫を噛み潰したような表情の土方。

「勝手な行動を取った上、傍にありながら気付くのが遅れ、止める事が出来ませんでした」

 明保野亭での顛末を報告し、伊織はそう言って素直に謝罪を申し述べる。

 両者も、黙したままで一連の報告に耳を傾けていた。

「土佐藩士、麻田時太郎は一命こそ取り留めた様子ですが、傷はどうも深いようです。無事に回復すれば良いのですが……」

 手を下した柴、その命を下した武田には、一時の謹慎処分が出されていた。

 伏し目がちにしていた伊織は、そろりと近藤の顔を窺う。

 すると、漸く近藤が双眸を開いた。

「確かに、土佐藩が相手では運が悪かったなあ」

 土佐藩主、山内容堂公は、公武合体派として、幕府とは友好関係にある。

 その藩士に害を為したとなれば、少なからず問題視すべきことだ。

 加害当人の柴は会津藩士。

 責めは当然会津藩そのものにも掛かる。

 下手をすれば国際問題にまで発展しかねない。

 恐縮に肩身を窄めた伊織に反して、近藤の口調は一層ゆるやかに鷹揚なものであった。

「しかし、幸い死なせることもなく済んだ。それにその麻田とかいう男も、何も後ろめたいことがなければ、我々から逃げるような真似はしなかったはずだろう」


 

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