第十章 並駕斉駆(2)
やれやれというように肩を落とし、伊織の傍らまで来ると、隣から品物を眺める。
「どれがいいんだ?」
根負けしたらしい。
にんまりと頬を弛めると、伊織はその中の一つを指す。
「これ」
尾形はそこで尚、苦笑した。
指し示したる物は、ひょっとこ。
極限まで垂れた目が最高に良い味を出している。
残念ながらお面とは違い、口まではついていないが、そこは自分でやればいい。
究極の一品。
これが一番面白いと思ったから指したのだが、見事尾形のツボに入ったようだ。
「に、似合ってるかもしれないな……プッ!」
「やったッ!」
「おおきに、十文どす」
渋りながらも懐から財布を取り出す尾形。
こうして見ると、それなりに良い人である。
(いや、買ってもらったから思うわけじゃないけどね……)
「ありがとう、尾形さん」
にっこりと笑って礼を口にすると、尾形は決まり悪そうにこめかみを二、三度掻き、踵を返した。
初めて目にする目鬘なるものを手に入れ、気分はますます物見遊山だ。
鼻歌でも歌いたくなる。
池田屋ではこれでもかというほど緊張と恐怖を味わったのだから、少しくらいこんな時があっても良いではないか。
再び坂道を登りながら、つい足取りも弾む。
「お前、そうしていると本当に女子だな。まあ、変装としては合格、かもしれんが」
後ろをついてゆく伊織に微かに振り向くと、尾形は鋭く指摘した。
同時にぎくりと肩を窄めたが、尾形は特に深い意味合いを込めて言った様子でもない。
それはその声音で分かった。
少しばかり調子が狂った、というか、変に照れたような声だ。
「尾形さん、惚れても無駄ですよ? 私に衆道の気はないですからね」
「俺だってないわ、そんなもの」
その時、きゅるる、と伊織の腹が鳴いた。
「……今度は飯か」
ふうっと厄介そうに溜め息を吐く尾形だったが、昼餉にはちょうど良い頃合だった。
***
二人は産寧坂に入り、しばらくそこから下ったところの料亭へと入った。
「おっちゃーん! うどん二つ!!」
「馬鹿、そんなに目立つ言い方はやめろ!」
伊織が席につくや注文を繰り出すと、尾形はやや焦ったように窘めた。
「なんでですか? そんなこそこそしてたら、余計怪しいですよ」
尤もな返しに尾形は言葉を呑んだが、すぐに平静を取り戻して、周囲に気を配り始める。
こんな食事のときにも気を張っているのは、掛け値なしに尾形の凄いところだと思う。
しかし昼時で、客の込み入った中にいては、長州も何も見分けがつかないのではないか。
「尾形さん、緊張してるの丸分かりですよ? ああ、怪しい怪しい」
眉間が強張る様子も見るに耐えかねて、伊織は気持ちからかうように言った。
ところがそれでも尾形は険しい顔を崩さなかった。
どうかしたのだろうか。
「尾形さん?」
尋ねると、尾形は静かに伊織へと視線を移し、ささやく。
「今、あの隅の客。長州の訛りに聞こえなかったか」
そちらを目や顎で示すでもなく、そう言う。
伊織もそちらには目を向けなかった。
「本当ですか? 気付かなかった……。というか、長州の訛りって、どういう感じなんですか」
大阪や京都、遠くても土佐や薩摩なら訛りの特徴というものも聞き分けられるが、長州に関しては特別な印象もないためか、さっぱりわからない。
「……お前は会津の出だというから、馴染みが無いのも仕方ないだろうな」
「え?」
「俺もそう近しくはないが、肥後の出だ。少しは南の訛りに通じるところがある」
「ああ、そうでしたよね」
肥後、確か九州だったな、と伊織は思う。




