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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十一章 秋霜烈日(3)



 背を伸ばし、踵を浮かせ、人垣の向こう側を窺おうとするものの、この場からではまだ少し距離があり過ぎる。

「なんや、まあた新選組や。感じ悪いなあ……」

「こないだの残党狩りやて?」

「見てみい、あの偉ぶり方ァ。ほんま、イヤやわ」

 声を潜めて口々に交わされる、嫌悪の言葉。

 池田屋での活躍以後、京の町の人々の陰口は、一層深みを見せている様子さえ見られる。

(……まあ、あの武田さんじゃあ、そう言われても仕方ないか)

 隊士として内心肩身の狭さも感じるが、武田のあの傲然とした態度を見せ付けられては、陰口も何だか尤もな事に思えてしまうのが悲しい。

 羽織を着ずに駆け付けたのは幸いなことであった。

「ちょっとすみません。通してもらえますか!」

 他人の着物を掻き分けるようにして、伊織は閊え閊えしながらも強引に前へと押し進む。

 まだ特に異変はないようだが、兎に角近くで武田隊の様子を確かめるため、伊織は身を低くして最前へと進み出た。

 割合と大きな門構えの明保野亭を取り囲み、浅葱羽織が幾重にも重なっていた。

 中には隊服を着用しない者も数名あったが、彼らは会津藩より派遣されてきた藩士だ。

 ちょうど店の主人が門前に出てきたところであるらしく、武田がやけに踏ん反り返って何のかのと言っている。

 武田は特に大柄なほうでもないのだが、目一杯に背を仰け反らせると、それなりに威圧感のある顔だ。

 武田の尊大な態度そのものは見ているこちらまでも気恥ずかしくなるほどだが、それ以外にはその場に異変はない様子。

(――私の思い過ごし、だったかなあ)

 悪い予感も、外れることがあっておかしくはない。

 何事もないようならそれに越したことはないのだから。

「……」

 一瞬、ふと気の抜けた伊織の目が、まだ数間先の武田のそれと合った。

(うっわ……目ぇ合っちゃったよ……)

 思わず視線を逸らしたが、あちらからの視線は一向に外されない。

(やだな……話しかけないで下さいよね、武田さん……)

 こんな人だかりの中で、あれの仲間だと知られては少々困る。

 それでなくとも、日常、武田にはあまり関わらないよう努めているのだ。

 祈るような気持ちでそっぽを向き、それとなく周囲の人陰に身を隠そうと試みる伊織。

「――む? お前は確か、土方副長の小姓……高宮ではないか!? そんなところで何をしている?」

(――やっぱり話しかけてきちゃったよ!! 来るんじゃなかった……!)

 監察の面目丸潰れではないか。

 それにしても、何という目敏さ。

 武田はすぐさま踵を返し、こちらへと大股に歩み寄った。

「なーにをしておるのだ」

 徐に眉根を引き寄せ、武田は上から覗き込むようにして伊織を眺める。

 今更逃げ隠れするわけにも行かず、苦笑った、その時。

「そうか、いや、何も聞くまい。お前もこの私の後に付き、学びたいと思うのだろう? そうだろう。なかなか見所があるではないか?」

「――は?」

 にやにやと寒気のするような薄ら笑いを浮かべ、武田は見事に的外れな事を言い出した。

 その上、なんと表現すべきか、含みのある視線が送って寄越されるのだ。

 甚だ気色の悪い笑みである。

「ならば何も遠慮をすることはないぞ! さあ、隠れておらずにこちらで我々に加わると良い」

「え、ちょっと待っ……!」

 意見を述べようと開口するや否や、武田は伊織の右腕を引き、有無を言わさず手前に引き摺り出した。

 その掴まれた右腕の、まだ治り切らぬ傷口に鈍痛が走る。

 伊織が痛みに顔を引き攣らせるのも構わず、武田は加減も無く強引に隊へと引き連れて行った。

「ちょっと離して下さいよ! まだ傷が完治してないんですからっ!!」

 一、二歩遅れを取りながら歩かされ、伊織は痛みに耐え兼ねた。

 だが、不用意に腕を引き戻す事も叶わず、言葉で抗議するのが精一杯。

「武田さん。放してあげて下さい。怪我をしているようですよ」

 この馴れ馴れしい手に噛み付いてやろうかと思い至ったところで、穏やかに窘める者が割って入った。

 途端に腕を引く力も緩み、伊織は暴挙に出ずに済んだのである。

 見れば、間に声をかけてきたのは、きりりと小奇麗な風貌の、青年だった。


 

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