第十一章 秋霜烈日(4)
武田と同行していた様子のその人は、隊服を着用していないところから察するに、会津藩士の一人だろう。
「彼の右腕、包帯を巻いていたのを見掛けたことがありますから。可哀想ですよ」
見たところ、沖田あたりと同年だろうか。
槍を片手に抱え、温厚な口振りとは対照的に、真剣な表情で諌めている。
その人が、この時伊織には仏のように映った。
「なに、怪我だと?」
他者からの忠告を受け、武田もやや気分を損ねたように眉間を狭くしたが、自身もまた思い改めたのだろう。
程なく握力を緩めて、伊織の腕を解放した。
「そうですよ! 医師からも暫くは大事に、と言われてるんです。なのにあんなに思い切り引っ張らなくても……!」
ここぞとばかりに面責する伊織。
だが、青年はその伊織にもまた一言添えた。
「あなたもこそこそしているから、そういう目に遭うんだぞ」
「……」
そう言われても、監察方なので。
とは、口が裂けても言えない。
口籠った伊織の隣では、武田が忌々しげに舌打ちをした。
と、次の瞬間、伊織は自らの腰の辺りに、何か妙な違和感を覚えた。
「――!!?」
撫で回すような人の手の感覚。
そして、それはおよそ間違いなく、傍らの武田のものに違いなかった。
「ちょちょちょ……ッ!? 何すんだ、あんた!!」
「ふん。怪我があるならば先に申し出れば良いものを! まあせいぜい我らの足手まといにならぬ事だ!」
腰の違和感はすっと遠のいたものの、武田は何食わぬ顔で悪態をつく。
驚きと憤りとで、開いた口すら塞がらない。
やはり、この男には近付くのではなかった。
「ええと、高宮君……とか言ったな。気を付けたほうが良さそうだな、あなたは」
愕然とする伊織に、そう耳打ちする青年。
「噂に聞いただけだが、あの人、男色の傾向があるらしい」
気まずそうな声音で警告を囁く青年を、伊織は苦渋の面で見上げた。
「ろ、ろくでなしが……」
「え、いや、私にそう言われても……」
ははは、と苦笑いの青年を見てもまだ、伊織の胸中はむかむかと憤りが満ち溢れていた。
「武田隊長! あれを……!」
その最中、隊を成す一人が焦慮の声を上げた。
呼び立てられた武田と同様に、伊織と青年もまた即座に反応する。
「あっ! 貴様っ!! 逃すか! 待てい!!」
怒鳴り散らす武田の、その先。
明保野亭の周囲を巡る外塀の上を、男が乗り越えようとしている瞬間が目に飛び込んだ。
新選組の包囲から脱出でも試みたのか、武田の声が轟くと、男はあからさまに慌てふためいて手足を縺れさす。
「長州の残党だ! 逃がすな!! おい、柴、高宮っ、奴を追え!!」
「え、何、いきなり私……」
武田の命令に戸惑う伊織の側から、青年が駆け出していたことに気付いたのは、数拍後のことだった。
「……柴?」
青年の名だろう。
そう見当を付け、伊織もまた柴の後を追う事にした。
が、駆け出したその刹那。
塀の上の顔がちらりと視界を掠めた。
「―――あ!?」
喫驚が伊織の口を付いて出た時には、既に柴は真下に駆け込み、槍を構えていた。
「柴さん駄目です!!! その人は……!!」
昨日の、土佐藩士。
伊織の声がそう告げる間もなく、柴の手槍が塀上へ突き上げられるのを、伊織は蒼白の面で凝視した。
「ようし、でかしたぞ! そのまま引き摺り降ろせ!」
武田の得意気な声音を他所に、伊織は愕然と立ち尽くした。
何が、でかした、だ。
(馬鹿が……!)
地べたに引き降ろされた、手負いの土佐藩士は、今も苦悶の表情で呻いている。
「柴さん、武田さん! その人は違う! それ以上手を出しては駄目だ!!」
血の気の引く思いを振り切り、その場に張り付いたように動かなかった足を、無理矢理に走らせた。




