第十章 並駕斉駆(7)
土方がそれを宥めてくれる時も一度か二度あったと思うが、基本的に夜中に魘されても放って置かれた。
眠るのが恐ろしいと思うことさえあったが、眠らなければ翌日に支障を来たす。
(きっと誰もが通る道なんだ)
人を斬れば誰しも気に病み、苦渋を味わう。
土方はそれが当たり前と思うから、敢えて放っておくのだろう。
その代わりに、日中はそんなことを考える暇もないくらいに、監察方の仕事を言いつけられる。
だから夜は眠らなければ昼間の身が持たない。
これも、乗り越えねばならないことなのだ。
こればかりは、人の手を借りて乗り越えることは出来ない。
遠巻きに回避することも出来ない。
喉の奥で唸り、伊織は顔を伏せた。
「……辛いのではないのか?」
穏やかだが、しっかりと芯のある声で、佐々木が問いかけた。
辛くないはずがない。
今に斬り捨てた者の亡霊でも見えてきそうなくらいだ。
仕事をしている間はそれも忘れていられるが、就寝が近くなると決まって恐怖は忍び寄ってくる。
土方とは未だに同室だが、この状態ではそれも救いだと言えた。
寝ている間も傍に人がいると思えば、恐怖も幾らか和らぐような気がする。
土方も沖田も、勿論尾形などもそれについては一言も触れては来ない。
「夜は結構、辛いですね」
声に出した唇が、微かに震えた。
今だけは、こうして面と向かって触れてくれる佐々木が、ありがたいと思った。
頭では分かっていても、実際に胸の内を聞いてもらえるのともらえないのとでは、大きな差がある。
「斬った側の私が、それを言ってはいけないのでしょうけど……」
罪無き人を斬ったわけではない。
少なくともそうするだけの理由はあったし、正当化するならいくらでも可能だろう。
けれど。
「たとえ相手が誰であり何をした者であろうと、命を絶つこと以上に罪深いことはないような気がして」
佐々木はただ黙って伊織を見つめる。
誰も灯を燈す者のない副長室は、今や既に夕闇が覆い始めていた。
また、夜になる。
これから明日の夜明けをじっと待つ間が、恐ろしく長いのだろう。
ふとすれば背後から何者かが斬りつけて来るような、そんな気配までを錯覚してしまう。
今もそうだ。
闇があるところは、怖い。
夏の夕暮れの物寂しさが、それに拍車をかけた。
「灯り、つけましょう」
暗さに耐え兼ね、伊織は膝を立てた。
が、佐々木が正面から手振りでそれを遮る。
「良い、私が燈す」
「……すみません」
屋内の何処からともなく、隊士たちの話し声が届く。
それ以外は、至って静かな時が流れていた。
互いが身動きすればその衣服と畳の擦れる音が響く。
ぽつりと明かり取りの灯が燈されると、漸く伊織の心中に静謐さが戻った。
自分がこれほど臆病になるのは、ほんの幼い時分以来だった。
闇が怖いなどと、今はもう子供でもあるまいに。
「伊織」
「はい」
佐々木の表情が深刻に見えるのは、気のせいではない。
先刻あれほど邪険にあしらおうとしたのは、やはり少しやり過ぎだったか。
佐々木が本心で自分を案じてくれているのは、その目を見れば判った。
「今からでも良い。やはりお前はここを出たほうが良いのではないだろうか」
「……は」
新選組にいれば、これから先も数限りなく太刀を振るわねばならない。
また人を殺めることもあるだろう。
女子のお前が背負って行くには、少々荷が重過ぎよう。
そう、佐々木は言った。
「それは出来ません」
静かに、暗い調子になったが、それでも言葉だけは明快に答える。
自らここに残り、女子の道は捨てるのだと、断言した。
如何に今が耐え難い苦難の最中であろうと、否、その渦中にあるからこそ、自らの決断に背くような行動は自戒しなければならない。
敢えて無言を通す土方を見れば、それだけはしてはならないことなのだと、自然と思った。




