第十章 並駕斉駆(8)
「意地を張るでない。誰が何と言おうとも、お前は女子なのだ。そもそれを捨てるだとか申すことが無謀だと、分からぬお前ではあるまい?」
「無謀は元から承知の上です。私のような者は、少々無謀でもなければここで生きていくことは出来ませんよ、きっと……」
「お前も頑迷だな」
聞こえよがしな吐息と共に、佐々木は顔を下向けた。
「乗り越えねばならないことです。お気遣いは有難く思いますが、一度決めた以上、私はここを去ろうとは思いません」
「……常に死と隣り合わせの日々だとしても、か? 池田屋の一件で思い知っても尚、それを貫くのか」
再び伊織に視線を向けた佐々木の双眸が、やや哀しげに細められた。
その目を、ずるいと思う。
普段は暗愚者かと思えるほどなのに、何故今、主の土方ではなくこの人が手を差し伸べてくれるのか。
心の内を明かす機会を与えてくれたことは、素直に感謝する。
けれど、これほどに優しい言葉をかけられると、自分という生き物がいやにか弱く感じてしまう。
お陰で、強情な口振りとは裏腹に、どうしようもなく泣きたくなった。
涙腺の奥から込み上げる熱いものを必死に堪える。
気付かれぬようにと俯けば、重力がさらに落涙を誘った。
「……深く考えぬことだ」
そこにかけられた温和な声が、余計に辛い。
我慢も限界を迎えようとしたところで、佐々木の両腕が伊織を包んだ。
ついさっきここで伊織の着物を引っ掴んだ腕とは思えぬ、優しく力強い腕。
抱かれた刹那、驚きで瞠目したが、今は可笑しな行動に出る様子もない。
涙を堪えているのが判ったから、佐々木はこうすることを選んだのだろう。
そういえば、この人も幾人か人を斬っている。
新選組の母体とも呼べる浪士組の発案者、清河八郎を斬ったのも、確か佐々木だったはずだ。
自分と同じ、人を殺めた腕。
それを漠然と思うと、背筋がぞくりと震えた。
しかし佐々木は気付いてか否か、変わらぬ口調で言った。
「人を斬ったら、悔いてはならぬ。無論、命とは本来尊ぶべきものだ。敵であれ味方であれ、その価値は変わらぬ。だが、だからこそ、それを絶って悔やんではならぬぞ」
思わず、伊織は佐々木の顔を見上げた。
悔やむな、という一言が、真っ直ぐに胸を突き抜けたのだ。
池田屋で参戦したことを後悔はしていない。
しかし、人の命を絶った事実を悔やんでいた。
敵味方入り乱れての乱闘、そこで絶命する者はただそれが定めなのである。
斬り付けられれば応戦し、結果敵を殺害するに至っても、それは致し方ない。
とはいえ、人として、それを悔やまずにいられようか。
見上げた先の佐々木は目を合わすことなく、再度伊織の頭を自らの胸にと押さえた。
「殺めた者の命を、その先にあったであろう未来も全て、お前が引き受けるのだ」
(引き受ける……)
心中で繰り返し、伊織はぼんやりと思考を巡らせる。
死とは、何なのだろう。
人ならずとも、生けるもの全てに課せられた、決して避けることの出来ない終着点。
いずれは自分の身にも訪れるであろう、最後の砦。
まだ、己の身にかかる死などとは、予測もつかないが。
押し当てられた胸の奥から微かに聴こえる、鼓動。
池田屋で、この音を幾つ停めたのだったろうか。
引き受けることが、償いになるのだろうか。
それでも、やはり罪の意識は消えないのではないか。
静かに胸の鼓動に耳を澄ます。
規則的なその音が、安堵感を与えてくれた。
ふとそこに混じって、佐々木の声が頭上から降る。
「良いか」
「……はい?」
「引き受けることは、殺めた者に対するお前の責任だ。悔いていては引き受けることも成らぬ」
難しい、と思った。
少なくとも、人を手にかけた後悔の念と罪悪感とに苛まれる今は、佐々木の言う意味も巧く呑み込むことが出来なかった。
「人はすべて、生きるも覚悟、死するも覚悟の上なのだ」
「それはどういう……」
真意が掴めず、問う。




